完璧主義者から、テキトーに「なれた」私の経験談
元々、私は完璧主義者だと思っている。元々が具体的にいつかというと、21歳ごろまで。今が26歳なので、つい最近といえば最近。
もっとわかりやすくいうと、学生の時は「絶対A型でしょ!」と言われていたのが、今では一番最初に「A型ではないでしょ」と言われるようになった。(果たしてわかりやすのかは、さておき)
何が自分をそうさせたかというと、もうこれ以上は生きていられないと、世の中や生きることから逃げたくなった強烈な原体験からだと思っている。
「完璧に、怒られないように、ミスしないように、誰にも頼らないように」というのを重要視してきた結果「生きるか死ぬか」みたいな間にまで追い詰められたのが21歳。
学生の時はそれでよかったものの、社会人になって1人で生きるようになって、この性格では生き苦しくなった。
そしてどん底まで落ちた結果、テキトーな人間になったというわけで。笑
テキトーってあまりいいイメージがないかもしれないが「そこそこ」「まぁいっか」みたいな思考って、結構重要だと思っている。世の中には「世渡り上手」と呼ばれる人がいて、うまく人と関係性を気づいて、ここぞというときに結果を出す人がいる。
今考えれば、うまく弱音を吐くことも、頼ることも、ある意味「戦略的」だと思う。そうした方が先輩からは「かわいい後輩」になれるとも思うし、助けてあげたいと思われる人になれる可能性が高いだろうし。
でもこういうことって、頭で理解していてもなかなか難しいと思っている。人が変わるきっかけやタイミングというのは「もう無理!!」みたいな、強烈な体験や感情が必要だと思うから。
以前一緒に働いていた先輩から「地獄みた方がいいよ(笑)」とよく言われたのですが、今ならわかります。
どん底まで落ちて、地獄みて、本気でいよいよ何か変えなきゃやばくね?という瞬間までこないと人って変われない。
だから、今なにか悩んでいることなどがあれば、とことん悩んでいいと思う。そしてその先で「本気でどうにかしなきゃ」と思ったタイミングこそが変わる時!中途半端が結局何も生み出さない。
とことん悩むのも、正直苦しいと思います。それに蓋をして見て見ぬフリをした方が楽ですもの。
でも私は、20代というタイミングで、自分の根本的なところを変えることができてよかったと思っています。ぜひ、このnoteがどなたかの思いや考えに共感できたら嬉しいです。