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【SHHis】セヴン#スについて【シャニマス感想・まとめ】
本記事はゲーム、「アイドルマスターシャイニーカラーズ」のイベントシナリオコミュ【セヴン#ス】のまとめ・感想です。
ネタバレをします。まだ読んでいなくてこれから読もうと思う人は本編を読んでからご覧ください。読む予定がない人は本記事を読んで本作に興味を持っていただければ幸いです。
既読者にも一つ一つの表現や構成感を感じてもらえればうれしいなと思います。
本記事の概要
本記事は、SHHisのイベントコミュ【セヴン#ス】についてのまとめと感想からなります。また、「エロティシズム」などの哲学に連なるものについても読解に差し障らない程度に雰囲気を説明します。
また、【セヴン#ス】以外のコミュについてはあまり触れないようにします。
哲学要素
美──人間の認知について
認知機能における「美化」の作用は、元をたどれば動物的な危機の予測に係る機能であるようだ。
一般に動物にとっての自己以外の個体は資源的競合や被食の可能性などにおいて常に脅威である。一方で、高次の脊椎動物である哺乳類への進化の過程においては生殖の形式が卵生から胎生へと一般に移行するが、これの実現のためには個体同士の接触が必要になる。現在において哺乳類としてこの世界で生存している我々には、現前した他個体という危機を受容することを可能にした諸々の機能が備わっている。例えば、撫でられることが感触として気持ちよく思われることなどはそれに当たると言えるだろう。
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重要なのは、動物としての、原始的な危機の予測機能としての性格も依然として維持されている点である。例えば、「戦地の人間が強烈な閃光と爆音に硬直してしまった」といった話は、危機の予測とその危機に瀕した哺乳類的受容の一例である。
「美」とは概ね脅威であると言ってよい。
「美」が哲学的混乱を極めるに至った要素には、この原始的な危機予測と進化の過程において獲得された危機の受容のための機能の不和がある。痛み刺激がそうであるように、外界の脅威に関する動物の知覚機能は一般にポジティブフィードバック(ここではある刺激に対する反応の結果、ますますある刺激が蓄積され反応が亢進していく)によって調律されている傾向がある。これは元来危機の予測に関する機能である「美化」もその例外ではないようだ。即ち、大きな音には速度があり、光を放つものは熱く……感じられる。そしてそれらの反応によって、その印象は相乗的に高まるようである。
動物一般は、危機から逃避する機構を有しているが、哺乳類の場合はこの閾値を超えた場合に脅威を「美」として受容する機構もある。
そして、人間においてはこの「美化」の作用が、人間の抽象の認知機能と相まって、観念と自意識の領域にすらまたがるのである。また人間の無意識的帰納的類推が行う予想により、こういった美に関する刺激は対象の美しさに累積していくようである。
猥褻──エロティシズムについて
生の根底には、連続から不連続への変化と、不連続から連続への変化とがある。私たちは不連続な存在であって、理解しがたい出来事のなかで孤独に死んでゆく個体なのだ。だが他方で私たちは、失われた連続性へのノスタルジーを持っている。私たちは偶然的で滅びゆく個体なのだが、しかし自分がこの個体性に釘づけにされているという状況が耐えられずにいるのである。私たちは、この滅びゆく個体性が少しでも存続してほしいと不安にかられながら欲しているが、同時にまた、私たちを広く存在へと結びつける本源的な連続性に対し強迫観念を持ってもいる。
「猥褻」とは何か。「えっち!」というお前の感性がそれを教えてくれるはずだ。しかし同時にお前は知っているはずだ、「エロ」の道は奥深いのだと。何故こんなにも「エロい」ものは奥深いのであろうか。そして、それはなぜなのだろうか。
猥褻を定義する試みは盛んに行われてきており一定程度の結論が出ている。そしてこの結論は意外なことに、人間の行動原理のほとんどを説明してしまう可能性を持つものだった。
より正確に猥褻を理解するためには美を理解しなければならず、美を理解するためには哲学だけではなく、生物学を習うなどした方が良い。しかし我々は暇ではない。だからここでは敢えて端的に、雑で簡単な言い方をしよう、猥褻とは、「全体からの逸脱」である。まだ分かりにくいなら、「あるべき何らかがあるべき状態でない」状態と考えると良い。ここでいう「あるべき何らか」というのは、私たちの思いつく限りのあらゆるものである。
私たちは、この猥褻なものの存在を覚知したとき、人間は様々な方法でこれを猥褻で無くそうとする衝動を抱く。
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しかし、この社会に生きる私たちは、普段この衝動を抑圧して生きている。プラットフォームで嘔吐する大学生を線路に投げ込みその吐瀉物と同じ一片の染みに変えることもなければ、奇抜な服装で街を歩く女を襲いその装飾を破り捨て女というものに還してしまうこともなく、苛め抜かれた中学生や老いさらばえた醜男が英雄ならざる我が身を思い自らを死なせることも、やはり滅多には有り得ないのである。そしてそういった事態が起きたとして、その行為自体もまた多くはあるべき無意識の喪失を起点としている点において猥褻そのものであるのだ。
また、猥褻な状況が発生すると人間は不安という名称の激しい不幸に襲われる。これは慣れることで孤独と名称を変える。一方で、このあるべき状態からの逸脱は幸福の前提である。人間はこの逸脱による欠損の自覚が全体との和合により消失する際に幸福を感じる。
また重要なことに、「あるべき何らか」というものが、概ね「美」なのであるが、得てして「美」というものは、その「美」というものの性質故に絶対であるように見なされながら絶対ではないということである。
さらに、美というものは、その認識者が受けた影響や経験した物事に甚だしく依存する。相互に断絶しそれぞれの生を生きる我々にとって、我々はほとんど相互に猥褻である。特に、思春期というものは特筆するべき事象である。これは成長度の差異により高まった自他の懸隔への意識により無意識という全体性を喪失する事象である。
猥褻なものへの衝動は、心身の安全にとって言うまでもなく危険だ。我々はこの保身のために、猥褻な衝動を切実に「禁止」されていながらも幸福のためにこの懸隔を「侵犯」したいと考えてやまない。しかしこの「禁止」や「侵犯」というのは、あくまでも「猥褻」というものをいたく嫌ったキリスト教の、その思想習慣を背景とした欧米人の表現である。
恋をする私たちは思うのである。
しかし同時に、歌を歌ったのも、花を贈ったのも、そして人を愛してみせたのも、世界が美しいのは、俺たちが美しいのは、やはりそのためであるのだと。
コミュのまとめ
今回の【セヴン#ス】の主題は、「猥褻」とその前後である。
七草にちかと斑鳩ルカの対比を通して彼女たちの生き方を描いている。
またこの作品を通じて、何らかの定言的命令や強度のある思想的解答を示すことはなく、SHHis実装からこれまでに描かれてきた本質から実存への移行が決定的なものとして描かれた。
さらにこのコミュでは、彼女らを紹介する詩がつづられる。
耀いて、スパンコール・シャンデリア
スパイシー&ガーリーなダンスポップユニット。音楽はとまらない。だから黙って聴いていて。駆け出す心のBPMを、抑えられない旋律を。|わたし≪she≫が|わたし≪she≫になるための、1000カラットの物語を。
また一方では、彼らの連なるシリーズである「THE iDOL M@STER」シリーズ、それに含まれた、“THE iDOL”とは何かが示される。「アイドルマスターシャイニーカラーズ」からの回答と言えるかもしれない。
オープニング:蠢
SHHisの彼女らや、彼女らに並々ならぬ思いを抱く斑鳩ルカたちがそれぞれの活動に取り組んでいる。
かつてアイドルとして活躍し、そして芸能界を去った「八雲なみ」の楽曲がにわかに話題となった。謎めいた彼女の足跡を追う。
かつてのアイドル、「八雲なみ」についての取材風景から物語は描写される。一世を風靡し、引退後の現在においてはなかば伝説となった「八雲なみ」は、それほどまでに「優秀」なアイドルではなかったようである。
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そしてある業界人が語ることには、「細い背中が逆光で燃えていくようであった」らしい。
なかには、取材やドキュメンタリーの作成そのものに消極的な意見のある者もいるようである。彼女は「そっとしておいてほしい、幸せでいてくれれば」と思うようである。
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一方で、七草にちかは準レギュラーのバラエティ番組にて収録直前の打ち合わせに臨んでいた。
軽口を叩きつつ和やかな雰囲気であるが、七草にちかの内心は、元レギュラーである自分の準レギュラーへの後退とともに、同じく本番組の準レギュラーとなった斑鳩ルカへの関心で占められている。緋田美琴をめぐる七草にちかと彼女との確執が【モノラル・ダイアローグス】や【G.R.A.D】コミュで描かれてきた通り、七草にちかと斑鳩ルカはともに、特に緋田美琴に関わる確執から、「奪う/奪われる」あるいは「奪った/奪われた」と考えているようだ。
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七草にちかが回想するのは、以前の番組の同コーナーの映像である。同じ「あつあつ」で誤魔化した回である。
