寂しさ・苦しさを「ネガティブ」の一言で終わらせたくないんだ。
寂しい・苦しいって、たぶんたくさんの人が嫌なイメージを持つと思います。
それに世の中では「いかにポジティブに考えられるか」とか「ネガティブな人とは関わらないようにしよう」とか、そういうことで溢れています。
だから一層、寂しさや苦しさを避けたくなると思います。
それでも、そういうものは私たちにつきまといます。
私は寂しさ・苦しさについて考えることが昔から多かったです。
そういうどうしようもない気持ちも、うれしさ・喜びと同じくらい大切なんじゃないか。
下を向きたくなる気持ちだって、「重い」とか「ネガティブ」の一言で片づけなくていいんじゃないか。
そう思うんです。
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そもそも私は「重い、って何?ネガティブって何?そんなにダメなこと?」とものすごく疑問に感じています。
重いも、ネガティブも無いんじゃないか。
私はそう考えています。
だって寂しいな、苦しいな、孤独だな、っていう感情は、生きていたら大半の人が感じることです。
そんなに大事で身近な気持ちなのに、それを見なかったことにして、悪いものだと封じ込めてしまうことに、私は違和感を持っています。
ネガティブを避けようという暗黙の了解みたいなものが、社会にあるから寂しさや苦しさに真正面から向き合おうとしないんじゃないか。
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寂しさ・苦しさは人に話してもいいし、見せていい。
隠すものではないと思います。
寂しかったら、苦しかったら、「さびしくて苦しくて、しょうがないよぉ~」って誰かに泣きつくくらいで全然いいと思います。
なんなら私のところに泣きに来てほしいくらいです。
そうやって寂しさや苦しさを、気軽に表に出せるような世界があればいいなぁと思うんです。
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寂しさや苦しさを、誰かに気軽に見せることができたら、その人の毎日はどうなるかな?
そんなことを考えるのが私は大好きです。
きっと苦しい時期も、小さな希望を持ち続けることが、できるんじゃないかと思います。
「さびしいな、苦しいな。でもあの人に、話に行こう。あの人のそばなら思い切り泣ける」
そんなふうにちょっとでも気が楽になったり、その人のところに行くのが楽しみになったらいいなって、本気でそう思っています。
そうしたら、人生の雨の日って結構好きだなって思えてきて、いつのまにか笑えるんじゃないか。
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また別の機会に書こうと思いますが、私は中学生くらいのときからずっと悶々と生きてきました。
実際にひとりぼっちだったこともあるし、友達に囲まれていても、「ひとりだなぁ」なんて思っていました。
10年くらいそれが続きました。
寂しさ・苦しさがいつも付きまとっていたからこそ、かえって徹底的にそれと向き合ってしまえ!と思って生きてきました。
そして今は夢ができました。
今度は自分が寂しさとか苦しさを抱えてどうしようもない誰かに、「そういう気持ちも隠さなくていいんだよ」って言えて、気持ちのはけ口になろうと。
その気持ちが、とてつもなく、にじみ出ていたみたいです。笑
twitter経由で「rainyでキャストをやってみませんか?」と連絡が来て、今はrainyという素敵な場所に私はいます。
(このnoteの写真はrainyのみんなで集まった時のものです。)
誰も寂しさとか苦しさとか、なんとなく下を向きたくなる時を恥じなくていい。
そういう世界を私はつくっていくんだ。