得体の知れないコミュニケーション力を異常に重視し、IT化をやむを得ず取り入れる社会
何か意見を求められた際や、会話の最中に、コミュ力が無いといった言葉が会話の終わり文句として使われる。私は、コミュ力が無いのではなく、相手に自分の意見が伝わるにはどうすれば良いかが分からず「やばい」の一言で会話が成立すると考えている。では、本を読み語彙力を鍛える、ボキャブラリーを増やせば良いのではないかと思うだろう。しかし、これは意味が無い。その理由として、単語や熟語を覚えることに集中し、正確な文脈で使うことができず「やばい」と同じ使い方になる。例えば、誤謬という言葉を覚えたと