斑鳩ルカは自らを「姐さん」と呼んだ番組出演者であるお笑い芸人に思いのほか素朴な返事をしつつ、見た目とは裏腹にたこやきに息を吹きかけて冷まし、そして熱いままのたこやきに火傷をした。
それを見た番組共演者たちは「かわいい」と述べている。
少なくとも出演者からは、斑鳩ルカは評価されているようである。七草にちかは無言のまま自らの番組での、引いては諸々の立場などに思うところを抱えつつ黙殺している。
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一方の斑鳩ルカも、イベントシナリオコミュ【線たちの12月】での283プロダクションプロデューサーとの悲痛な出会いや、同じく【モノラル・ダイアローグス】にて劇的な邂逅を果たした、元ユニットメンバー緋田美琴の現相方である七草にちかが思い出され、そのたびに苛立ちを露わにしていた。
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283プロダクション事務所では緋田美琴がボーカルレッスンに取り組んでいる。キーボードの他には機材もなければ設備もない場所で、彼女はチューニングを始める。
レッスン室を用意できなかったプロデューサーは「ピアノもないのに」と詫びるが、彼女は気にしていないようだ。また以前に使用した調律されていない音程の乱れたピアノを思い出しつつ「キーボードは狂わないから」と応じた。
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錯綜するSHHisや斑鳩ルカ、にわかに注目された「八雲なみ」への興味に蠢動するSNS、プロデューサーの元に届いたある要請をよそに、無機質な442ヘルツはそのまま442ヘルツであった。
緋田美琴は始まりを予告する「A」を口ずさんだ。
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緋田美琴を中心とした七草にちかと斑鳩ルカの因縁は深まっている。
そんな折、八雲なみがひそかに噂された。
第1話:そうだよ
あるクラブから話題になった「八雲なみ」についての音楽イベントが催されることとなった。プロデューサーの元には、彼女のファンを公言している七草にちかへと「トリビュートギグ」の出演依頼が届く。
しかしプロデューサーは、七草にちかだけではなく緋田美琴にも出演を打診する。
斑鳩ルカのマネージャーは、荒み切っている担当アイドルへの対応や私的な生活との間で疲弊しているようである。
プロデューサーから緋田美琴へと、八雲なみの「トリビュートギグ」への打診があった。「音楽寄りのコアなイベント」で、出演者は八雲なみの楽曲の楽曲を一曲ずつ取り上げてパフォーマンスをすることになるらしい。
緋田美琴はこの仕事が七草にちかに来ている仕事ではないかと気が付き、彼にそのまま質問している。曰く、トリビュートギグというものはある種の再現音楽の試みであるらしい。
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主催者が言うことには「八雲なみでカラオケをしてほしいわけではない」ということでもあるらしい。特に、「ファン同士で懐かしむだけじゃなくて、八雲を未来につないでくれる」ことを望んでいるとのことだ。
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その上で、緋田美琴はどうしてプロデューサーが緋田美琴にこの仕事を打診しているのかを疑問に思ったようだ。プロデューサー自身も七草にちかが八雲なみのトリビュートギグに出演することについては二律背反を抱えている。彼は現在の自分の振る舞いについての具体的な動機を述べることはできなかった。ただ「大事な憧れに向かい合うのは」と言葉を濁すばかりで、結局のところは七草にちかの単独出演を是認しなかった理由については、緋田美琴に同意するように「分からない」ことを伝えた。
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ただし、そんな彼も、緋田美琴に七草にちかとの共演を持ちかけ、それを七草にちかがどう思うかとういうことについて問われた際には、明確に「相方だから」と答えた。
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緋田美琴は「トリビュートギグ」の中心となる八雲なみのことも、それに出演する七草にちかの心情も、自分が共演することで七草にちかが思うこととも、何一つとして分からなかった。そしてプロデューサーにもそれらが分からないのであれば、自分で見つけるしかないため、彼女は「もっと考える」こととした。極めて簡潔な論理である。
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そして彼女は八雲なみの音楽を知るためにレコードショップに赴いている。
そして彼女が探していたのは楽曲『そうだよ』であった。
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一方で、斑鳩ルカの私生活は依然として荒れているらしい。彼女のマネージャーは諸事への対処に追われ、有給休暇もまともに消化できていない。そんな彼女のもとには同僚からの心配もあり、体調を気遣うような親密な相手からの連絡もある。斑鳩ルカに大いに気を回し時間と体力をかけているものの根本的な問題には解決が見えず、彼女は疲弊するばかりのようだ。
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七草家ではゴミを捨てようとしているらしい。
七草はづきが「燃えないゴミ」をまとめていると、七草にちかの持ち物に見慣れない靴を見つける。この靴は【G.R.A.D】コミュにてプロデューサーが七草にちかに贈った彼女の身に合う靴である。七草はづきは「いい靴」と独りごちている。
七草にちかはその靴を「まだ捨てないやつ」であるという。いつか必ず捨てる、ダサい、靴なのだそうだ。彼女は、そう言いつつ、どういうわけかありし日のことを思い出していた。
そのようなことを思うたびに、「捨てる」という観念で頭を埋めようと試みていた。
しかし彼女は未だこの靴を捨てられないでいる。
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八雲なみのトリビュートギグを中心に物語が動き始める。七草にちかに来た依頼にも関わらずに、プロデューサーは緋田美琴にもこの仕事を打診する。
第2話:が/を
プロデューサーの交渉の結果、七草にちかにオファーのあったあるラジオ番組でトークステージの一環として、SHHisのパフォーマンスが行われることとなった。狭いステージや自身が口走った言葉への後悔などに七草にちかは振り回されるが、緋田美琴からの提案が功を奏したこともありSHHisは困難な舞台で成功を収める。
斑鳩ルカのもとには、彼女の母に用があって訪ねてきた大人が来ていた。
SHHisはプロデューサーの交渉もあり、ユニットでのパフォーマンスの機会を得られた。
七草にちかはこの舞台の交渉が行われていた会話を陰で聞いており、広告代理店の担当者が難色を示したことを知っている。
担当者は、想定されていた当初の予定とは異なる案に消極的にものを言った。ただし、ここでは先方が乗り気なのを知っていたとしても、一旦は難色を示しておくのは必ずしも悪いことばかりではなく、彼にとっては今後のために恩を売るのは仕事だともいえるかもしれない。
ただ、彼の言動にはややいい加減なところも見られる。
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また、七草にちかが立つこととなったステージは、SHHisのステージとして不足があるよう感じられ、アイドルと事務所の要求から無理に用意されたステージであるという感覚に拍車をかけている。
スタッフが用意したものはSHHisにとっては十分なステージではなかったのである。彼らは「ここまで動かれると思っていなかった」と言うが、見縊られていたと捉えて怒りを覚えてか、彼女はdemonishな表情を覗かせている。
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そんなスタッフへの感情に比して緋田美琴への応対は丁寧に見える。
「大丈夫」かと声を掛けた緋田美琴に、彼女は「ある振り付けで下がりすぎないようにする」とパフォーマンスにおける一応の対策を口にする。緋田美琴からの言葉の質問の意図が怪我の心配や集中できていない不自然な状態についてのものであるとは露とも思わない。
一般に、会話において曖昧で多義的な表現があった場合には、質問の主意を問い返すか、それとも返答した後にそれが相手の意向に沿ったものであるか確認する時間を持つのが普通である。しかし、ここでの彼女は他の何かが気になるのか答えるなりすぐに目を逸らしている。後述するアイコンタクトは、本来こういった非言語的な意思疎通の場に取られるものであるが、彼女はそのタイミングに気付かない。
そもそも緋田美琴の掛けた「大丈夫?」という言葉は、それ自体が明瞭な意味を伴わない、相手の様子を見ていることを示すだけの、いわばアイコンタクトと同じ意味合いの言葉のはずである。
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また、プロデューサーが舞台環境の改善についてスタッフと交渉することを伝えようとするものの、そういった提案すら七草にちかには無理に用意したステージだからこそその必要が生じたということばかりが意識され、邪険な態度を取っている。
