粒々辛苦、考察の仕方。
文化総合の履修を多くとったことで今年度はレポートを昨年に比べて提出する機会がとても多いです。
科目試験があるレポートは早めに提出・合格しないとかなり切羽詰まることになるので学習計画通りすすめたいところですが、やはりそううまくはいかず。
そんな中ではありますが今年度は評価が良い講評をいただけたりしているので励みになっています。
とくに西洋美術史Ⅱの課題2は渾身のレポートでした。
多分、私はそれを課題だけではなく個人的にも研究したかったのだと思います。
だから緊張しながらも学習質問をしたり。そしてその学習質問に対し丁寧に回答いただけたことが、書く意欲を増幅させました。
文献が少ないテーマを選んだことで苦戦をしつつ、どのような講評であろうともこのテーマを選んだよかったという気持ちでした。
自分で「よくできた!」と思えても結果はそれにともわないことが多いのですが(これはレポートに限らずですが)今回は結果がさらに私を高めてくれました。
その後に書いたデザイン史の課題1で、うひゃーとなってしまうほどのギリギリ合格な結果でしたが、引き続きかえってきた歴史学の課題1と芸術研究学Ⅱの課題2で、またもや嬉しくなる講評いただけてますます励みになります。
芸術と精神世界は切っても切り離せないもので、西洋美術史Ⅱと芸術研究学Ⅱのレポートは、そこを深く繋げて考察しました。
とくに先述した渾身のレポートの西洋美術史Ⅱをやったあとに、芸術研究学Ⅱにとりかかったので否応無しに「芸術と精神世界と」を引き続き意識しながら書けたのだと考えられます。
「考察ってどこまでしてもいいんだろう?」
いつもそこで悩みます。ソースやエビテンスにだけ従うと考察から離れていくし、それはただ”まとめただけ”になってしまう。
しかし、今回のレポートで、ほんの少しですがなんとなく考察の仕方を感じることができたような気がします。事実Aと事実Bを合わせて、考察、そして考察によって事実Cに繋がる、という感覚は今更ながら初めてだったので「こういうことなのかもしれない」といった感触です。
そうはいってもいつも同じように取り掛かれるわけではないし、現に只今とあるレポートに大苦戦しています。ちょっともう投げやりな気持ちになっている‥
ただそれは課題が難解だからではなく、私は選択ミスをしました。
この選択ミスについては、ぜひ今年の私の個展で察していただければと思います。
今年の個展(11月)は課題展です。(個展タイトルは課題展ではありません)
課題内容や講評については学校に著作権がございますので一切の公表ができません。ですので、一部課題‥とくに文総のレポートについては課題内容がわからないようにします。また、ただ課題だけを展示するだけですと博物館的になってしまうので私なりの表現を交え展示をさせていただく予定です。
展示をご覧いただきどのような課題だったのか、そしてどんな講評をうけたのか推察や想像しながらご高覧いただければ幸いです。
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