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介護体験から★認知症もマイナスばかりではなかったハナシ

実家の両親と、同居してた嫁ぎ先の両親と、4人をお見送りさせていただきました。
その間に、孫が2人生まれて、年の離れた弟の子供たちも3人生れて、ウチで5人の赤ちゃんのお世話(お産の時の上の子のお世話)も同時進行でさせていただきました★

そんなわちゃわちゃの中での、認知症と、寝たきり介護の体験を振り返りつつ。
自分のブログに投稿してあるものを、こちらにも再掲させていただきます。

夏の間に4回入退院した実家の父。

(2015年12月のブログです)

だんだん動けなくなり、先週ほとんど寝たきりになり。
日曜にまた入院しました。

なのに、点滴が終わったから自宅に帰る!と主治医に頼んだらしいのです。
朝、帰っていいと許可もらったから、迎えにきてとメール。
(92歳の父はスマホを使っております、笑)

午前中は空いていたから、迎えには行けるけど、と返事したものの。

さて、立てない、寝返りさえできない人を、どうやって車に乗せて、自宅のベッドまで運ぶのか?!
けれど、実家に電話したら、幸いなことに今日は弟が休みで在宅していて。
病院で車いすを借りて、車からは、弟がおんぶして部屋まで運んでくれました。

そして基本、自宅で父を介護するのは、認知症で記憶が5分の母なのです。


昼間はわたしが毎日実家に通ってるし、夜は弟が帰って来るけれど・・・
私の自宅には、要介護2の88歳のおばーちゃんがいるし
産まれたばかりの孫と、産後の娘もいるしね。

けれど、母の記憶が5分のお陰で、ラッキーな部分もあるのです。


しょちゅう父に呼ばれるけれど、前に呼ばれた事を忘れてるので、それはそれで、ストレスが小さい・・・ようなのです。

父は、動けないけど頭はしっかりしていて、あそこにあるアレを持ってきて、など的確に指示は出せて。

母は、身体は動くので、今、言われた事は、なんとか出来るし。

だから、認知になってきてるとはいえ、1人で病院に行く事とか、電話の伝言とか、約束とかは・・全部忘れて出来ないけれど。
父の背中をさすったり、水を持って行ったり、レトルトのおかゆを用意したり、「今」のことは、ちゃんと出来るのです。

それって、ありがたい事だなぁと思います。
もしかしたら、それが、いま認知症になってる必要性なのかもしれない・・・・?!
同居の姑も、認知症のお陰で、圧迫骨折してても、痛い事を忘れて、ちゃんと歩けるようになったし。
先日会った方、高齢のお父さんが圧迫骨折で痛がっていて大変、と言ってました。
なんとか認知にしないように励ましてる、と言っていたけれど。

でももしかしたら、認知になる事にも、何かの「意味」があるのかもしれないなぁ、なんて。
どちらにしても、
なってしまった事は「受け入れる」しか無い。
そして、受け入れたら、意外に道はひらけるものだと、やっぱりそう思うのです☆

要介護5から要介護3に復活

そして、寝たきりだった父は、なんと、ここから要介護3にまで復活しました。
医学的には「出来ることはもうありません」と言われていました。

たまたま、出会ったサプリをたっぷり食べた事が良かったのか?
それとも、医師に処方された「ラコール」(食事がとれない時に用いる総合栄養剤)をガツガツ飲んだのが良かったのか?
そしてもう一つ。

認知症の母が「父が寝たきりの事実を忘れた」事も良かったのではないかとも思っています。
父から電話が来て。
「おかあさんがボケてしまって、僕が動けないのを忘れて、トイレに自分で行けと言う」
そして、おかゆをやっと食べれる程度の父に普通のご飯を持って行ったり、ご飯食べに来て~と呼んだりするのですね。
それでどうしたの?と尋ねたら、なんとかトイレには行った、と言うのです。
寝返りも出来なかった筈なのにね?「行けるんだ?!」でした。


(2016年4月ブログより)

実家の介護も、長期戦になってきました。
が、ありがたいことに、92才の父かなりな復活で。

ポータブルトイレに自力で行かれるようになり、寝返りさえ出来なかったのが嘘のように自力で起き上がれるようになりました。

この調子なら、ホントにまた歩けるよーになっちゃうかも?!って復活です☆
約半年、毎日通いましたがこのところ、時々休んで大丈夫にもなり。

生かされている生命力、何歳になっても、関係ないのだなぁと思わされておりますー。

だって、医学的には、「何も、もう出来る事はありません」と。
本人の気力だけです、と医師には言われたのですから…☆
びっくりですー。

夏には、もう一人、弟のところにbabyが産まれる予定なのですが…
会えそうですね〜☆(そして、ちゃんと会えました!)

