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ホラーな徒然草

ある人が、子を法師にして、「学問をして因果応報の道理も知り、説教などして生活する手段にもせよ」といったので、親の教えに従って、説教師になろうとするために、まずに馬に乗ることを習った。輿や牛車を持たない自分が、もし法事の導師として招かれたようなとき、馬などを迎えによこした場合に、尻のすわりが悪くて落ちでもしたら、辛いだろうと思ったからである。次に、法事の後で、もし施主が酒などを進めるようなことがあった場合に、法師で全く芸がないのは、施主も興ざめに思うだろうと思って、早歌と言うものを習った。この乗馬と早歌のふたつのことが、だんだんと熟練の境地に入ったので、ますます巧くしたいと思って気を入れて稽古している間に、とうとう説教を習うはずの暇がなくて、年を取ってしまった。
徒然草 第188段


皆さんご存知、「徒然なるままに日ぐらし~」で有名な吉田兼好君の徒然草の一節でございます。お笑いのネタのような一節ですね。落語みたいです。
でも、これ結構今の私に当てはまるんですよね~。20代で理学療法士を目指して理学療法士になったのはいいが、制度ビジネスで生きていく以上制度を知らなければリハビリテーション医療はできない。と思い介護支援専門員や社会福祉主事をとり、年とともに階級が上がり管理が主な仕事になり、リスクマネージメントや学生の実習教育に関わるうえで教育分野の勉強をした。

介護予防、予防医学がもてはやされている昨今。予防医学を学ぶのなら、昔から未病を生業にしている東洋医学を学ばねば、西洋医学と東洋医学の両面から見れなければならい。と東洋医学の学校に入りなおして勉強を始めた。訪問リハで外出支援ができないのは片手落ちだと二種免許を取り、今度はこれからのリハビリテーションはVRだ!!とパソコンの勉強を始めようとしている。


そうこうしているうちに、坂本龍馬の年を大きく上回り、上杉謙信や織田信長が死んだ年と変わらなくなってきている。


第188段つづき
だから、一生のうちに、主にこうしたいと思う中心的な事柄の中で、どれが優っているかとよくよく考え比べて、自分にとって第一の事柄を考え定めて、その他は断念して、ひとことに精励しなけばならない。一日のうち、ひと時の間にも、多くの用事が後から後から起こってくるような中で、少しでも益の優る事柄を励み行い、それ以外は捨てて、大事なことを急がなければならない。どれもこれも捨てまいと、心に執着をもっていては、一事も成就するはずがない。


日本の国が療法士に求めているものが専門性ではなく、ジェネラリストであるがゆえに「あれもこれもやらねば。」と医療・介護保険改正のたびに変化する療法士の役割を必死で追いかけ20年間走り倒してきた。


リハビリテーションに関するあまりにも多くの周辺学問を片っ端から学んできたので、ふと振り返ってみると。はて、「理学療法」って何だろう?って気がしてくる。


これが兼好君が言っている、説教を習う暇がなくなり年を取ったいうことなのではないだろうか?

そんなことを思うと背筋に悪寒が走る。もはやホラーでしかない。

プルプル(((;゚д゚;)))プルプル.

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