妻が探偵であることを確信した宮崎トリップ
広告会社のクリエイティブ局時代にやった最高の仕事って何?と聞かれたら、通常は「TCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞取らせてもらって〜」とか、「キャンペーンがめちゃくちゃバズって〜」とか「CMでキムタク起用したんだけど、実はキムタクって現場で〜」とか、そういう感じのことを答えるだろう。
しかし僕は迷わずこう答えるのだ。
「クライアントからのご指名で、堂々と出張でサーフトリップに行ったことだね」
サラリーマン人生で最高の「出張」
某大手環境系工業企業の広報宣伝部長Tさんは、湘南在住で生粋のロングボーダーだった。
Tさんは、年に1回「社内広報誌制作のロケ」という名目で、自社のプラントがある宮崎まで仕事を兼ねたサーフトリップに行くのが通例となっていたのだが、当時、弊社の担当営業Sがサーファーだったこともあり、Tさんのお供をすることになった。そしてSの機転により、「広報誌=クリエイティブの仕事」ということで、僕にも声をかけてくれたのである。
日程は金土日の2泊3日。そのうち本当に取材に行くのは土曜日の午前中だけである。しかも、取材と言ってもプラントの写真を撮影するのみ。その写真はTさん本人がコンパクトデジカメで撮影して、その間僕とSはレンタカーの中で待っているだけだった。
あとはすべてサーフィンの時間である。こんないい仕事があっていいのだろうか。一見、何の生産性もないただの給料ドロボーのようだが、接待ゴルフ同様、この出張によってTさんとの絆は明らかに強まって、その後のいくつかの制作物受注に繋がっていたから、サーフトリップは偉大だ。
期待に反してスモールコンディションの宮崎
ただ、いいことばかりではなかった。
まず、この時はウネリに恵まれなかった。金曜日、到着と同時に木崎浜へ直行した時は、まだコシ〜ハラぐらいの波が割れていたからよかった。
しかし、翌日仕事を終えたあと再び木崎浜へ向かうと、大きくサイズダウンしており、辛うじてヒザ〜モモの波が割れている程度。ロングボーダーのTさんとSはそれでも波乗りになっていたが、ショートボーダーの僕にとっては如何ともし難かった。
予報では、翌日の日曜日にはさらにサイズダウンが進むようだった。せっかく遅いフライトを選択して1日サーフィンを満喫しようとしていた一行だったが、流石のTさんも物足りなさが勝ったらしく「明日は朝一のフライトに変更して帰ろっか」と提案してきた。もちろんSにも僕にも異論はなかった。
よからぬ企み
その夜、Sと僕は良からぬ相談をしていた。Sも僕も、サーファーであると同時に、当時はスロッターだった。そして両者とも、まだ家族に「明日早く帰ることになった」とは伝えていなかった。
「行っちゃいますか?」
Sが親指でボタンを押すマネをしながら聞いてきた。「いい店あるんですよ」
朝一の便で羽田に戻り、そこからSおすすめの店まで移動してもまだ午前中。そこから、元々妻に伝えている帰宅時間までは8時間はある。イケる。勝負できちゃう。僕はその提案を受け入れた。
翌朝、宮崎空港で少し奮発したお土産を購入して東京へ戻った僕たちは、パチンコ屋へ直行した。
宮崎でいい波は掴めなかったが、品川のパチンコ屋で僕はビッグウェーブを掴んだ。等価交換(20円/枚)で1万枚弱。僕は満ち足りて帰宅した。
「どうだった?波は」
「うん、まあまあよくて楽しかったよ。はい、これお土産」
妻に聞かれた僕は、決して波が小さかったとは言わなかった。
いやー、充実した週末だった、いろいろと。僕は安らかな眠りについた。次の日に待ち受ける修羅場など、この時点では知る由もなかった。
シャーロック・ホーム妻
「お土産、朝買ったの?空港で?」
翌日、コーヒーを啜っていた僕は、妻の唐突な質問に虚を突かれた。思わずむせそうになる。
「え?な、なんのこと?」
僕の目はバタフライ状態だったに違いない。
「本当に昨日は夜東京に帰ってきたの?」
妻は、一枚のレシートを手にしていた。
あれは、確かにゴミ箱に捨てたはずのレシートだ。捨てた時は特に意識していなかったが、確かにレシートには「〇〇(店名)宮崎空港店」と、商品を購入した時間が刻印されている。
探偵だ——妻は探偵だったのだ。
蛇に睨まれたカエルとはこういう心境なのだろう。この時点で、既に僕は白旗を揚げていた。ここからどう取り繕おうと傷口を広げるだけである。僕は観念した。
この後、何が起きたかは敢えて書かない。なぜならもはやそれはサーフトリップとは全く無関係な出来事だからだ。
ただ一つ言えるのは、スロットで獲得した利益は、なんらかの形でキッチリと妻と分配しました、ということだけである。
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