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忘れるということ

自分が観たり聴いたり体験したことを、その時はとても感動して人には「面白かったよ、ぜひぜひ」なんて言っているのに、しばらくするとその強く印象に残ったはずの内容を忘れていることが多い
正確には感動したことだけ覚えているのだ
だからこそまたその映画なり小説なりを見返して、思い出したり追体験したくなる
最近は特にその繰り返しだ

にもかかわらず、時々浮かぶようにして思い出すこともある

4歳になる少し前に、父方の熊本まで帰省した時のことを断片的ながらとてもよく覚えている
行きは寝台特急列車はやぶさ
夜中、途中広島駅に着くと「ひろしま~ひろしま~」
当時はことばを認識していたかどうかだか
あの独特な抑揚と響きを忘れていない

それと明るくなり始めた早朝
両親がまだ眠りについている隣で、どんどん後ろに吸い込まれていく外の景色を、お気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱きしめながらぼーっと見ていたこと
「おはようございまーす」と爽やかに挨拶に回ってきた制服姿の車掌さんに見つめられ、ちょっぴり照れくさくてうつむいてしまったこと
その不思議な感覚をしっかりと覚えている

本来ぐっすりのはずの夜中や早朝に目覚めるというのは、幼いながらもやはり非日常にふれて興奮状態だったのだろうか?

帰りは飛行機だったが、なんと羽田まで直行ではなく大阪で乗り継ぎという…時代をとても感じる
その飛行機の中では紅茶をもらった
味はまったく覚えていないが、急いて飲んだ一口が恐ろしいほど熱かった
あの口の中の痛さは今でも鮮明だ
だから紙コップの飲み物はしばらくいやがっていたらしい

大人になって忘れてはならないこと
覚えておかなければならないことが増えた
でも正直なところ…やっぱり忘れてるんだよなぁ
正確には忘れていることさえ忘れている
それだからこそ毎日楽しく生活出来ているのかもしれないけれど…
そしてどうでもいいことは覚えている

何をもってして“忘れる“と”忘れない”なのか?
根幹的な境界線がどこかにあるのだろう
人間は不思議だ

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