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このまま舞台に上がることになるかと思われたが、楽屋での最後の確認の際に緋田美琴が先ほどのアクシデントへの具体的な対策を示す。
「振りの一部としてステージの後方を視界に入れられるよう向き合う」という単純かつ効果的な方法である。七草にちかはそういった対策を出せる経験や賢さについては関心を覚えず、むしろその動作を自然なものとするための「アイコンタクト」の要素に強く興味を惹かれたようだ。
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彼女にはモノローグで語るほどに強く印象に残っている。そして、効果的な対策を提案してくれたユニットメンバーへ、というには過大な感情をもって緋田美琴へと感謝を伝えている。
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浮かれる七草にちかだったが、廊下でプロデューサーに出会って再び表情を強張らせた。彼が持ち帰った知らせもまたステージの拡張という喜ばしいものであったが、一転して彼女は卑屈になってしまう。
彼女の胸には、今回のステージが先方の期待していない、無理に用意させたものであるとの観念が去来するのである。そうであれば、確かに無理に用意させたステージでパフォーマンスに関わらない私的な事情から喜びを感じた彼女は、確かに「悪目立ち」の「ダメなやつ」である。そうして「調子に乗るべきではない」と自らを戒めた。
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ステージの不足と自らの願望に短絡した理路を結んだ彼女は、今現在の仕事が確かにステージに立つSHHisの仕事であることを意識の外に置き、「バラエティ以外期待されていない」ことや「これはトークステージ」であることを殊更に強調する。
プロデューサーがこれに対して苦言を呈するも彼女は止まらない。
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ついには、この仕事を「美琴さんに来るわけない」「私の仕事」であると言い放ち、折悪くそれを緋田美琴に聞かれてしまう。
そして【OO-ct. ノーカラット】のクラブでの一幕のように、緋田美琴はやはり何も言わなかった。
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開演を待つ会場は期待しているようであった。MCも今日の客は幸運であると今日の公演に乗り気なようだ。
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舞台裏では、七草にちかが先ほどの自身の発言と、何も言わない緋田美琴への畏れから強烈な不安を感じている。人間は不安を覚えると知覚の感度を上げることで対応し、結果として自意識が膨らむようである。結果として不安は心身に様々な変化をもたらすが、それは例えば神経過敏の症候として現れる。このときの彼女は自身の肉体を過剰に意識してしまったようだ。
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七草にちかは、緊張から逃れるために自らのパフォーマンスに縋る。実際のパフォーマンスでは、無意識のうちに全てが片付くのが理想的だ。過度の意識は全体の動作から自然な機能の連動を損なうことが多い。個々の動作への意識は練習で行われるべき確認であり、無意識への統合を待つためのものに過ぎない。いわゆるイップスは、肥大してしまった意識がこの無意識的動作に干渉することによる。自意識を過度に肥やしてしまう不安が原因になることが多いのだ。
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思うさま混乱する彼女だったが、打ち合わせていた「アイコンタクト」にて緋田美琴からの視線に安堵を覚えたようだ。
これ以降の彼女のパフォーマンスは台詞に上るような意識を伴ったものとしては描かれない。「が/を」などと主格と目的格を定義付ける言葉の要請、主客などを考えてしまう自意識の苦痛からは一旦のところ解放されたようだ。
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舞台袖では、プロデューサーが自己の権益の確保などという自意識の権化のような仕事の只中にある代理店担当者と、やや前のめりにイライラしすぎたり舞台に夢中になったりしているプロデューサーが描かれる。
ここでは、七草にちかが初めのアイコンタクトを無視するに至ったように、プロデューサーやスタッフなどとは異なる関心のもとに現場に遅参した部外者の姿が描かれる。彼はプロデューサーと話しているようでいて話しておらず、その注意は会話よりも権益の確保を意識した散漫な態度のなかにある。
ただ、そんな彼もSHHisの彼女らが取った対策としての振り付けには「なんかいい感じの演出」と声を上げていた。
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公演終了後、プロデューサーは公演直前の七草にちかの振る舞いについて緋田美琴に謝罪する。しかし、七草にちかが自ら悔やんだ言動については気にも留めていないようであった。それでも意思疎通の不足があったと謝るプロデューサーを見て、彼女は七草にちかと同じだと笑っている。
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そして、緋田美琴は前話で持ち掛けられた「トリビュートギグ」への出演を承諾する。依然として、自身の出演や、憧れの八雲なみを再現することを七草にちかがどのように思うかは想像もつかないらしい。
しかし、緋田美琴は「やってみなければ分からない」と言う。八雲なみの『そうだよ』に含まれる不自然な振り付けの意図は分からず、取り組む楽曲を「形にした人」のことについてはやることではじめて分かるのだろうことが、きっと緋田美琴の出演や八雲なみの再現による七草にちかの思いにも言えるのだと答えている。
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そして最後に、緋田美琴と大事な憧れのアイドルを再現することになる七草にちかの心情を慮ることなどできないということについて、彼女はパフォーマンスに生きる人間として、「今日できるか」「明日もできるか」ではないかと素晴らしい決意を口にする。
行為の過程、つまり美たる理想を追求する道程には、数多の先人たちの足跡が見つかる。あまねく努力、特に再現音楽の試みの喜びは、あるいはこの美への、作った者や先を行った者たちへの同化の喜びがある。緋田美琴はそれを知っている。言葉よりも鮮烈な一致を彼女は得てきた。
彼女の口にしたアイドルを含むパフォーマー、行為者としての心構えは表面的にはやや的を外しているように思えるが、そこには言語を越えた原体験による意思疎通が指示され、そして自らがそうできるように、それがプロデューサーや、ひいては七草にちかにもできることを疑うことさえしない楽観的な信頼が窺える。
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第2話では、期待と幻滅を中心に「理想状況に対する現実の錯誤」としての猥褻を描いている。
代理店担当者の発言をきっかけにして「皆に期待され皆の期待に応える」という理想への猜疑心を抱いた七草にちかには、舞台に携わる人々やステージが猥褻なものに映る。これにまつわる振る舞いはありえた意思疎通の機会を逃し、放埓な発言は直接的にはプロデューサーを、緋田美琴への畏れから間接的には自らを傷つける。パフォーマンスにおける運動の失敗というものも、理想的無意識の喪失という点において彼女の猥褻な有り様を暗喩している。また、「皆に期待され皆の期待に応える」という彼女の理想自体も示される。
一方で、緋田美琴は対蹠的である。彼女は用意された舞台に疑問を抱かず、彼女は「今日もできるか」とあるべき理想の実現に集中している。そしてその過程において発生したリハーサルでの七草にちかの失敗は、慣れない舞台への不適応であるが、それ以上でも以下でもなく、彼女は理想の舞台を実現するための簡明な対策を立てている。彼女の目には、七草にちかの振る舞いのおおよそは、良くも悪くも猥褻なものとしては映っていないのである。問えば新人なら当然だとでも答えてくれるかもしれない。
普通の対応をするべきなのにも関わらず迂遠であったり会話を空転させる広告代理店担当者の猥褻な様態に、プロデューサーは未熟ながらも苛立ちから自由であろうとしている。七草にちかに対しても、彼は彼女の振る舞いが必ずしも良いものではないと認めた上で、明確にそれを咎めることは可能な限り避けているようである。
第3話:unrecorded
緋田美琴は八雲なみのトリビュートギグについて話した。始まった練習に臨む七草にちかも喜んでいる。
斑鳩ルカは、母である八雲なみのトリビュートギグというものを受け入れがたく思っている。
以前にもまして荒れた態度は彼女のマネージャーの負担となっている。
緋田美琴はプロデューサーに確認しないままに、七草にちかにトリビュートギグの話をしたらしい。
狼狽えるプロデューサーには、前話にてトリビュートギグへの出演を決めた際の「この話を進めよう」という言葉を受けて七草にちかに話したことを告げる。
ここでは自らが想定していた七草にちかへの仕事を打診するという状況に反したことについてのプロデューサーの描写が行われている。彼は、この事態を受けて一時動揺を見せるが、落ち着いてからは緋田美琴がユニットメンバーとしての意識をもって七草にちかに仕事の話をしたことを喜んでいる。
