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『ハブでも分かる!?偉老説伝』vol.3・4・5
『偉老説伝(いろうせつでん)』とは
1740年代に琉球王国の歴史書として編纂された『球陽』の外巻。
本作は首里政府が各地に命を出して集めたとされるその内容を、沖縄のポータルサイトDEEokinawaさんに漫画でゆるく描き下してみるという連載です。
DEEokinawa『ハブでも分かる!?偉老説伝』
第三回「天久宮の伝説・前編」
第四回「天久宮の伝説・中編」
第五回「天久宮の伝説・後編」
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原文
天久宮(あめくぐう)
今から四百七、八十年前のお話しです。
銘苅村(浦添間切)に銘苅翁子(めかるおうし)という人がいて、篤実温厚な人格者で、浮世の名利を事とせず、悠々自適の日々を送っていました。
ある日の暮方、天久の野辺を一人散歩していますと、不思議なことに出会いました。
かつて見たこともない、この世の人とは思われぬ、非常に気高い美人が、山の上から一人の法師を見送って降りてきましたが、山の中腹の洞窟(ほらあな)の所で消えてなくなりました。
洞の中からは、水が外へ流れでていますが、法師が現れ、その人も威厳高く、どこか普通の法師と違って見受けられましたが、今度は法師の方で美女を送るらしく、その洞から山の上に登って行くのでした。
翁子は法師の帰りを待ち受けてたずねました。
「法師は一体どんなお方ですか、又あの女の方は誰方ですか」
「儂はこの地に住んでいる者で、あの女の方は上の森に住んでいる者です」
といい、さっさと洞の中にはいりその姿は消えて、見えなくなりました。
翁子は驚きましたが、ーこれは、きっと神様の出現であろうーとそのことを具(つぶさ)に国王様に申し上げました。
王様は、これをお聞きになって、近臣をお集めになり、その実否をたしかめるようにお言付になりました。
近臣の方は洞窟にやって来て、わざと火をつけないお線香を捧げて拝礼すると、線香がともりましたので、近臣方は神霊のあるのを確め、そのことを王様に言上しました。
そこに神社を建てるようになり、天久宮といいました。
宮の傍に寺院を建てて、神社を看守させ、その寺を神応寺と申しました。
やがて神託がありました。
「我は熊野権現神である、女人は即ち弁財天女なり、今あまねく衆生を救うために此地に出現するなり」
と申され、その後附近は愚か、遠い山原からもぞくぞくと参詣するようになりました。
寺院は、もと神社の左の方にあったが、その後大島倉といい、大島、鬼界、徳之島、永良部、与論などから首里に貢物を納める倉でしたが、五島を薩摩に取られたので、その蔵を撤廃し、泉崎村の潮音寺をここに引っ越して、神社の看守をせしめたそうです。
註
天久宮は琉球八社の一つである。
八社は、波之上宮、末吉宮、識名宮、沖宮、普天間宮、八幡宮、金武宮、天久宮である。
これ等の宮には寺院があり、八幡宮だけは、応仁天皇、玉依姫、神功皇后の三柱を祭り、他は熊野権現を勧請したものである。
天久宮の近く「台之瀬」には仏国宣教師アドネー、その他米・仏の水兵・支那人の客死したものなどを葬った外人墓地がある。
天久宮に近い高台を、先樋川(サチヒジャー)といっているが、それは崖の中腹に泉がありこの辺一帯の地名となったと伝えられている。
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🌺ありんくりん帳🌺
※天久宮の創建は成化年間(尚円王〜尚真王時代・1465〜1487年)と伝わっています。
初の長編で、あれこれ試行錯誤した思い出深い話。
8コマ中どこで話を切るか、2・3話目ではどのようにあらすじを描くかで悩み、絵が多めの表現に落ち着きました。
絵でも美人と法師のタッチを変えて、この世のものではない感を演出。
この話のために琉球八社について調べられたのも良い経験です。