アイデンティティは人の心を動かす
こんばんは!真夜中に失礼します💦
今日は私の「忘れられない先生」を紹介したいと思います。
小学時代の音楽の先生についてです!
最後まで眼を見開きながらご覧いただけると嬉しいです!
では、どうぞ!
○
私は音楽の授業が大好きだった。楽器を奏でたりするのは譜も読めないしすこぶる苦手なのだが、幼い頃から歌う時だけは誰にも負けないほどの意気込みがあった。
他の授業では当てられるとあたふたしてしまい「笑って誤魔化すなよ・・・」と呆れられるが、音楽の時間はみんなが口を尖らせて嫌がる歌のテストでさえもやる気満々に受けた。(結局、本番になると恥ずかしくて声が小さくなってしまうが・・・笑)
大きく口を開けて表情豊かに、歌詞に込められた想いを音にのせて歌うことは私にとって自己表現の1つであった。「自己表現」というと大袈裟かもしれないが、歌うことが私という人間を他人に分かってもらうための手っ取り早い手段と言っても過言ではない。
友人に「○○○(私の名前)はどうしてそんなに楽しそうに歌えるのかなと、いつも思っていた」と言われるくらい歌うことに愛を感じられたのはやはり、ここで紹介する先生の存在が大きかったからであろう。
○
その先生との出会いは小学3年生の時。
いかにも子供受けしそうなドラえもんの柄がプリントされているネクタイを身に付け、大きくハキハキとした声で自己紹介をする先生の姿は今でも覚えている。
黒板に自分の名前を書いた先生は私たちに、「私は○○○(先生の名前)です。(名前に)口がいっぱい付いてるでしょ!だから、声が大きいんだ!」と笑顔で挨拶した。
「名はその人そのものを表す」という言葉を聞いたことがあるが、本当にここまで自分の名前を自分のものにできる人を見たことがないというくらいのぴったりさに衝撃を受けたのは言うまでもない。
あまりのインパクトある存在感と偽りのない笑顔にすっかり吸い込まれてしまった私は、これからの音楽の時間がとてつもなく待ち遠しくなった。
先生の授業は想像していた以上に面白く、いつも輝いていた。
歌う時の見本を見せて下さる時には、悪い手本と良い手本を小学生相手に分かりやすく教える。
悪い手本では、大袈裟に顔を下へ向け口を小さく開き不機嫌そうに歌詞の一節を歌う。良い手本では遠くの方を見上げ、口を大きく開けて笑顔で歌詞の一節を歌う。その手本を見て、みんな自然と笑みがこぼれる。
先生の手にかかれば魔法にかけられたように頬が和らぐのだ。
練習が始まればもう面白いことはないだろうな・・・と思いきや。
ピアノの鍵盤の位置を理解している先生は椅子に座らず立ちながらピアノを弾き、私たちの顔を1人ずつ確認してくるのだ。思わず歌っているのに吹き出しそうになるが、それによって1人ひとりの口角が上がり不思議なことに上達していく。
さらに、先生は歌詞の意味を感じ取りながら歌ってもらいたいという気持ちがあるようで、例えば海を題材にした曲であれば「今この場所に海が広がっているつもりで歌おう!今のみんなは海のイメージができていないよ!」とアドバイスを下さる。そのアドバイスを基に歌うと「ザブーン」と波の音が耳元で聞こえてくるような感覚がし、音色にも張りが出てくる。この瞬間が私の心を幸福感で満たしてくれるのだ。
ここまでの私の文章を見ていると「あ、この先生は常に優しくて怒らない人なんだろうな・・・」と思っているかもしれないが、歌う中でみんなの心が1つになっていない時はそれを敏感に感じ取り注意する。
それが小学生相手ではないほどのレベルで癇癪を起すのだが、またそれも喜怒哀楽がはっきりとしていて良い部分ではないかと私は思っていた。
みんな癇癪を起すと静まり返るのだが、それでも生徒たちからは絶対的信頼があったし「忘れらない先生」として根強く心の中に残っているのであろう。
○
「この人は音楽の素晴らしさや楽しさを世に伝えるために生まれて来たんだな」
先生の授業を受けながら、小学生ながらにふとこんなことを思っていた。
今考えてみれば先生はしっかりとアイデンティティを持っていて、自分が自分であることを「音楽」を通して証明することができるからこそ、人の心を動かすことができるのだなと思う。私も動かされたその1人である。
しかしながら私は、自分を証明できるものが何1つない。例えるならば、免許証を持っていないのに車を運転しているのと一緒である。
私ももう25歳になる。少しは自分を証明できるものを見つけ、安全に人生のレールを辿っていけるような人間になりたい。
結局、先生は私と同じ中学校へ異動することとなったが私の学年の音楽の担当ではなかったということもあり、廊下ですれ違った時以外には話すこともなく、また別の学校へ異動してしまった。最後に手紙を渡し、お別れしたきりだ。
今は何をしているのだろうか。元気だろうか。きっと今日もどこかの学校でピアノの音色を響かせながら、生徒たちを幸せいっぱいに包み込んでいるのかもしれない。
欲を言えば、また会って話がしてみたい。
これが私の「忘れられない先生」です。