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『テンシンシエン!』第1話

◆「テンシンシエンセイド?」

2020年12月21日、月曜日
 世の中は、いつもと違う年末に向けて、なにか不思議な安堵感を漂わせながら、慌ただしくもゆっくりと過ぎていった。

 単身赴任の私の場合、今年は自宅へ帰らなくても良いという大義名分ができたことが、今、最大の安堵感につながっているのかもしれない。決して自宅に帰ることが嫌な訳ではない。ただ、バスに乗って、電車に乗って、飛行機に乗って・・・ほぼ一日かけての移動の労力と、自宅へ帰るメリットが、私の感じる価値としてバランスしないだけだ。しかも経済的ダメージも大きい。帰省や里帰りと言うこんな非効率なイベントを、国をあげて控えて欲しいとアナウンスされる時代になったなんて、理由はともかく、なんと良い時代になったものかと、不謹慎ではあるが、個人的には超ウェルカムなのであった。

”プープー、プープー・・・プープー、プープー”

 あっそうだった。今日は朝から上司とウェブ面談だ。

 テレワーク、在宅勤務など色々な言い方があるが、今の当社では、この勤務スタイルが標準だ。実際、3月ぐらいから新橋のオフィスには、2~3回ほどしか出勤していない。

「おはようございます。沢村です。お待たせしましたぁ。」

 私は、沢村健、今年で52歳になる。山口県に家族を残して、埼玉県の浦和で単身赴任生活を満喫中だ。この会社には、10年ほど前からお世話になっている。前社長から、どうしても手伝って欲しいと言われて、当時勤めていた会社を辞め、この会社へ中途入社したのだが、当の本人は早々に退任し私を放置。結局、何のために慣れ親しんだ環境を捨てて、この会社へ中途入社したのかよくわからなくなっていたが、この会社の経営状況は思っていた以上に悪くなっていた。何か起死回生となる新規の取り組みを!となり、そもそも新規事業開発を頼まれて中途入社した私に、結局、出番が回ってきた。
 私は、この10年間に多くの新規事業を創り出した。初めは、それらに対して大半の役員たちが反対した。当社のやるべきことではないとか、当社の経営リソースとのマッチングがどうだとか、市場ニーズが見えないだとか、etc、etc、なんかあの手この手で色々難癖付けてきた。しかし、役員たちの予想、妄想に反し、私の立ち上げた事業は、いずれも業績好調で、結果的に死にかけていたこの会社を、短期間でV字回復させることに成功した。今ではうちの社長は、異端の敏腕経営者として、様々な経営雑誌で取り上げられるほどになった。まぁ私もそれなりのポストと、それなりの収入を得るにはなったのだが・・・

「沢村さん、朝早くから申し訳ない。面談の趣旨はご存じですね?」
「えぇ、早期退職の説明でしょ? 」
 今日の面談の相手は、谷村執行役。私の所属する部門のトップの男だ。とにかく頭が良い。そしてフェアな男だ。聖人君子とは彼のような人間のことを言うのだろう。ただ創造的な仕事は苦手のようで、どちらかと言うと管理だとか教育だとかが似合っている。歳は私と同い年で、なぜか割りと仲が良い。
 そしてもう一人、人事の大谷。こいつはコバンザメのような男で、その時その時で、力のある人間に張り付いて、人事の部門責任者までに上り詰めたらしい。本人は何をするわけもなく、上の人間の言うことをただ粛々を実行する。そんな仕事ぶりを評価されたようだ。今日は早期退職の説明と言うことで、人事の部門責任者である彼が、この面談に同席することになった。この男も私と同い年だ。なぜか、俺の人生の要所要所には、いつもこいつが居るような気がする。

「早期退職ではなく転進支援制度ですね。沢村さん」
 ちっ、どっちでもいいだろが!大谷のこういうところが好きじゃない

「えぇと、沢村さんの部署では支援対象者はゼロと、応募される方もゼロですね。優秀な部下ばかりで羨ましいですねぇ。本当に素晴らしい。さて、一応、形だけでも・・・それでは制度について私のほうから説明させて・・・といきたいところですけど、沢村さん、転進支援制度に応募しませんよね? これは会社からの正式なお願いなんですが、沢村さんには引き続き残っていただいて、新規事業の更なる推進をお願いしたいと思っています。」

 しばしの沈黙があった・・・

「谷村さんにそう言っていただけるのは、とても嬉しいのですが、実は、転進支援制度に応募しようと思っています。」

「えっ? ち、ちょっと沢村さん。えっ?何か不満でも?」
「不満とかはあげたらキリがないですよ。ただ、そんなことが理由ではなくて、なんと言うか・・・まぁ、このメンバーだから普段の言葉づかいで言うけど、俺らってもう52歳じゃん。なんかちょっと別のところを覗く最後のチャンスと言うか、あと、この会社もそれなりに安定してきて、ここから先はさぁ、俺じゃなくてもいいかなって思ったって言うか、そんな感じ。」
「沢村、おまえ自分の言っていることわかっているのか? 谷村執行役が残って欲しいって言っているんだぞ!」
「まぁよくわかんないけど、態度を変えるつもりはない。谷村、ごめんね。」
「少し、社長と他の執行役含めて相談させてください。正直言って、健さんの気持ちがわからないでもありません。私だってこんな立場でなければ、同じようなこと言っていたかもしれませんし、ここ数年、健さんと仕事をしていていつも思っていたのですが、いつまでもこの人をこの会社に縛っていてはいかんのかなとか・・・ただ実際のところ、健さんが辞めるということは我々も想定していませんでしたので、一度、社長以下、他の執行役と相談させてください。でも、私は健さんとまだ仕事がしたいと思っていますから。そこはよく理解してください。ところで、辞めた後はどこに行くとか、すでに決めているのですか?」

「なーんにも考えてない。」


■第2話へ続く

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