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七草にちかは憧れのアイドル八雲なみのパフォーマンスに尊敬する緋田美琴が取り組むことが嬉しいようだ。自らの好む話題であることに緋田美琴が八雲なみのことを知りたがっていることも相まって、嬉々として彼女の知り得る八雲なみのパフォーマンス映像を見せている。
この場面では、前話の「無理に用意してもらった」舞台とは異なり何らかの不和を感じていない。相手が望み、自らが望むことに臨んでいる彼女は幸福であるように映る。
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七草にちかの紹介した曲のなかには、緋田美琴には気になる振り付けを見つけた。その曲では右手の表現がパフォーマンスによって変わっているらしい。七草にちかは客の反応などに合わせて変えているのだろうかしらと思っている。その表現のなかでも、彼女は右手を「ぎゅっ……とするパターン」が好きなのだという。
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七草にちかは自身も同じ舞台に立つはずであるのに、練習をしている緋田美琴に見入ってしまっていた。彼女はその理由を憧れの八雲なみのパフォーマンスが憧れの緋田美琴によって行われることと解釈したようである。
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緋田美琴はそんなやりとりの中で、八雲なみの楽曲を口ずさみながら、かつて聴いたその曲とともに、その曲を口ずさんでいた者のことを思い出している。
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短いやりとりのあと、振り付けの確認を続けている緋田美琴の姿をただ見つめていた。
緋田美琴は踊っている。緋田美琴は「綺麗」であった。
七草にちかは憧れの緋田美琴による憧れの八雲なみのダンスを目の当たりにしながらも、七草にちかは自らの言ったように幸福ではないらしかった。
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斑鳩ルカは、母である八雲なみのもとに報告されたトリビュートギグについての話を聞いて荒んでいる。彼女の見た詳細には、八雲なみを引退に追いやった天井努が設立した「283プロダクション」が、そして彼女自身から緋田美琴を奪った七草にちかが出演するらしい。
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彼女は母親の歌を思い出す。彼女にはその歌が「泣かないで」と願う母の姿を伴って思い起こされた。
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斑鳩ルカのマネージャーは担当アイドルの激しい振る舞いに応じて、傍から見ても無理をしているようである。しかし、斑鳩ルカは母のことを思うばかりであった。
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第三話では、猥褻のなかでも、より美の喪失に関する予感について描かれる。トリビュートギグにおいては、七草にちかの憧れである「八雲なみ」というものの姿が、目の当たりにした「なみちゃんより圧倒的に上手い」緋田美琴のダンスという現実によって踏みにじられる。そしてその事態は思うことすら憚られ、逆説として思われるばかりであった。
そして一方の緋田美琴や八雲なみ、ひいては斑鳩ルカですら、まさしく七草にちかの思う憧れの緋田美琴や過去のトップアイドル、あるいは憎き競争者その人というわけではなく、七草にちかの知り得ない様々な因縁が背馳しているようだ。七草にちかの信じる幸福な時間はこれからの足取りは、当然の状況というものが立て続けに崩壊していく危険なものに思われてならない。
第4話:そうなの
あるベテラン業界人との会話のなかで、プロデューサーは斑鳩ルカの出自と天井努の因縁を知る。
彼との伝手でSHHisは新たに音楽番組への出演が決定したが、その本番の最中に七草にちかはまた音程が分からなくなるトラブルに遭う。
斑鳩ルカは懊悩の果てに母である八雲なみのトリビュートギグへの参加を希望する。
プロデューサーはある業界人と話すために久しぶりに同席していた。彼の態度から、この業界人はそれなりの立場がある人間らしく思われる。 プロデューサーは八雲なみについて知りたくてこの業界人を頼ったらしい。
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彼は八雲なみについて語るよう請われ、当時を振り返る。その頃の彼は新人でディレクターに無遠慮な指示を受けて働く立場にあったらしい。そのような時代のことを話しているのにも関わらず、彼は楽しげである。
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そして彼は天井努の話を語り始めた。
彼はかつて八雲なみのプロデューサーとして働いていた。自分は新人だからそういった冒険とは無縁であったと言いつつ、天井努が八雲なみのデビュー曲が「思いのほかハネた」ために、彼は「確実に」「コケたら終わる」ような強引なことをしたのだと語る。
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その結果、八雲なみは一躍人気が出て、芸能人として成功を収めたらしい。プロデューサーはこの一連の話を聞き「プロデュース力」と呟いている。
ここまでの一連の描写にて、この「レコード会社ベテラン」の性質が示されている。彼は扱き使われた過去を懐かしみ、プロデューサーやSHHisが「強引」であったことを強調し喜ぶベテランである。こういったある種の人間については優れた批評がある。
「年長者は、壮年になり、中年になり、老年になるにつれて、動物園の獣が自分の糞(ふん)にまみれてゆくやうに、利害の打算と遂げられなかつた野心への絶望にまみれてゆく。人生はだんだん面白くないことの連続になつてゆく。そのときになつて夢みるのは、自分がもう一度青年だつたらなあ、といふことしかなく、あらゆる可能性と夢と理想を青年像に持ち込む」
ここで暗示されるのは、彼は「侵犯」を行わなかった者であるということだ。彼は天井努の危険な行為に憧れを抱きこそすれど、実際にはやらなかった人間である。彼は無難な人生を送り、順調に出世をし、維持してきた伝手をもって今や業界に発言力のある人間になっているらしい。
しかし、彼は今や「ベテラン」であり、即ち、老いの陰があり、かつての憧れを自らの身に実現せんとする無謀さを持ち合わせてなどいない。彼はかつての憧れをかつて自己にその無謀さがあったはずの年頃の若者に重ね、その自己を投影した若者に行為、危険な「侵犯」を代償することを願う人間であるらしい。彼は死んだほうがよいのに死ななかった老人というものである。
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さて、そんなベテランが語ることによると、楽曲「そうだよ」が収録された最後のシングルは事情が違ったらしい。これまでの八雲なみのイメージとは違い、派手なダンスや演出もなかったとのことだ。
このCDの売れ行きは芳しくなく、結果として損失が生まれたようだ。
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そして、この記憶が新しいうちに、八雲なみは芸能界を引退した。その引退を受けてゴシップ紙を含む芸能関係メディアは食い付いたらしいことが沈黙のうちに暗示される。
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彼は「ありふれた話」だと語り、そしてそれでも八雲なみが今も元気であれば救いだと考えるらしい。ここでは前述した彼の性質における現在に対する過去への過大なる尊重と、「今の若者」に侵犯を要求すれど「過去の私たち」にはそれをしないところが反映されている。
そして彼は八雲なみと斑鳩ルカの関係を漏らす。
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八雲なみの娘が芸能界隈で活躍していることを話してしまうことは「マズい」話であるらしい。
期せずして、行為、特に秘密の暴露というモチーフィックな「侵犯」に及んでしまったこの男は大きく狼狽えている。
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彼はそのままなし崩しに引退した八雲なみと天井努、そして彼に与した弁護士の話などを話す。
そういった会の終わりに、この業界人はプロデューサーに「今の人なんだから」と声を掛け、彼はパフォーマンスの舞台を求めている彼らに向けて置き土産を残していく。そして彼は、彼が試みずに諦めてかつての青い理想を口にする。
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しかし、呪うような一言も告げるのである。
ここでは、283プロダクションという全体から逸脱したものとしてSHHisが指されている。これは若者に「侵犯」を求め、自己の「侵犯」を恐れる彼にとっては批判ではなく誉め言葉であると考えられる。明らかに不快な一言であるが、ただし、プロデューサーとして反駁しない。
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緋田美琴は上記の業界人が取り次いだ音楽番組の仕事に来ている。彼女は控室でトリビュートギグに向けて楽曲「そうだよ」を口ずさんでいた。そのメロディーに思い出されるのは斑鳩ルカのことであった。
