自分が観たり聴いたり体験したことを、その時はとても感動して人には「面白かったよ、ぜひぜひ」なんて言っているのに、しばらくするとその強く印象に残ったはずの内容を忘れていることが多い 正確には感動したことだけ覚えているのだ だからこそまたその映画なり小説なりを見返して、思い出したり追体験したくなる 最近は特にその繰り返しだ にもかかわらず、時々浮かぶようにして思い出すこともある 4歳になる少し前に、父方の熊本まで帰省した時のことを断片的ながらとてもよく覚えている 行きは寝台特
今日で4月も終わる… もう時間が経つのが早くて~とか 今年の三分の一が終わっちゃう~とか あらためて言わない 生活パターンの中で変動することが多くて、これじゃ時間が経つのは早いに決まっている!と自覚していたからだ 昨年末の12月から公私ともに想定以上に次から次へと色んなことが起きた しんどいなぁと感じることも数多あれど、それを上回る嬉しいことがたくさんあったので、結果としてはすべてよし!だと思っている “出来ること出来ないこと”について最近よく考える 自分のやりたいことや欲
一年を通してみると…切り替え?というか 年明けみたいなことがいくつかやってくる まずは言わずと知れた1月1日 元日 続いて 2月3日~2月4日ごろの立春 前日は節分 そして4月1日の新年度 ここまで一年の4分の1で3回も大袈裟に言えば生まれ変われるのである 本人の気持ち次第でリセット出来てしまうのだ あとはそれぞれの誕生日も新しい一年という考え方もあるだろうし、細かく言えば 夜眠る→朝起きる こともリセットなのかもしれない 生きていれば楽しいことばかりでなく、流したり忘れ
鳥好きの…いやここ数年で急激に鳥好きになった私は小さな鳥ノートを作っている 簡単に見かけたものや鳴き声を聴いたもの、撮影できたもの 今日はまさに「つばめさん 帰ってきたー!!」だった そして大事なのが “満足に撮影できたもの” シチュエーションだったり、羽毛や瞳をしっかりとらえられたとか… 常に写実に!とは思っているが、やはり一番嬉しいのは可愛らしくとか気高そうだとか自分の思いと感覚が一致して撮れた時だ 風景だってそうだろう 肉眼で見た様子といかにして近づけていくか? これ
ここ最近読みたい本が立て続けに見つかりどっぷりと読書に入り込んでいる そうなると読み終わった本の置き場問題に悩む 積ん読になっているままのものを含めればかなりの量になる 電子だとかさばらなくていいよ!と言われるが ページをめくりながら読むのが好きなのだ 小学校の時は驚くほど読書をしない子どもだった 夏休みの課題図書がいやでいやで仕方なく、最初と中盤と結末部分を読んで感想文を書いたりもした 当然そんないいかげんな感想文は、母にも先生にもバレバレなわけでよく叱られた 通信簿に国
今朝は衝撃的なニュースを耳にした 大谷選手と通訳の水原氏のことだ 正確には水原氏の賭博と解雇のニュース お二人とも伴侶を得て、シーズンインしこれから!という時だったのになぁ もっとも近しい人にこのようなことをされて、今日はどんな気持ちで大谷選手は試合に臨んだのだろうかと思うと少しつらい 昨年12月に私の仲間内でも衝撃を受けるようなことがあった どちらかというと皆を束ねるリーダー格の人が数人にたいして騙すようなことをしていたのだ 直接被害を受けていないものの状況を聞かされてシ
昼と夜の時間が等しくなる日 と言われているが実際は昼の方が少し長いらしい 今日のように昼過ぎから荒天となり嵐のような風が吹いていてはよくわからないが。 3月20日…あの日を思い出す まだJR線のみで通勤していた私はその朝出社すると、社内の人の少なさに違和感を覚えた めずらしいね~地下鉄遅れることなんてほとんどないのに… 先輩たちとおしゃべりしていると電話が鳴った 「うちの子出社してますか?」 「主人は出社してますか?」 立て続けにご家族からの連絡 どうやら地下鉄で大規模な事
あと少しで本当の誕生の時間になる。 私は33時間ほどかけて生まれてきたようなので、ちょうどこの時間は母が頑張ってくれていたのだなぁと毎年感慨深くなってしまう。 そして今日の誕生日をしっかり迎えると、その大好きな母を見送った歳になる。 いい歳をして笑ってしまうが、やっぱり今でも母が恋しい。 どんなに工夫して作っても、母の作ってくれたコロッケやお稲荷さんをこえることはない。 時々思い出しては「あ~食べたいな」と思う。 人よりはるかに早くお別れしてしまったけれど、たくさん愛情をく