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第13話 短編小説『図書室の彼女』

 高校の図書室は、いつも人気(ひとけ)がまばらだった。図書室の扉を後ろ手に閉めて、本の森に一歩踏み入れると、外へ張り詰めていた意識のアンテナが閉じる。素の自分に戻れる気がした。友達とはしゃぎ疲れた日の放課後など、時々ひとりで足を運んだ。

 その日も、図書室はがらんとしていた。受付にいるはずの図書委員も、席を外している。外では、野球部の練習の掛け声が聞こえる。
 今日は貸切か、と思ったら、窓のそばに誰かいた。元気なあの子だ。毎朝、無邪気に「のんたん、おはよう!」と抱きついてくる。小柄だがすらりと手足は長く、愛くるしい顔立ちをしている。「子鹿のような女の子だな」といつも感じていた。
声をかけようと近づいて歩み寄り、ハッとして足を止めた。そこには、私の知らない彼女がいた。

 その横顔に、日頃の天真爛漫さはなかった。本を開いたまま、頬杖をついている。ひどく、大人びた風情で別人のようだ。よく見ると、彼女の瞳は、手元の本ではなく、窓の向こうに向けられていた。と同時に、彼女の内側にも、深く落とされていた。可憐な顔立ちに差した影は、彼女をとても儚げに見せた。細い前髪が、そよ風にちらちらと揺れていた。私はしばし、彼女に見惚れた。

 快活な少女だ。しかし、時々、どこか秘めたものを私は彼女に感じていた。誰もそんな噂はしない。私がなんとなく感じていた部分だ。そこが、いま、無防備にさらけだされていた。
触れてはいけない。
そう感じて、そっと立ち去った。

 名のある旧家に育った彼女には、歳の離れた姉がいた。姉は、親の望まぬ男性と家出し、結婚していた。そのため、彼女は恋愛に関して厳しく言い聞かされていたそうだ。これらは、卒業後に、私が自分の母親から聞かされた話だ。
 彼女が、自分の家の話をすることはなかった。魅力的な彼女に言い寄る男の子達を相手にすることも、一切なかった。あの年頃の女の子が好きな恋の話にも、笑顔で相槌を打つだけで、全く乗ってこなかった。

「ほら、中田くんって野球部の子、いたじゃない?卒業後にお付き合いしたらしいのだけど、すぐ別れることになったそうよ」と、母親は付け加えた。
「ふうん」と言って、コーヒーを一口飲んだ。
 彼女の、揺れる前髪を思い出していた。

(800文字エッセイシリーズ  テーマ『図書室』)

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ありのり
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