これまでの全てが無になろうと、そんなことはどうでもいいとすら思えた
今日、人に会った。
頭を殴られたような衝撃と、ずしんと重力を感じる純度の高い言葉に
心が震えて、身体も震えて、頭も震えた。
自分はこれまで命を燃やして何かと向き合ったことがあっただろうか。
何かを創ったことがあっただろうか。
心も身体も頭ももう嫌だ!限界だ!助けてくれ!と叫んでいるのに
憑りつかれるように身体だけは動いてしまったことはあっただろうか。
自分の甘っちょろい憧憬や覚悟がパラパラと音を立てて崩れ落ちていく。
どんな言葉を発しても滑る気がする。
だめだ。これは黙ったほうがいい。いまはこの瞬間の全てを感じ取るのだ。
今日、そんな人たちが働く現場を見た。
そこには机があった。
紙があった。鉛筆があった。
人はいなかった。
けれど、人が見えた。
正確には、人の背中が見えた。
生霊が見えてしまうくらいの覚悟の幻影が残る、そんな現場に出会った。
重い。重たい。
帰り道、どうしようもなく涙が出た。
そういう人たちと、ともにありたいと思った。
そういう人たちの横に立つには、私はあまりにも取るに足りなかった。
私は、何をしたらいいんだろうと思った。
人生は本当に何が起きるかわからない。
これまで培ったことのすべてが何の意味も持たないものになろうと、
その現場を自分も支えられるならば、そんなことはどうでもいいと思った。
そう思わせる時間であり、体験であったことは、一生の財産だろう。
夏の夜の備忘録として。
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