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生きるってことは?
ものすごく大きなテーマ。
生きるってこと、ってどんなこと?
わざわざ考える必要ないかもしれません。
たぶん答えはなんでもいいと思うし、答えなんてないって思うこともあります。
人それぞれ全然違うと思います。
はっきり言っちゃえば「生きることは呼吸すること」、ただそれだけです。
生まれたらいつか終わりがくるのだから、特別な意味なんて無いだろう(たぶん)。
気づいたらこの世界に生まれてきちゃって、生まれてきたからにはもう、どうしようもない。
でも、それを知っていても私は「生きることを思い切り楽しんでから死にたいな」という気持ちがあります。
程よくドライでいたいけれど、ドライになり切ることはできなかった。
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私はとても欲張りだなって自分でも思います。
結構、何かを見て感動したり、あんなふうになりたいと憧れたり、そういう感情を持つことが多いです。
ふわっと生きてみようとしてもそれができなくて、自分がここに存在していたことを形にしたいって思ってしまいます。(もちろんどの生き方にも正解も、不正解もありません。自分にとっての正解はあるけれど。)
だからこうやってnoteを書いたり、写真を撮ったり、詩を書いたり、なにかしらやっています。
この気持ちを否定することは、どうしてもできません。
どうしても、冒険したくなります。
そんな私にとって、生きることって何、って考えてみました。
今の私にとって生きることとは、「自分だけの答えを創り上げていく冒険」です。
生きている中で、私は自分のことが本当によく分かりませんでした。
今でも分かっていないことが、たくさんあります。
これまで色んなことを体験してきて、「私は自分とちゃんと向き合えているよね」と思っていたんです。
でも違いました。
全然自分のこと分かっていませんでした。
「答えはきっと外にある」と思っていたから。
でも「答えは自分の中にある」のでした。
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そこから「自分は何が好きで、何が嫌いで、どんな人になりたいんだろう」と自分に問いかけるようになりました。
頭で考えるだけじゃすぐ忘れちゃうから、いつも思いついたらノートに書き出しています。
すると、自分って私が創った作品みたいだなって思えてきました。
生きている中で拾った言葉とか、出会った人とか、体験したこととか、そういうもので作られているんだなって思ったんです。
そして自分だけの答えを見つけて、それを形にして表現していく。
これが生きることなんだなと気づきました。
もちろん、この考えも生きることに対する私だけの答えなので、他の人にとっては生きることってもっと違うかもしれません。
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「生きて何かしたい」って、とてつもなくエゴです。
でもエゴを全く持たずに生きる人はあまりいないんじゃないかな、と私は思っています。
もし「~したい」と思う気持ちを、エゴに含めるのならば。
エゴが誰かの励みになることだってあります。
「音楽をやりたい」という人のエゴが、誰かに元気を与えることもあります。
「料理をつくりたい」というシェフのエゴが、食べる人を幸せにします。
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とりあえず、「生きることって何なの?」という問いに対して、「自分だけの答えをつくり上げて、自分という作品を作る冒険」という私だけの答えが出ました。
これが一番、腑に落ちました。
今までどうしようもなく何もできない時が何度かありました。
その時でさえ、『どうして「それでも自分は・・・」って私は思えるのかな』と不思議だったのですが、ようやく分かりました。
私にとって生きることは冒険物語です。
冒険物語であるからには、最後は絶対に宝箱を開けるんだ、と思ってきたんです。
たぶん生まれてきたときから、そう思っています。
自分で自由に生き方を選べるけれど、どうしても楽しい気持ちで生きていたい欲求がありました。
これでまた自分のことが分かりました。
生きるって面白い冒険。
みなさんにとっては、生きるってどんなことなのかな、って思っています。
きっと全然違う答えが返ってくるんだろうな。