「復活の死神」執筆時の思い出話
X(Twitter)にて、こんなやり取りをしました
ペン入れしてた当時のこと、ロックマンメガミックス『復活の死神』を描いていた頃の思い出話を残しておこうと思います。
「復活の死神」執筆の頃は1996年上旬、ロックマンリミックス発刊後でいい感じに評価されはじめたころで、増刊号用新読み切りとして担当編集さん(たまにあとがきにも登場している山本さん、上薗さん)との打ち合わせもおだやかでスムーズでした。
単行本のあとがきやインタビューなどで度々語ってるのだけど、最初はスカルマン主体ではなくカリンカちゃんとロールさんふたりの「人間」と「ロボット」友情物語を軸にして行こう、と納得した上でコンテを仕上げてます。
そこでのスカルマンはカリンカ&ロールがピンチになるきっかけを作る舞台装置な悪役で、ロックマンに撃たれて機能停止、再び封印されるという立ち回りで出番もあっさりしたもの。
送ったコンテはカリンカちゃんとロールさんの友情もちゃんと描けてるしOK!で、いつものロボットアレンジのチェックもカプコンさんからOKもらって(大幅にシルエットをいじってしまったスカルマンもロックマン4当時の開発スタッフさんに褒められた)締め切りも設定されて原稿スタート。
アシさんにも背景に入ってもらい、原稿も進んでいたのだけど………
どうもスカルマンをこのままシンプルな悪役として仕上げていくことに違和感があり、手が完全に止まってしまった。
一度アシさん達に引き上げてもらい、もう一度スカルマンという立場のキャラを見直した上で納得いくまで調整し再度コンテ(増刊号掲載バージョン)を描き上げ、編集部にFAX。
それを読んだ編集さん(山本さん)から電話
「ありがさんがこれで行きたいなら僕は止めない。面白いと思う。でも締め切りを伸ばすことはできないよ」
と言われ、確かにアシさんが入ってすでに何枚か進んでいるバージョンを仕上げた方が時間的余裕があった。
でもやっぱり新バージョンの方が自然だし全部のキャラがいるべきところにいる気がして(スカルマンにスポットをあてた事によって影響が特に大きかったのがカリンカ、コサック博士の親子)
コンテもそれなりに時間がかかっており、この時点で想定原稿時間から1週間だったか2週間だったか消費してしまっているのだけど
「これで仕上げます、間に合わせます」
と怒涛の原稿再スタート。
編集さんが締め切りは伸ばせない、と言ってたけどもこの頃はゲーム開発の合間合間に原稿を描いていて、当初設定された締め切りが終わったあたりでゲーム作業に戻る予定だった。
1996年上旬なので、セガサターンのトアの開発が終わって、おそらくバトルバを開発してた頃だと思う。(バトルバではキャラデザとゲーム内通信、ビジュアルシーン原画担当)
絶対間に合わすという意思で夢中でペン入れしたシーンやコマは描いている瞬間瞬間を覚えていて、自分でもかなり感情を入れていたのだけど、原稿を描いてる期間に仕事場で何があったとかの記憶はほぼなくて、ひょっとしたら原稿の様子を見に編集さんが仕事場まで来てたかもしれない(たぶん来てる)実際、どうだったか覚えてない。
…仕事場で何があったか覚えてないって書いてるけど、ゲーム仕事の先輩で友人の斎藤智晴が
「大変そうだから手伝いに行く」
と来てくれて、珍しく話も原稿も大層褒めてくれて
「いい絵が入っているな
俺もなんだか自分の絵が描きたくなってきたから帰る!」
と晩御飯を食べたら帰ってしまったことはインパクトあって覚えている。
(彼の名誉の為に追記すると、その後ビッグオーの連載ではちゃんと助けてくれた)
原稿が締め切りに本当に間に合ったのかも覚えてなくて、山本さん上薗さんにスカルマン良かったって褒められた記憶があるからたぶん間に合ったんじゃないかな…
覚えているのは、原稿をバイク便に渡して開放された後に何日もちゃんと寝てないのに全然眠くなくて、勢いで高尾山に向かって頂上までいったこと。
そしてそこのベンチで最後のシーンのスカルマンよろしく横になって空を見上げたこと。
最終的に描き上げたのがああいう話になって、これを読んだ子はどう感じてくれるだろうか、とか読んだ子の記憶に残る漫画になってたらいいな、とかちょうどロックマンリミックスの単行本が出た後だったので次の単行本の1話目はこの話だな、とか。
すげーいい天気で見晴らしも良くて、スカルマンというロボットをちゃんと納得いく物語にして無事に描きあげたことがめちゃくちゃ嬉しかった。
そんな23歳でした。
やってる事も無茶の仕方もわがままの通し方も描いてる内容も絵の拙さもあまりにも若いのだけど、1996年に描いた『復活の死神』は2023年の今でもいろんな方からこの話が好きと言っていただくことが多く、自分の中でも大切な話になっています。
▼スカルマンの兄弟機の短編▼