産院まで行けたのは、母だけですけど。


そして、訪問入浴サービスに来てくださってたのを「昼間にお風呂に入るもんじゃない!」自分で入るから、と父が自分で電話して、お断りしてしまい。(自力で断られたのは、初めてだと言われました・・)

それから、介護区分が「要介護5」から「3」にも復活しました。


母が丹精していた庭に沢山、春の花が咲いています。

朝、今でもたぶん、時々は手入れしているみたいなのだけど本人には、まるで覚えがなくて。
誰がやってくれるのかなぁ?!っと言います。
いやー、お母さんしかやる人いないでしょ?!って言うんだけどね。

長年、やってきた事は自動運転のよーに、体に染み付いて、無意識にやれるんですね。
無意識にはやれるけど、考えたらやり方がわからなくなっちゃう☆

不思議な世界ですー☆

だから。
うっかり母に預けたものは、もれなく行方不明に…(笑)。
ところが、探すとみつからないんだけど数日すると、ひょっこりと、これは何だっけー?!って出てくる☆

先日も、父のスマホと時計が行方不明でもー、押し入れの中まで、全部出して探したんだけど。
数日後、何故あの部屋に?!ってところから、母が持ってきたそーで。

さんざん、「探した事を覚えてる」私としては「!!!」なんだけど。
覚えてない母は、ホントに「平和」です。

何事にも、「引っ掛からなければ」平和でいられるんですよね。



実家に通って、「わかっている」私には、「はぁ~?何やってるの?」という事態が山ほどあったのですが、気にしなければ、それなりに過ごしていかれるのですね。

なので、「自分の当たり前」「常識」を捨てて、ただ、そのまま「見守る」ようにしてました。
半分「面白がって」、かも。

冷蔵庫にチョコが山ほど入っていたり、鼠が出たり、在宅酸素やってるのに、しょちゅう停電してなかなか原因がわからなくて大変だったり。(大変だったのは、わたしだけ!なんですけどね)

そして、寝たきりだった筈の父のレンタルベッドは、大変にカスタマイズされていました~。笑

ペーパーも据え付けてあり、タオルにつかまって体を起こせるようになってて。
どうやって、足元にコンセントをくくりつけたり、手すりを付け足したりしたのかは、謎ですが。
ペンに穴開けてベッドに引っ掛けるようにしたり、磁石付けて挟めるようにしたり。 棒の先に磁石付けて、拾えるようにもしてありました~★

届かないところは、母に手伝ってもらったのだとは思いますけど。

今、思うと当時あの状況で「よくやったなぁ~」と思いますが、その時は、一つ一つをこなしていたので、何とかなったのですね。

それに、いろいろなコトが重なっていたので、それぞれが気分転換になって良かったのだと思います。

おかげさまで、「ひっかからない」事は上手になったと思います。

毎日チョコばかり食べたとしても、「糖尿で死ぬのが早いか、寿命が来るのが早いか?」だし。
どっちでも問題ない~!と、ちょっとサトリの境地だったかもしれませんね~。


介護に縁のある人ない人、それぞれですが、きっと何か「ワケ」があって、必要な経験なのだ、と思うと受け入れやすくなると思います。

介護に限らず、ですが「相手」を変えることは出来ないわけで。

なんとか「こちらの見方」を、平和に、穏やかに変えるには、どうしたら良いのか?と、自分の受け取り方を、とにかく研究しました。

そのお陰で、たいていのことは「大丈夫、なんとかなる!」と思えるようになり、結局は、私が一番得したのかもしれません。

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