見出し画像

駐在妻時代の話も、もう少し。くすぶり駐妻はこうして生まれた

自己紹介で略歴を書きましたが、会社員10年、駐在妻8年の私にとって、この直近の駐在妻期間はとてもとても大きなモノになっています。

『”キャリア”は、仕事だけでなく、生きる上で経験してきたこと全て』を身をもって実感できている通り、この期間に考えたこと、やってきたことも私のキャリアになっています。なので、駐在妻時代の話についても、もう少し紹介させてください。(駐在妻→以下、駐妻)

駐妻の悩みなんてどうせ贅沢なモノなんでしょって思われるかもしれません。確かに、そういう面が大きいのはわかっています。でも、そうじゃない面もたくさんあります。私のケースを一例として、駐妻がどんなことに悩んで、考えてきたのかを知ってもらえたら幸いです。



スタートは悪くなかった、むしろ転機になった。駐妻1~3年目

第1子の育休復帰から半年が経過した頃、夫に海外赴任の話が来ました。任期は3年、赴任先は中国。この時、転勤族の夫はすでに国内で単身赴任中でした。

あいにく配偶者の転勤に同行するための休職制度が無かったので、退職か単身赴任かの2択のみ。比較的条件の良い職場環境や大好きな会社を離れることにはかなり悩みましたが、その会社でのキャリアビジョンが描けていなかったこと、そして、やっぱり家族一緒にいたい気持ちが強かったことから退職を決断。2014年秋、10か月遅れで夫の駐在先に引っ越しました。

当時の中国は、反日暴動、大気汚染、食品偽装で揺れまくっている時だったので、「小さな子供を連れてやっていけるのか」と生活面での不安はとても大きかったです。

一方、私自身のキャリアに関しては、退職の決断時に、自分自身への動機付けや海外生活中の過ごし方をある程度考えられていたので、思いがけず専業主婦や駐妻になった人からよく聞く”アイデンティティ・ロス”といった落ち込みはあまり感じませんでした。

そういう訳で、中国にいた2年半は、日々の生活にはてんやわんやしながらも、「長い大人の夏休み」(今なら”サバティカルタイム”ですね)という気分で、わりと楽しく過ごしていました。そして、今までできていなかった『家族の時間』を作れたし、私自身も将来について考え準備をしたりして、結果的に『キャリアの転機』にすることができました
※国家資格キャリアコンサルタントを取得したのも、この期間です。


くすぶり出したのは台湾に移ってから。駐妻4~6年目

その後、思いがけず夫が台湾赴任になり、戸惑いつつも「どうせ仕事辞めちゃってるし、まあ仕方ないか。」といって家族で移りました。

2017年に台湾に来てから、気づけばもう5年。海外に出てから8年です。私がnoteに書きたいテーマの1つが『駐妻のキャリア』なんですが、それは、ほぼこの台湾での5年間に凝縮されています。

今ひとつずつ書いたら長くなってしまうので、ひとまずどんな悩みや壁にぶち当たったかだけ残しておきます。(→これについては改めて詳しく書きたいです。)

● もともとの任期3年に合わせていろんな計画や気持ちの整理をつけて日本を出たので、延びたことで頑張る気持ちが途切れてしまった。

● 海外引越と第2子出産といった環境変化が重なったせいか、第1子の登園渋りが起こった。いろんな面で新生活を整えるのが大変で、子供の「日本に帰りたい」の泣き声を聞く度に、私も心で泣いていた。

● 日本に帰ったらガッツリ再就職するつもりでいたし、まだ30代前半のブランク2年半ならなんとかなるだろうと思っていた。それが、全く見通しが立たなくなり「私のキャリアはいったいどうなるんだろう」と不安が増した。

● 働き続けていた友人の昇進や新たな挑戦の話を聞いたり、専業主婦だった友人の再就職の話を聞いて、置いてきぼり感がより一層増してしまった。

● 台湾は初めてだけど、駐妻歴でいったらそこそこ経験値があったせいか、まわりの初々しい駐妻さん達の「海外生活初めてです!ドキドキですね、一緒に頑張りましょう!」というテンションに乗り切れなかった。で、なかなか友達ができなかった。(なんか、捻くれていたんでしょうね(涙))

● 任期がわからない状態がしばらく続き、「私はいつ働けるのか」「そもそも、また働けるのだろうか」と考えては落ち込むことが増えた。自分で自分のキャリアを決められない駐妻という立場にストレスが増していった。

日本の友達に「台湾良いなー!どう?楽しい?」と聞かれる度に、「うん、楽しいよ!」って答えていたけど、落ち込み期なんかは、心の中で「別に旅行で来ている訳じゃないし、ふつーに家事育児に追われているし。」って思っていました。

素直に「楽しい」って言えない自分は、「毎日遊んでいると思われたくない」とか「私って日々ムダな時間を過ごしているのかも」とか考えては落ち込んだり。家族や友人と楽しく過ごす時間もあったけど、ふとした時に「なんかもう疲れたなー帰りたいなー。」って呟いていた気がします。それも結構な頻度で…大分くすぶってましたね(涙)


いろいろ開き直ったら、いろいろ開けた。駐妻7~8年目

でも、そんなくすぶり期間も、アレコレもがいて、考えて、動いていたら、少しずつ晴れてきたんです。

ひとつひとつの悩みに解決策が見つかったというよりは、自分の考え方・捉え方を変えただけで気にならなくなったとか、ちょっと声を上げてみたら思いがけない方向から良い話をもらえたとか、そんな感じで。

キャリアに関しても、自分のさまざまなスキルの衰えを痛感しては、デジタルツールや働き方の変化についていけるんだろうかと強烈な不安を感じていました。でも、そんな不安も、一旦受け止めるようにしました。「ブランクがあるのは仕方がない。その代わりに得たものだってある」と。

そして「いつか日本に戻ったら絶対にまた働く」というマインドと、最低限のビジネススキルはキープすることを心掛けて、今できることを一つずつやるようにしてきました。

そんなふうに、私の中に生じたさまざまな悩みやモヤモヤにも折り合いをつけて(開き直って)いくうちに、その分だけ、いろんな道やチャンスが開けたなーと思っています

これに関しては「時間が解決してくれた」とは言いません。やはり「自分なりに考えて、動くことによって解決できた」と思っています。

そんな、徐々に上向く心の変化を感じるうちに、もうすぐ9年目。

たぶん、いまが一番安定しています。駐妻の微妙な立場をポジティブに捉えられているし、ブランク有りミドル世代の再就職への不安にもなんとか折り合い付けれているし、本帰国がいつになっても良いように過ごせるようになりました。「無いものねだりはせずに、今あるものを大切にして、足らないものは今から補えば良い」そんな気分でいられています。


やっと誰かのために動けるようになった。駐妻まもなく9年目

そういう訳で、山あり谷ありの私の駐妻経験が、noteやカウンセリングなどを通じて、世界のどこかで困っている人のお役に立てるならこれほど嬉しいことはありません。

私もどこかのだれかに助けてもらったように、今度は私の番という恩送りの気持ちで、経験を残したり、お話をする機会をつくっていこうと思っています。

今日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?