「情熱」など、なくたっていいじゃん。
きみは「情熱」ってことばに、縛られて苦しい思いしたこと、ある?
本屋には「成功者」と言われる人たちの、「情熱」の大切さについて語られた本がたくさん並ぶ。
何かの活動やら、仕事やらに参加していれば、「あの人は情熱のある素晴らしい人だね」という評判が耳に入ってくる。
そしてあるとき、きみはこう思う。
「あれ、じぶんには情熱ってやつがないぞ」
一度気づいてしまった「情熱」の空白をなんとかして埋めるため、きみは迷路に足を踏み入れる。
どうすれば、「情熱」を持てるんだろう。
なにをすれば、「情熱」を注げる何かに巡り合えるんだろう。
・・・ずっと考え続けて、行動し続けても、燃えない「情熱」と、自分のがんばりを人に認め褒めてもらいたいという、どうしようもない欲求。
こればっかりが、どんどん巨大になっていく。
でも。
僕たち私たち、「情熱」ってことばに縛られ過ぎてない?
「情熱」って人間のエネルギーに付けた、単なる記号だと思うんだ。
「情熱」という曖昧で形のないものを追い求めている。
だから、ときどき熱を帯びないイケてない自分を見て、泣きたくなるんじゃない?
そんなんだったら、「情熱」など捨てちゃっていいじゃないか。
その方が、もっとうまく生きていけるし、イケている。
その方が、自分の本質を見極められるし、何より楽しい。
「情熱」という魔術を捨てて何が悪い?
楽しく生きて何が悪い?
心地よい人生の何が悪い?
不思議なことに、ただただ楽しく生きていた方が、ずっと人生成功だと思えるようになるし、おまけとして他人にも認めてもらいやすくなる。
一旦、誰もが崇める「情熱」を捨ててしまおう。
自分をことばの魔力で奮い立たせても、逆効果だ。
この世界で良しとされている「情熱」ということばは、きみの世界では不要なのだと認めよう。
「情熱」など、なくたっていいじゃん。
自分の人生に戻ってみようよ。
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