自分を抽象化する
私は自他ともに認める外見が醜い人間です。
ただ”他”について誤解をしていただきたくないのは、醜いと思わずに接してくださる方もいらっしゃいます。もちろん心の内はご本人にしかわからないことですが。
家族の中で唯一、娘は私を、ブスだデブだ、と言いません。
ひどかった思春期の頃ですら、そのワードを私に直接むけることはしませんでした。もしかしたらTwitter等には投稿していたかもしれませんけれども、私はあの子の口からその言葉を受けることは、当時ありませんでした。
それはなぜか。
よくいえば、私はよい母ではなかったけれど、娘が外見から生じる偏見を持たないよう示唆してきたつもりです。
ただ現実的に思い返せば、色々な方が私と対等に接してくださっているのを見て、感じてきたことが影響していると考えられます。
感謝しております。
ですので、何卒、誤解なきよう。
選択必修の課題がうまくいっていなくて。
本当に、うまくいっていなくて。
ばかみたいですけど、我を見失うくらい、堕ちてしまって。
うまくいかない科目が複数すぎる。
不合格が当たり前になってきてしまうほど。
こういう時に
身内から外見の醜さについての言葉も絡んできて
自分の価値のなさに辟易してしまい、お酒がないと眠れなくて。
でも、今朝。
いつも通り髪を乾かして、アイロンかけて、音楽ききながら、勉強もかねて1人の美術家について調べていたんです。
作品は実際に見たこともあるけど、バックグラウンドについてや他の作品について調べることはしたことがなかったです。
作品を見た時も、別の美術家の作品がメインの会期だったので。
それで、調べていくうちに自分ならどう作品にするだろうかと考えはじめて、いわば構想のようなものが自分の中ではじまって
髪の毛をセットする1時間ほどの時間でしたが、ものすごく集中した中にいました。その心地よさ。
そして「あれ?私、本業アーティストじゃなかった?」と、気づくのです。
私自身に価値がなくても、どれほど人が何を言おうと
私の作品は、私以上の価値を持っています。
ここだけは、揺らぎません。
だから私は制作した作品を、基本的に他の作家様と同様の取り扱いをします。
無論、私と私の作品の距離感は近いですが。
以前、Instagramでもいったような気がしますが
私の作品は
完成した瞬間に私から離れるからです。
なんだ、私は価値があるものを創造していけるんじゃないか
そして、創造しても許される肩書きをもっているんじゃないか
急に、気が抜けたんです。
気が抜けたというか
顔をサランラップで巻かれていたけど
巻かれるものがサランラップではなく包帯にかわったので、ほんのすこーし呼吸ができるようになったというような感覚です。
結局、巻かれてはいるので苦しいんですけど。
本質を取り巻くものが、本質を覆い隠してしまったら本末転倒。
この先も愚痴は止まらないだろうし
いちいち落ち込むのだろうし
でもそれは、本質外で起きたこと。
さて、あいもかわらず店が暇なので制作します。
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