彼女はアイドルの練習生時代、斑鳩ルカと同じく過ごしていた日々を回想する。
レッスンでは完璧であるが「自分を出さない」ことに不足を感じられていたらしい。
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「自分を出す」ということについて、緋田美琴が「準備不足だったかもしれない」と自己の不完全さを理由に考える一方で、斑鳩ルカは「自分を出す」ことそれ自体が良いということ自体に対して疑いを持ち、さらに「見たいヤツがそう見る」と言っている。
ここでは、第2話「が/を」における七草にちかと同様に、彼女には主客に基づく単純な二元論的発想に結論を持ちたがる傾向と、その単純な発想によっては理解できない様態への否定的言動が認められる。
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回想の続きに思い出すのは彼女らのデビューが決まったときのことだった。彼女らの表情は明るい。素晴らしい喜びの瞬間である。
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七草にちかは自らの持ち物である八雲なみに関する収集物をまとめている。これは緋田美琴の役に立つ資料である。本日の仕事はユニットのパフォーマンスができる仕事であり、緋田美琴にはそこでこれを手渡そうと考えていた。
ここで、この仕事は前話のトリビュートギグに向けた緋田美琴との練習にて八雲なみの話ができたことと同様に、相互に望み望まれる、無理に用意されたものではない仕事である。
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緋田美琴との仕事であること、彼女の力になれることに上機嫌な七草にちかは、意気揚々と控室の扉を開けるが、折悪く斑鳩ルカの名前を呼ぶ緋田美琴に会ってしまう。
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彼女の表情は先ほどの陽気さが嘘のように曇り、飛び出した彼女は先刻の浮かれた自分を戒める。
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そして迎えたリハーサルでは、七草にちかはまたしても音程感を失ってしまう。彼女のためのソロパートで彼女は歌うことができなかった。彼女は舞台の上で、歌っている緋田美琴を遠くに眺めていた。
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そして母である八雲なみのパフォーマンスが283プロダクションのアイドルによって「やられる」ことを思い、「誰なら歌えるんだ」と嘆いていた斑鳩ルカは、自らがそれをすることにしたらしい。
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ここではレコード会社ベテランの性質による暗喩とともに「侵犯」というものと人格の結合を描いている。プロデューサーは初めは畏れによるものから、そして最後には職務上の責任から、猥褻な者への自己の行為が掣肘されている。
七草にちかは、前話からの流れを引き継ぎ、抱いた期待が現実に打ち砕かれることとなる。責任のあるソロパートを前にして彼女は歌うことができなかった。
この話では、激しく「禁止」される彼ら彼女らの行為と、その相克に生じる歪みである自意識の増長が描かれる。
第5話:shhh
七草にちかはリハーサルで歌えなかったためにパフォーマンスを降板することとなった。そしてトリビュートギグの運営からは、緋田美琴と斑鳩ルカによる出演の提案があった。プロデューサーはこれを断ることを考え、七草にちかもこれに同調するが、緋田美琴はそれでも舞台に立つことを希望する。
斑鳩ルカは期せずして緋田美琴とのパフォーマンスの機会を得るが、しかし彼女は違和感を感じてしまう。
前話、パフォーマンスにてトラブルのあった七草にちかには、同じアクシデントへの対策が不可能に思われた。幸い、緋田美琴の機転から大過なく舞台は終わり、かえってそれが良い評判を生む結果にさえ繋がったが、七草にちか自身の希望や、彼女の精神面に与える影響も踏まえて、トリビュートギグからの降板を決定する。
彼女の降板について、緋田美琴は体調など偶然によるものではないかと問うなど消極的であるが、プロデューサーは七草にちかが緋田美琴、つまり彼女の「アイドル」に迷惑をかけることを危ぶんでいることを伝えている。
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そして、七草にちかの降板を受けて、トリビュートギグの運営は(八雲なみの娘である)斑鳩ルカと緋田美琴の共演を提案している。そして斑鳩ルカの意向を受けてか、彼女の事務所はこの出演を希望しているらしい。前話から、八雲なみと斑鳩ルカの血縁関係は公然の秘密であり、運営と斑鳩ルカは互いに面識もあると思われ、やや打算も感じられる。
斑鳩ルカは七草にちかの失敗、そして彼女のトリビュートギグ降板を聞くなり彼女を嘲っている。
また、その状況を受けてトリビュートギグ企画から自身へ、緋田美琴との共演が提案されたこと、そして緋田美琴がそれを断らなかったことに喜ぶ。彼女は「美琴が戻ってくる」と幸福を感じている。
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一方で、プロデューサーは七草にちかへ彼女の降板と、斑鳩ルカと緋田美琴への共演の提案があったことを報告している。七草にちかはこれまでのコミュ描かれてきた斑鳩ルカとの因縁から、元いたユニットメンバーであり緋田美琴に相応しい人間として斑鳩ルカと緋田美琴との接近を恐れている。
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動揺する七草にちかに、プロデューサーは共演依頼を断ろうとしていることを告げる。彼は七草にちかへの影響を含め、ユニット「SHHis」としてのことを考えて断ろうとしているようだ。
この場での七草にちかは、彼に共鳴して斑鳩ルカと緋田美琴の共演を拒否している。
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しかし、家に帰り、しばらく経ってから、七草にちかはもう一度事務所に赴く。そして、彼女は先ほどの自身の言葉を翻し、緋田美琴が希望に委ねることとした。 七草にちかは、先刻プロデューサーが共演を拒否しようとする理由に述べた「七草にちかも緋田美琴もともにシーズである」という旨の言葉に応じ、七草にちかは「こっちを見てもらえるまでシーズではない」のだという。
ここでの、七草にちかの振る舞いには繊細で微妙な心情が感じられる。ここまでに描かれた「無理のない相互関係」への思いを遂げるためには、前提として相互に自由な発想が行われる必要がある。彼女への命令というものが行われてしまえば、緋田美琴自身が自らの自由な発想のもとで七草にちかと同じ結論である共演の拒否に至ることはない。
そしてここにおいて、「こっちを見てもらえるまでシーズではない」という文脈から、(【ノーカラット】においてもこれは示されているが改めて)彼女の抱く「アイドル」というものの観念が明示されている。即ち、彼女にとってのアイドルとは、「パフォーマンスを求められ、パフォーマンスを求める者」であるらしい。
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あくまでも共演してほしくないが、緋田美琴への命令は拒否しているらしい
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そして、当の緋田美琴と斑鳩ルカとの共演に消極的なプロデューサーとの会話が描かれる。緋田美琴は彼の意向に関わらず、舞台への出演を希望している。
プロデューサーは彼女が常日頃掲げている決意である「今日もできるか、明日もできるか、それだけ」という言葉を受けて、「アイドル」として或いは「シーズ」としてはどうなのかと問う。
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彼女は、彼女の望みを言葉にする。彼女は舞台に立つことを望んでいる。彼の言った「アイドル」や「シーズ」というものは、舞台に立とうとする自らの望みに、何らかの関わりがあるのではないのかと問い返す。
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それから、緋田美琴は決然と出演することを告げた。
彼女が言っていることは一貫している。プロデューサーは理解できておらず、彼女自身も言語に頼りそれをすることに慣れてはいないが、パフォーマンスを通して何かが一致し得ると彼女は信じている。
そして彼女はパフォーマンスにおける自己の一挙手一投足が、全人的にアイドルなのではないか、そしてプロデューサーのいうシーズなのではないかと考えているように思われる。そこには、彼女自身が「完璧」という理想を目指し続け、そしていつも叶うわけではなかったことと、同じように完璧ではない誰かがいた痕跡が感じられる。その理想との距離が小さいほどに、その人間の性格や、思いや、美学や、苦しみや、喜びが克明になる。
彼女はあくまでもパフォーマンスを通しての意思疎通を信じている。
また、斑鳩ルカが緋田美琴が自身との共演を、自身との共演という点に重きをおいて選択したわけではないというところには彼女の期待との齟齬がある。
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そして緋田美琴と斑鳩ルカの共演が決まった。
