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ママン別居日記86
先週、ちょっと身内の心配事がありまして。
夕飯を目の前にして座るも…箸が持てない。
娘は私の目の前でご飯を食べている。
7時から連絡の取れた8時40分までの間、どうにも箸が持てなかった。
変化は呼吸も。
胸の辺りがわさわさする。
ぐるぐる、ざわざわ。
心臓はかなりしんどそう。
大量に酸素を使っている感じ。
そのせいか、胸より上、特に脳に酸素が届かない感覚。
完全に貧血状態になった。
緊張と似ている。
貧血の時、面白いことに腸にくる。
頭に酸素がいかないので、頭がふらふらする。
そして、呼吸が普通にできなくなっていた。
「お母さん、溜息ばかりついてる」と娘に指摘された。
溜息、ではない。
息を「吸って吐く」が普通にできないのだ。
言ってみれば、過呼吸ぎみだったのだろう。
大きく息を吐かないと呼吸ができない。
溜息ではないのだが、側から見ると溜息なのだろう。
心臓は鼓動が早く、ドキドキがはっきり自覚できる。
自分ではコントロールができない。
胸が潰れる思いとはこういうことを言うんだなあ、と思った。
安否確認後、食事は取れた。
が、根本解決ではなく、夜中も持ち越すことに。
呼吸は横になってもしづらいままだ。
前回の「幸せ」の記事をあげる直前のこと。
「何事もないことが最高にありがたい」を、まさに心底痛感しながらあげました(笑)
人は、有事や憂事があった時に、無事のありがたさを実感する。
ただ、人生に憂いごとはつきもの。
不慮の事態。病気、怪我、心配事、そして死。
思い通りにならないことは、生きていれば必ず起こる。
だから、人生は思い通りにならないものと思い定めれば楽という。
確かにそれはそうだと思う。
書いているそばから、一週間前に叔母が亡くなった由、叔父から葉書が届く。
すぐに叔父に電話した。大泣きしながら。
コロナ禍でお見舞いも不可能。お別れもごくごく身内だけで。
4日間だけ病院の付き添いが許されて、2日ずつ叔父と娘で付き添えたと言っていた。
最期は看取れなかったらしい。
親や伴侶も臨終に立ち会えない現状を改めて思い知らされた。
私が最後に会ったのは、母の三回忌だったか私の舞台だったか。
舞台には2度、足を運んでくれた。
優しかった叔母に「ありがとう」の言葉が言いたかったな。
今朝、空を見上げた。
自然と大きな溜息が出た。
涙も出た。
溜息をつきながら、天国の叔母と話しながら、公園を歩きました。
皆さまの今日がどうか良き日でありますように。
いつもありがとうございます。