「透明」に生きていく。
昔から透明なものに触れると、心の深い場所から何とも言い表しがたい気持ちがあふれていっぱいになります。
力強くて、うれしくて、なんだかよく分からないけれど、顔を空に向けて生きていけるような、そんな気持ちになるんです。
透明なものというのは、私の中では子供のようにまっすぐで正直な気持ちだったり、きれいな空とか微かに通り過ぎる風だったり、そういったものです。
何にも包み隠されていなくて、むきだしのまま、壊れそうでいて強い力が宿っているもの。
それを私は「透明なもの」と呼んでいます。
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そしてふと、自分も「透明なもの」になりたいのだと気付きました。
「透明なもの」というか「透明な人」と言ったほうがいいかもしれません。
まっすぐで正直で、やさしいけれど、それでいて奥底の深いところに力を秘めている。
汚れを知っても、その汚れを洗い流してしまうくらい力のある透明さ。
そういう雰囲気や力を持つ人になりたいなぁって思うんです。
透明さは色んなものの存在をその空間に受け入れることもできます。
私は何から何まで違う人たちが、その違いを(もちろん似たところも)楽しんで一緒に生きていけるような、そんな空間をつくりたいなと思っています。
そのためにまずは自分が、空のような広さとか透明さを持ってみたいなと思いつきました。
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透明ってなんだか、儚さとか、壊れやすさとか、脆さとか、多くの場合そういった弱さを感じさせれられるかもしれません。
でも私は透明にとても強さを感じています。
色んな色を受け入れるしなやかさ、そのまっすぐさ。
透明であることって、本当はとても難しいことなのではないでしょうか。
もちろん透明であることは、自分を抑えて個性をなくすことではありません。
個性とか自分の考えとか感情をもちながら、やさしく色んなものを包み込む。
私はそんな透明さを持った人になりたいなって思っています。
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今、私は新海誠さんの「天気の子」と川上未映子さんの「あこがれ」という小説を読んでいます。
どちらも主人公として男の子と女の子の2人が出てきて、10代のころのまっすぐな気持ちとか心の模様が描かれています。
読んでみれば分かると思いますが、私はこういう透明さがものすごく好きです。
こういった素直な気持ちを、大人になった今も、そしてこれからも、ずっと持ち続け、色んなものを受け入れていけたらなって思ってこのnoteを書いています。
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