斑鳩ルカと緋田美琴は久しぶりの練習に臨む。彼女は幸福そうである。
八雲なみのパフォーマンスを知る斑鳩ルカは、緋田美琴のパフォーマンスを見て、前話の七草にちかと同じく八雲なみよりも優れていると感じる。
二人での日々を懐かしく思い、その日々が帰ってきたことに喜びつつも、緋田美琴にはいくらか変化があった。これに違和感を覚える彼女であったが、斑鳩ルカは目を瞑った。不幸の良くないところは与えられた幸福を疑う力を奪い去ってしまうことであるよう思われる。
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また、緋田美琴は斑鳩ルカにも以前から気になっていたアドリブについて訊ねている。彼女は八雲なみの娘であり、思うに何かを知っているのかもしれないが、分からないという旨を伝える。
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またいつしか七草にちかが好きだと告げていた右手を「ぎゅっ」と握る振り付けは、斑鳩ルカにとって好きなものではないのだと言っている。
ここまで多くの相似が描かれてきた七草にちかと斑鳩ルカであるが、ここでは明らかな対蹠が描かれる。
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それから、斑鳩ルカは思いつき、この振り付けはそれぞれのアドリブにすることを提案した。
ここでは先刻の七草にちかと同様に、決められた振り付けではない部分を残すことにより、強いることのない偶然の一致を願う心情が示される。斑鳩ルカは幸福をより確かなものにするための儀式を必要としているようだ。
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この話では、七草にちかにとっての「アイドル」というものの姿が示される。彼女にとってのアイドルとは、特にそのパフォーマンスという行為の動機においての猥褻さを伴わないものであるらしい。そしてこれまでの彼女の言動からはこの動機における猥褻の有無が影響していることが分かる。
緋田美琴は一貫してパフォーマンスへの動機が揺らぐことはなく、七草にちかの降板を受けてなお、ステージに立つことを望む。この決断は必ずしもプロデューサーや、間接的には七草にちかの意向に沿うものではないが、彼女はシーズ、そしてアイドルとして立つ、立ちたいのだという。トリビュートギグに向かって行われている八雲なみその人の調査やこういった言動からは、パフォーマンスには全人的な存在としての自己の全てが表されると信じていることが窺える。
斑鳩ルカは前話までの七草にちかと同様に、彼女は目の前の幸福を疑うことができず、およそ叶う可能性の低い期待、即ち状況における理想を抱いてしまう。
第6話:recorded
緋田美琴はトリビュートパフォーマンスの完成を目指して八雲なみについて調べている。斑鳩ルカは緋田美琴との共演に幸福を感じている。
七草にちかはしばし塞ぎ込み、それから練習を再開した折に、緋田美琴からの連絡を受け取る。
事務所ではプロデューサーが疲れ切っていた。疲れからか不注意なミスを連発するところを七草はづきに見られてしまう。七草はづきの心配の言葉にプロデューサーは「自分なんか」と口にする。彼に対して、彼女はその後を引き継いでいる。
これは無力感の前に状況に打ちのめされそのことを口にすることさえ躊躇われるように感じているプロデューサーに対して、それほどまでに気にすることはないという意志表示を伝えるものである。彼の感じた「担当アイドルの肉親に心配を掛けてはならない、口にすることなど決してできない」という「禁止」の観念に対して、彼女は率先して「侵犯」を行っている様が示されている。
七草はづきの振る舞いは時折見かける気遣いの形式であるが、プロデューサーはあまりに疲れすぎていた。
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これを詰問と捉えた彼は、人間同士の会話における社会常識の範疇を越え、弁明を始めてしまう。難なく伝わるはず自らの表現が伝わらなかったことや、彼があるべき振る舞いを逸脱し続ける状況は猥褻なものである。
しかし七草はづきはこれを静観している。
そして、彼女は彼の言わんとすることを汲み、また自ら庇護者たるべき七草にちかに向き合ってきたことについて、距離のあるべき同僚としてはおいそれと語るべきでないことを語っている。
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七草家の子女たちは、親を失ってしまった彼女らは早くに自立を迫られ、危険なことに取り組むこととなったのだという。年長者として責任を持った七草はづきは、そういった危険から七草にちかを遠ざけようとしたものの、完全に実現できるものではなかったのだという。
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そして、その話を受けて、彼が問わず語りに言ったように、逃避は再現性の点から問題の解決にはつながらない。そうであれば、七草にちか自身に危険な仕事を任せることで自立を促し、自身で状況を乗り越えることができるまで見守るべきなのだと考える。
彼は、そのように七草にちかに接することを告げ、その庇護者であり、彼女を庇護者として彼女の危機を自らの危機とせざるを得ない者に宣誓する。
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七草はづきはそれを受けて、自らの喩え話に準えて大げさだと呟いている。そして冗談めかして羨望の言葉を口にする。
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それによりここは「侵犯」のモチーフとしての文脈がある
七草にちかは塞ぎ込んでいた。当番制の家事が七草はづきに任されていたこともあり、およそ何もせずに過ごしているらしい。
七草はづきも、切らしたマーガリンを買ってきてやることも、ましてや家にいてやることもできないようだが、あくまでも放任している。七草にちかも塞ぎ込んでいても食事は摂っているらしい。
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しばらくして、死んだように過ごしていた七草にちかはレッスンに向かった。じっとしていたためにプロデューサーから贈られた身に合った大きさの靴が履けないほどに浮腫んでいる。
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出しを始めた声には、まるで音程などなく震えており、聴くにも出すにも堪えないものだ。頭の中はトリビュートギグに出る緋田美琴と斑鳩ルカのことばかりである。穏やかな集中などとは無縁のままに、それでも声を出している。
舞台に上がることもできず、緋田美琴が斑鳩ルカとの共演を選ぶこともなかったことを受け容れることに時間を要したものの、これに慣れたようである。食事は摂り、浮腫んだ足や、失った音程を取り戻そうとしていた。
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そんな折、緋田美琴から連絡があった。
緋田美琴は、楽曲「そうだよ」のパフォーマンスの方針を決定したから、それを見てほしいのだと言った。
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七草にちかは最早出演することはないが、緋田美琴は彼女が用意した資料に目を通していた。その資料には既存のものに限らず、舞台に向けて新たに調べたものもあるらしい。
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また、彼女は資料を当たるだけでなく、八雲なみを知る様々な立場の様々な人々に話を聞きにも行っている。
三者三様の意見があったが、緋田美琴が分からなかった「右手を『ぎゅっ』と握る振り付け」は、どうやら振り付けではないらしいという者があった。彼女はこの考えを印象に残している。
また、事情に精通しているであろう業界人や当時の録音スタッフだけでなく、末端のステージスタッフや、果ては評論家なるものにまで話を聞いている。
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そして、過去の思い出に浸る者や今の八雲なみの身を案じる者など様々に彼女を語り、様々に彼女についての意見を述べていた。緋田美琴が特に知りたいと考えている振り付けについての考えは必ずしも聞こえてはこなかったが、緋田美琴は気にせず人を訪ねていた。
特に彼女の印象に残ったものは、「こぶしを握る」という動作はある種の演出ではなく、心情から接続して発生した自然な動作として発生したものではないかというものであった。
特に、その彼女の動作は、不安や緊張を伴う舞台で現れたものであるらしいのだった。
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斑鳩ルカは緋田美琴との共演が決まってから、ここまでの不安定な姿が嘘のように明るくなった。
マネージャーへの気遣いすら覗かせており、いかにも幸福である。
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それでも彼女のマネージャーの心配は尽きないらしい。
斑鳩ルカはそんなマネージャーに練習をしているはずの緋田美琴に会いに行くだけだと告げている。
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かつてそうしていたのだろう、緋田美琴の練習を覗くのだと意気込んで、以前より使っていたレッスン場のはずだと斑鳩ルカはタクシーに乗り込んだ。
