ジャーナリズムなき国の、ジャーナリズム論
「ジャーナリズムなき国の、ジャーナリズム論」(大石 泰彦 編著)
問題提起 取材の自由がない国で今起きていること
ジャーナリズムの3つの原則
1 専門性:必要な知識、技能、倫理を備える専門職
2 現場性:事実を見ることから始まり、論理は後からという行動様式
3 客観性:非当事者であること
日本型ジャーナリズム
取材の自由が存在していない状況の中で記者が仕事をしているということ。本来は一般人の目線で行わなければならないはずが、政府・政治の折り合いに癒着した公務になっている。(読売はその典型例)
日本型ジャーナリズムの要因
・記者クラブシステム:記者クラブは、新聞社やテレビ局、通信社などの報道機関の記者で構成される任意組織。中央省庁・国会・政党、企業・業界団体、地方自治体などに設置され、各機関に特化した情報の収集と取材活動を行う。
・系列化:テレビやラジオはそれぞれ新聞と資本関係を結んでいる。キー局は系列局を広げてネットワークを形成している。そうするとメディアはたくさんあるように見えて実は少数の資本に支配されることになる。放送制度は本来「3事業兼営禁止(同一資本が新聞、ラジオ、テレビを兼営することを禁止するもの)」であるが形骸化されている。
今後の可能性
探索型ジャーナリズム:独自組織による調査
教育:中高生へのジャーナリズムの歴史や意義、機能の教育
1部 ジャーナリズム研究という不幸 ないものをあるかのごとく
誰の何のための取材報道の自由なのか
ジャーナリズム
ジャーナリズムは、何が起こっているかという事実を探究し、時代と世界がどこに向かおうとしているのかを点検し、それらの結果をパブリックに伝え、判断材料を提供しようという社会意義そしてその活動。
歴史
1869年、明治政府は流言飛語(噂やデマ)に悩まされた結果、新聞の発行を後押しする(政府批判の新聞は廃止された)。1872年毎日新聞、1874年読売新聞、1879年朝日新聞、創刊。
1904年、日露戦争で新聞は発行部数を大きく伸ばす。1908年、朝日新聞は日露戦争後、資本金を3倍に増資。1937年日中戦争では新聞が権力の広報機関としての役割を担い、部数をさらに飛躍させ経営拡大した。
第2次世界大戦後、1948年GHQの労働課声明と呼応する形で日本新聞協会の編集権声明が行われた(新聞編集権の確保に関する声明)。
1950年には放送法、電波法、電波監理委員会設置法の電波3法により放送の自律の確保が図られた。
1960年以降、日本において「国民の知る権利」論の主張により取材報道の自由の回復を図る土壌ができた。
日本の新聞は表現の自由を掲げる民衆の声で創刊されたものではないということ。朝日新聞は1882年に政府からの極秘資金援助で経営を立て直した政府の隠れ御用新聞だった。
ネットメディアの時代
メディアがリアルな関係にどんな影響を及ぼすかは古くからの問題であり、ネットメディアも顕著。また、匿名性によりファクトチェックも困難。
マスコミとジャーナリズム
マスコミは自らをジャーナリズムと定義したり主張はしていない。ただジャーナリズムではないと表明したこともない。報道の自由という言葉でジャーナリズムであるかのように装っている。
①ジャーナリズムの価値からして、あってはならないもの:
「編集権声明」:GHQは新聞の左化を恐れ、各地の新聞に介入し始めた。その際に編集権というものが経営側にあるとした。
「記者クラブ制度」:記者クラブのメンバーになるには、日本新聞協会加盟社の記者(つまり社員)である必要がある。記者クラブにより、政府等の公式見解がメディアで伝達されることとなる。
「7社共同宣言」:東京の7つの新聞社(朝日、毎日、読売、産経、日経、東京、東京タイムズ)がそれぞれの朝刊に共同宣言、暴力を排し議会主義を守れと題する同一の社説を掲載したもの。
②ジャーナリズムの価値からして、なくてはならないもの:
「ジャーナリスト養成教育」:入社式で突然ジャーナリストになれるわけではなく習得する機会と過程が必要。
「ジャーナリスト・アソシエーション」:個人が集まって職能団体が必要。プロフェッショナルとしてのジャーナリストの自主的組織。
「フリーランス」:個としてのジャーナリストの基本形はフリーランス。しかしフリーランスが生計を立てることのできる構造がない。なぜならマスコミがメディア界全体を支配しているため。
「ジャーナリズム学会」:同時代の観察が必要であるが、その性能を維持し更新していくための装置が必要。
「放送メディアの独立性」:放送局免許の交付など権限は政府(総務大臣)に渡っている。欧米諸国でそのような仕組みを採用する国はない。
2部 ジャーナリストという不幸 非在の職業を生きる悲惨と栄光
記者クラブ
記者クラブという仲良しクラブが大本営発表を垂れ流し続けている国産ジャーナリズムのレベルの低さを象徴している。
広告料頼み(読売新聞の事例)
2014年、塩野義製薬の全面広告。当初、うつの痛みに根拠のある論文があるとしていたが、同社から多額の金銭を受けている精神科医がインターネット調査をもとに作成した自作自演だったことが判明。読者の購買料よりも広告料頼みの傾向が強まった時期と重なった。
誤報問題(朝日・読売新聞の事例)
読売新聞のIPS心筋の移植が研究者の虚偽による誤報とわかった。朝日新聞では吉田調書報道で反日のレッテルを貼られた。
調査報道への意識の低さ
一つのテーマにこだわりたいが、記者数や取材量、担当変更などを考えると難しいという意見。歴史上、政府は政党新聞の言動活動を厳しく取り締まり、発行停止や弾圧を加えた。昭和期には政府と主要新聞社が協力し、東京都大阪を除き、各府県一紙に限定する。調査報道の文化は新聞社の歴史に比べると根付いていない。