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『テンシンシエン!』第5話

◆「キセイ?」

2021年4月1日、木曜日
 退職後1日目。今日から肩書は無職です。なんとなく朝6時に起きて、なんとなくシャワーを浴びる。いつも通りの生活なのだが体が軽い。
「そっか。在宅勤務だったから仕事してた時と何も変わらないのか・・・先月ぐらいから、出たい会議しか出てないし、出たくない会議のときは色々と言い訳を言ってサボってたな。ははは、なんだかちょっと拍子抜け。」
 軽く独り言というものを言ってみる。

 そう言えば区役所の桜がそろそろ見ごろじゃないかな。朝から桜を見に行こう。アパートから歩いて5分ほどのところに区役所があって、そこに結構立派な桜があった。

 でも実際は、のんびり歩いてみると桜は至るところにあって、場所によって思いのほか咲き方にばらつきがある。桜の種類が違うのだろうか?日照時間の差?土が違うとか・・・仕事をしていた時にはあまり気にしていなかったことに気が付く。
 おそらく私の脳は、そのキャパシティーを持て余してるのだろう。脳は思考を止めようとしなかった。

 こんなところに小さなカフェがあるのか?

「すなどけい・・・か。」
 店内には常連ぽい初老の男性客が数人。カウンターの中には40代だろうか?女性が一人。店主か・・・
「男はいつまでたっても男か。」
 格言じみた独り言を言ってみる。そんな感じで、今日は偵察をかねて近場をうろついてみた。

 2時間以上ふらふらしていたようで、何気に時計を見ると10時を過ぎていた。ちょうどその時スマホが鳴った。

”テトタト テトテト テトタト、テトタト テトテト テトタト・・・”
見たことのない番号。とりあえず出てみた。

「おはようございます。わたくし株式会社就職支援センターの山泉と言いますが、沢村様の携帯でお間違いないでしょうか?」
「は、はい。沢村は私ですが・・・。あっ!」
 そう言えば、退職時に提出した書類で、退職後に就職支援センターのサポートを受けたいかと質問があった。あまりよく考えずに ”受けたい” と回答したんだった。思い出した。
「わたくしは沢村様の担当となります、カウンセラーの山泉と申します。よろしくお願いいたします。」
「あっ、よろしくお願いいたします。」
「いきなりで申し訳ないのですが、一度早い段階で沢村様と面談を計画したいと思っておりまして、来週のご予定などはいかがでしょうか?」
「あっあぁ、来週ですね。」
と言っても予定なんて無いだろうに、私は何を勿体ぶってるのだ・・・あっ、それでも今週末から来週の前半は山口に帰るんだった。
「えっと8日木曜日、ちょうど一週間後はいかがですか?」
「お時間はいかがですか?」
「特に約束はありませんので合わせますよ。えっと・・・山泉さんに。」
「それでは13:00からでいかがでしょうか?30分ほどで終わると思います。」
「大丈夫です。13:00からにしましょう。」
「のちほど、メールで弊社の浦和事務所の場所と、当日持参いただきたい持ち物を連絡させていただきます。それではよろしくお願いいたします。」
「こちらこそよろしくお願いいたします。」
 対応が早いなぁ。退職初日の午前中に電話が来るとは。暇なのかな。まぁ私はもっと暇なのだけど。

 その週末に自宅のある山口へ帰った。なぜか息子の優が帰って来ていた。今年は入社式や導入研修はウェブで開催するらしく、どこに居ても構わないらしい。それで、自宅から参加することに決めたようだった。
 久しぶりに家族全員が集まった。みな元気そうだし、みなそれぞれ自分の生き方をしている。なんと自立した家族なんだろうか。退職後、単身赴任だった私が自宅に戻らないことを、この家では当たり前のように扱っていた。
「でも私はパパと考え方が違うからね。」
「うん。僕も。もし僕だったら仕事辞めたら帰ると思う。でも今のパパは否定しない。パパにも生き方とか考えがあるんでしょ?」

「ん?まぁねぇ~」
 お笑い芸人のまねをしてはぐらかしてみた。そんなふうに言えるようになった子どもたちに大人を感じた。すこし照れくさくなった。
「ほら、ちゃんと突込んであげなよぉ。」
 妻が笑いながら言った。

 月曜日に妻と二人で市役所に行った。私の知っているあの田舎臭い市役所ではなかった。モダンな外観に機能的なフロア、全てがとても近未来的なデザイン。
 時間の移り変わりに取り残された私は、まさにこの町から出ていくべき人間なのだと宣告された気がした。

 市役所では、国民年金、国民健康保険への加入などの手続きを行った後、住民票の転出届を出した。この順序のほうが書類の処理がしやすいと言われたが、私にはよくわからなかった。いずれにしてもここでの手続きは待たされることなく、あっという間に終わった。
 改めて ”早く帰れ!” と言われている気がした。

火曜日まで山口に居ようと思ったが、この日の夜、私は ”帰った”・・・


■第6話へつづく


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