送ったメッセージに反応はなく、彼女はそれすらもきっとレッスンが始まったからに違いないと考えていた。
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緋田美琴は、レッスン場にはいなかった。今日の彼女は練習をしておらず、彼女は今まさに、七草にちかの前で、SHHisとして、今の彼女の居場所に来た。
緋田美琴は自分の発想のままにいつもの練習場所に来た。七草にちかもまた、練習しようと思えども、場所に拘泥することはなくいつもの場所に来た。この偶然は彼女にとり幸福である。
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七草はづきとプロデューサーの会話では、猥褻にならざるを得ないプロデューサーに対する七草はづきの言動を通して、猥褻なものに対する人間の心情への配慮を踏まえた大人の会話が描かれる。第2話での舞台の成功や第4話でのベテラン業界人の縁から舞い込んだ仕事など、猥褻な状態を目前に「侵犯」を選ばず耐えることで得られるものがあることを描きつつ、「侵犯」を行うことにより意思疎通が成立し得ることもまた示されている。
七草にちかは、緋田美琴およびSHHisとして十分でない我が身に不安と孤独を味わいはしたが、自らの欠損を回復せんとする力は失われていないようである。
一方で、緋田美琴はどうしてそこにあるのか分からなかった『そうだよ』の「こぶしをぎゅっと握る」動作について考え、その果てに八雲なみの心情への、言語化の手続きを伴わない体験的合一を得る。その振り付けは、未来に存在する不安や緊張による「禁止」とそれを「侵犯」する行為者としての勇気についての儀式が「こぶしを握る」という動作に紐づいて形成されていったものであるよう考えられる。緋田美琴は、その動作を自らのものとすることを選択した。
そして、七草にちかと緋田美琴は「いつものレッスン室」という場所における合一を果たす。
一方で、斑鳩ルカはSHHisの二人がしたような合一を期待していたものの、それを得ることはできなかった。
エンディング:そうだね
緋田美琴と斑鳩ルカのトリビュートギクは成功に終わった。華やかな舞台の裏で、斑鳩ルカは悲しみに暮れる。
舞台に上がることのできなかった七草にちかは路地裏に打ち捨てられたビール箱に登り歌う。
緋田美琴は考え続けたアドリブを「こぶしを握る」ことにした。
七草にちかにその理由を聞かれた彼女は「上手く説明できない」と断った上で、「彼女が、彼女でいようとした振りだから」と彼女なりの言葉にした。
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緋田美琴は、斑鳩ルカにもその決定を告げていたらしい。実際にやってみせたのを見た斑鳩ルカの脳裏に浮かぶものは、母である八雲なみの苦しそうな姿の記憶であった。
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過去の二人を良く知り、今も斑鳩ルカのマネージャーである人は、共に練習する姿を見て、それでも緋田美琴は「シーズ」であると言う。
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また、マネージャーからプロデューサーへ、彼女らの解散に繋がった運営側の事情が打ち明けられる。彼女が言うには、彼女らの「力不足」により「軌道に乗せられなかった」そうで、それから斑鳩ルカの個性を売り出すという方針を変更し、結果としてそれが不和を招いたらしい。
ここでは、欠損の解消という最も基本的な行為の動機と、それによって失われた更なる欠損、そしてそれに斑鳩ルカが苦しんだことを示している。
彼女が引き続き語るには、幼い頃のきっかけだけで理想を目指し続けていたアイドルの緋田美琴は、ようやくアイドルであること、アイドルであり続けることの動機を見つけたのだという。
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トリビュートギグで、緋田美琴は単なるパフォーマーではなく、アイドルであるように映った。彼女はトリビュートの試みを通じて、「八雲なみに求められた」ものを感じたのではないかと考えている。
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トリビュートギグが始まった。
本番の舞台上で発された緋田美琴の442Hzは、遠く離れたレッスン室にも響いていた。彼女の歌う「そうだよ」のフレーズは、呟かれたのと同じピッチ、同じテンポで進行している。
斑鳩ルカはトリビュートギグの舞台上で、緋田美琴の踏まれたステップから、それを生んだカウントから、かつての記憶の「美琴」との違いの全てから、自分の知らない彼女の時間を見ていた。彼女はもはや斑鳩ルカの記憶の中の「美琴」ではない。
緋田美琴に最も近い場所で、斑鳩ルカはSHHisの緋田美琴をはるか遠くに眺めていた。
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七草にちかは自らが立つはずだったトリビュートギグの当日に、やはり、何もないままに練習をしていた。彼女はSHHisとしてのその練習がトリビュートギグの舞台上に繋がっていることを知らない。レッスン室に舞台の喧騒はなく、期待はなく、静かである。退屈なレッスン室のスタッフが退屈なままに挨拶をした。
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人気のない道で、七草にちかは在りし日のことを思っていた。
そこには彼女の「全て」がある。
それは歌を褒める父親であり、それに続いて笑う母親であり、今の七草にちかがそうするように感じた不満をひねくれた形で口にする姉である。
その「全て」のなかで、かつての彼女は歌を歌っていた。アイドルである彼女のための舞台の上で「なみちゃん」を歌っていたのだ。
彼女の「全て」は、彼女の思う「アイドル」と、彼女の描く理想と、失われたものと同じ姿をしている。
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退屈に猫が鳴いていた。彼女はそのまま、全てがあった日の舞台に上る。
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舞台はきっといつかと同じビールケースであったが、今の彼女には残酷な規格のままにビールケースである。変わらないままの大きさは、今の彼女の身体や、思い出の美しい舞台にとっては余りにも小さい。
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今の彼女は本当のアイドルがするように「A」を取る。
彼女はたどたどしい足取りながら、本当のアイドルの脚でステップを踏む。いつかは意識することのなかった音程は、夢を見るように震えていたい声にさえ意識されている。
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彼女は間違いなく、かつての幼い自分よりも、ずっと八雲なみに近いはずだった。それでも、彼女は「なみちゃん」のようなアイドルではない。いつかのように、彼女をアイドルだと言った誰かの声が聞こえてくることはない。
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夢と現実の狭間でうずくまる彼女に、そのとき緋田美琴からの声がかかる。
それは、とても当たり前の、トリビュートギグが終わったから戻ったのだという、それだけのことを告げる。
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七草にちかが幸福のあまりに、気付くべき自分の冗談に気付かなくとも、緋田美琴は「次の練習を始めないと」とビールケースに上ってよいか聞く。
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彼女は答えを待たずに舞台へ上った。
七草にちかは気を付けるように言おうとして、緋田美琴は聞かないまま、彼女らは舞台から転倒してしまった。
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七草にちかは謝る必要もないのに謝って、緋田美琴は無邪気に笑っている。
まるでおかしなはずなのに、彼女らは幸せであった。
そこはまさしく、「アイドル」ための舞台だった。
行為に及ぶ「侵犯者」は、自らの行為の洗練の果てにその概念が示そうとした理想という原型に漸近する。この原型は我々が無意識に想定する形而上の観念であり、イデアとして理解される様式の美である。そしてこの概念を言葉によって指す場合、「というもの」という総称で呼び、英語ではこの総称を"The"という冠詞によって表している。
緋田美琴のトリビュートギグは、あるいはこの夜の七草にちかにとっての共演は、まさしく、誰かを傷付けるかもしれない、あるいは小さく危険で上がる意味のない、そんな「禁止」への「侵犯」という最も原型に近い行為として現れた。だから、この「ちっちゃい」ビールケースは、確かに、紛れもないアイドルの舞台であった。目前の未来に立ち向かいこぶしを握ったアイドル、八雲なみと同じように、彼女もまた"THE iDOL"と呼ぶに相応しいものであるらしいのだった。
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七草にちかは笑う彼女に「なみちゃん」の名が強く、そして何度も思い出された。七草にちかは彼女と笑っていた。
