相互理解の大切さ
まずは現在九州地方で頻発している平成28年熊本地震について、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
私は九州在住ではないため、現在の状況はTwitterやFacebookを通じてでしか把握することができません。そのため詳しいことをどうこうと物知り顔で書き連ねる資格はありませんしその気もありません。
そこで遠巻きながら見ていて自己啓発も兼ねて思ったことを書いていこうかなと。
今回の震災で一番情報のやり取りが多かったのは「物資について」だと思います。水だって食料だっていつまで持つか分かりません。ペット、赤ちゃん、高齢者といった身体が比較的不自由であったり身動きが取れない方はとりわけさぞ苦しい日々を過ごしているかと思われます。
ここで一番Twitterで物議を醸していたのが「女性の生理用品について」。
あまりキレイな話ではないのですが、ちょっとここから始まる人と人との相互理解のお話をしたいなあと。
生理という現象は女性にとって切っても切れない関係にあります。
生理前は体が重いし生理中はお腹が痛いし。そんなめんどくさい現象ですよね。
しかもこの生理、自身でコントロールが完全にはできないのが難点です。ある日急にきてある程度日が経って気づいたら終わっていた、というのが通常なのでしょうか。
この生理用品について、一部の心ない男性から「生理用品は甘え」ばりの罵倒があったという話が散見されます。
確かに男性が生理という現象について知らないこと自体はおかしいことではありません。ここで問題になるのは「自分の知らないことに対して理解をしようと歩み寄るのではなく突き飛ばしてしまう態度」にあります。
個人はそれぞれ社会において様々な種類にカテゴライズされています。大人か子供か、性別は何か、肌の色は何色か、誕生日はいつか、住んでいるところはどこか。人がその枠にはまって生きていくこと自体は決しておかしくはありません。
しかし己がカテゴライズされた枠の外にいる他者のことだって忘れてはなりません。自分が常識だと思っていることが、そのまんま他者にとっての常識になるとは限りません。
相互理解という前提があってのコミュニケーションが大切になってくるわけです。
その相互理解という前提なくして人は他者を語れません。
自分が女性だったとして、セクシャルマイノリティの気持ちが分かりますか。
自分がアセクシュアル(男女問わず恋愛または性的対象として見ない人のこと)だったとして、ヘテロセクシャルの気持ちが分かりますか。
分からなくていいんです。それが人間です。
でも歩み寄ることはできると思いませんか?
互いに理解しようと努力することはできます。全容はつかめずとも「自分とは違う」ということは理解できまよね。
己の尺度を他人にむやみに押し付けてはいけません。ただそれだけです。思想や信条だってそうでしょう。
無意識にやっていませんか。他者への相互理解努力の欠如。
再度考え直すことも大切です。
他人を知るには己の欺瞞と盲信を正すところからですよ。
こうやって書かれている私の文章も押しつけにはなるかもしれませんがね。