耳から入る言葉以上に影響するもの
言葉は耳から入った言葉が、発せられることが繰り返されて習得されるといわれています。意味については後からついてくる場合と意味が分かって使う場合があるようです。
耳から入る言葉は言語の習得には欠かせません。子どもは教える教えないに関係なく、耳から入った言葉を使います。親が「どこでそんな言葉覚えたの?」という言葉も平気で使います。
この外向けの言葉をヴィゴツキーは外言といいました。他者とのコミュニケーションのために使われる言語です。子どものうちはこちらの言葉の獲得が早いのですが、成長するにつれて考えるための言語である内言も獲得されてきます。
自分の内側で発せられる言葉です。この内言があることで、思考したり、想像したりすることができます。
耳からの影響は確かに大きいのですが、大人になるにつれて内言の方が大きな影響を持つようになります。
人の言うことよりも自分の内側にある言葉の方を信じるわけです。怖いのは思い込みであったり、偏った考え方に支配されるとき、内言もそのような言葉で満ち溢れます。結果として外に出る言葉も、内言に下支えされたものになるため、自分に厳しい言葉であったり、他人を誹謗中傷する言葉になることさえあります。
自分の内側にある言葉は、外に発せられない分、何度も繰り返します。意識に上らないレベルでの言葉もたくさん話されています。
そのような言葉で自分を責めていると、他人から非難される以上に傷つくことになります。
自分の内側にある言葉を、自分をほめ、励まし、時にはゆるすものにしておくことが肝要です。
そのためには、受容的なコミュニケーションに触れる機会を増やすことです。
言葉は耳からはいるのが入り口です。内言を良いものにしていくためには良い言葉にたくさん触れる必要があります。