七草にちかの憧れた八雲なみは、彼女が憧れ、失ってしまった「全て」の象徴であった。「全て」と共に幼い彼女の前から失われた「なみちゃん」は、彼女の「全て」への憧憬そのものである。失われたものを代表する美しい者として、七草にちかにとってのそれもまたアイドルだった。
そして失うことを恐れた彼女の前からいなくなって、それでも帰ってきた緋田美琴は、彼女にとって紛れもなくアイドルであった。
彼女は取り戻せるはずのない空想から覚めようとした矢先に、もう一つの夢の続きに、脈絡なく、当たり前に救われた。
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事務所ではプロデューサーから天井努へと報告が行われている。
彼は報告を手短に終えると、何の前置きもなくおもむろに彼の知った天井努のかつての担当アイドル、八雲なみの話を始めている。
彼がプロデューサーというものの一人として、かつてプロデューサーであった者のことを思うには、当時失敗に終わった楽曲『そうだよ』はプロデューサーが自由に作らせてあげたかったものであるように感じられるのだという。
天井努は前置きなく話し始めたことに「なんの話か分からない」と答えるばかりで、プロデューサーの予想を否定することはなかった。
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プロデューサーがレコード会社の人間から聞いたところによると、『そうだよ』は従来の八雲なみの楽曲らしからぬものであったが、それでもレコード会社からの影響によって内容やタイトルを含めて変更があった末のものであるらしい。
『そうだよ』振り付けにある余る拍などといった違和感はこの影響によって生まれたものかもしれない。そのなかでこぶしを握る振り付けは彼女自身のものとして残されたものでもあるらしいのであった。
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プロデューサーは、それを思い返し、我が身を振り返り、改めて自身の置かれた境遇で、目の前のプロデューサーが経験したような干渉を受けず、即ち、彼よりも理想に近しい状態のままプロデュースを行ってきたように思われた。
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そんな彼は天井努に「相談がある」と言う。
その内容を確認した天井努にプロデューサーは感想を求めるが、天井努は「商談なら譲るな」と答える。
ここでは、身内として擦り合わせを行うのではなく、より明確に相互に隔絶した他者としての属性を強調しており、明瞭な逆説を、つまり禁止の可能性を孕む、行為というものに臨む覚悟を促している。さらに天井努はプロデューサーのした提案の内容には異なる意見を有していることも示している。
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「ラストシングル」だと言う天井努に、プロデューサーはまだ終わっていないものがあるのだと主張している。彼には斑鳩ルカのことが思われているようだ。
そして彼の提案はある種の「侵犯」であるらしい。行為一般がそうであるように、彼の提案もまた「侵犯」として様々に、自他に、変化や喪失をきたし、猥褻な事態を生じるに違いないのである。
それ故に「侵犯」、行為は、常に覚悟を要する。
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覚悟を問う天井努に、プロデューサーは信じることにしたことを表明している。彼の決意は、新しい色がたくさんの色と溶け合っていくものであるという、社会人としてはあり得ない、具体性に欠いた理解不能の抽象的なイメージである。
彼はそれを信じるらしいのだった。
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感想
【セヴン#ス】では、「猥褻」を中心に、彼女らの不安定な様子が解決する様が描かれた。その表題である和音として「セヴンス」は、解決を迫る不協和音である。この解決を訴求する違和感のある音を「猥褻」なものとして示しつつ、その解決もそれぞれに独立したアイドル像の合一、という和音的な形式で描かれた。
また、これまでのイベントシナリオコミュとは異なり、「猥褻」なものへの対処やそれ自体への評価に一定の指針を示すことはないのも特徴的である。今作における最終的な解決は、緋田美琴による「侵犯」と美への漸近という形式で現れたが、その一方で各話における事件においては状況や人物の「猥褻」さへの「禁止」によって成果が得られている。第6話での七草はづきとプロデューサーの会話に至っては、それぞれの場合に強く拘束された限定的な「禁止」と「侵犯」によって良好な意思疎通と実りある会話が実現されている。
【セヴン#ス】において描かれたものは何らかの問題についての回答ではなく、むしろ彼女らの現在に至るまでの足跡であるといえるだろう。
明瞭な定言が行われず物語然としたモチーフや表現は絞られながらも、登場するモチーフはいずれも現実の機能に即し、よく検証された考察を伴い用いられていた。
また、七草にちかと斑鳩ルカの類似性を示しつつ「ぎゅっ」とする振り付けへの思いを通した明瞭な対比が効果を上げていたように思われる。ここで「八雲なみ」の危険な「侵犯」に際しての態度によって、七草にちかと緋田美琴の、SHHisの彼女らの在り方を示してみせたことも今作における大きな進展であったように思われる。
音楽はとまらない。だから黙って聴いていて。駆け出す心のBPMを、抑えられない旋律を。|わたし≪she≫が|わたし≪she≫になるための、1000カラットの物語を。
これからの彼女たちにもまだまだ向き合うものは多い。斑鳩ルカの不幸は言うまでもなく、七草にちかについても緋田美琴とのユニットの一員としての合一が果たされ彼女の物語は一つの区切りがついたように思われるが、彼女自身のアイドル像は未だに失われたもののままであり、彼女の受難はこれからも続くだろう。緋田美琴も全人的なパフォーマンスや七草にちかとの一夜を通してアイドルというものになれはしたものの、「アイドルでなくなった後の人生」についての道筋は見えない。
彼女たちはまだまだこれからなのだろう。
全体の表現で言えば、一時期「話の流れが分からなくなる」と批判の声もよく聞かれたカットバックの多用が依然として使用されている。これについては今回のまとめの形式をカットバックに合わせることが難しかったことからも一理あるが、このような形式を取ることによってこのまとめから脱落している類の良い表現が数多く生まれていた。
また、カットバックの繰り返しのなかで維持されている進行の基準は全体の主題であり、提示された主題を把握した上で読めば、SHHisコミュにて取られているこの形式は可読性の観点からもむしろ優秀なものであるよう思われる。小説の手法ではまず取ることのできない形式であり、視覚や聴覚にも情報を入れ込める媒体特性の美点が良く出ており、個人的には非常に良い形式と評価する。
演者さんの演技においてもこういった媒体の美点はあり、例えば第6話のトリビュートギグとレッスン室で一致する音楽としての『そうだよ』のフレーズが音程の一致という形式で示されるなど、前面に押し出されると引き気味になるようなサウンドノベル特有の表現方法が必然性を伴って表れているのなどは好ましいものだった。
さらに言及の多かったものとして、楽曲『fashionable』に付加された意味合いについても言えば、特に ”なりたい姿はこんな私でしょう?” というフレーズに注目したい。ここには、ステージにおいて行為に及ぶ自己と、その行為によって身に降り掛かる猥褻に係る危機への自覚と、それに対する決意の含まれたアイドルのフレーズらしい。それを止めないで、信じてくれというのだから、黙って、あるいは煽り立てていきたいと思ってしまうようになってしまった。いけません、いけませんよこれは……。
また、まとめのなかでも言及したが、『アイドルマスター シャイニーカラーズ はばたきラジオステーション #235』(ムービー&ラジオ | アソビストア (asobistore.jp))において語られた、演者である山根綺によるチューニングをする緋田美琴のディレクションについての挑戦を好ましく思った。それが必ずしも正しいとは限らず、現状の演技も十分に良く、更にはトリビュートの試みそれ自体が常に良い結果に繋がると無責任に言うこともできないが、少なくとも私個人は様々な努力をしている人が素朴に好きだ。
これからも頑張ってほしいなと思います。
また、『THE iDOL M@STER SHINY COLORS 5thLIVE If I_wings.』 のタイトルそれ自体や、賛否両論であったday1の演出、そしてその参加者としての私たちの反応を含むライブに係るあらゆる物事の総体についても、このシナリオの次に迎えた5周年に向けてのライブとして、祝宴として、相応しいものだったのだと思われる。特に、ライブに向けてのノートを示す試みは筆記に臨む彼女らへのトリビュートとして、少なくとも私個人の範囲では大盛り上がりだった。ただし、day2の現地チケットを得ることが叶わなかったことは許されざることで、アーカイが既に見られないことも到底看過しかねる。クオリティを維持しつつ一刻も早くBDを出してほしいものである。
おわりの挨拶
この度も制作お疲れさまでした。面白かったです。次も頑張ってください。あと限定の小糸ちゃんが引けません。出してください。あと、次の周年実装は石が枯渇しているので恒常でお願いします。「我儘なまま」のチケットは両日アリーナ最前でお願いします。とりあえずはこの辺で終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
敬具