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映画「バービー」は矛盾に溢れている(でも、見て考えた方がいいぞよ)
観た。しばらく寝かしておいたので、正直に思ったことを書く
マテル社は日本だった
マテル社の重役会議のシーンが、まんま「これ」だったんですよね。
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あるいは、これか。
このコンテキストを理解できていなければ、時代遅れの漫画家奥浩哉みたいな反応になるのは無理も無いことでしょう。
つまりまあ、説明をしてしまうと、「女性の決定権を男性が握っている」という今の世界そのまんまなんですわな。ミス・ユニバースの広告を見て「最高裁判所だわ!」とバービーが言ったシーンはまさにそれで、中絶の権利を奪った今の最高裁判所をパロったものとなるわけです。
そういう文脈を踏まえた上でのギャグなので、そこが理解できないとつまらないかもしれないかなあ。
ただ、ギャグも交えつつ、嫌な感じにはならなかったのは良かった。近くにいた子どもは、映画が終わったあとも困惑していたが、今の日本はマジでこの状態だからな!!!!地続きなんだぞ!!!というか政府が率先してそれをやっているからな!!!クォーター制度を早く導入しろやボケ
恋愛関係にならなかったのがよかった
本作でむちゃくちゃ褒めたいところはここにあります。
ふつうだったら、キスで終わって、日本オリジナルテーマ曲が流れてまあそんな感じで終わる。
じゃあ、どう終わったのか?
そこはネタバレになるから言えないんだけれども、ぼかすと「ケンとは『ケンである』ことを認めて分かれる」「創造主と会う」「バービーは人形であることを手放す」という感じでした。第三の壁的なものを超えた、みたいな感じです。
つまりまあ、安易な恋愛に持っていかなかったところが良かったと思う。
人が死なない映画(でも死について向き合った映画)
この映画は、人が死にません。血も出ないし、爆発もありません。
ですが、とあるキャラクターの視点を通じて「死」を否応なしに向き合うことになります。
バービーの世界は、死はありません。何故なら、何も変化が無いからです。
ルーティンは毎日決まっており、毎日ホームパーティーをします。
さながら「ステップフォードの妻たち」みたいなディストピアみたいです。
(制作陣は意識していると思う)
しかし、映画の半ばで語られますが、「マテル社が終売したバービー」などが出てきます。斬新すぎたり、あまりニーズと合わなかったり、そもそもなんでこれを出そうと思ったのか?というポリティカル・コレクトネス的にヤバいやつもあります。
そして、作中で人間界に来たバービーはもう一つの「死」について知ることになります。それは、「子どもがもう遊ばなくなった」ときです。
おもちゃは、いつかは子どもの手を離れることになります。幼少期に遊んでいても、対象が移り変わるからです。手を離れた、すなわちそれは「死」を意味する…まあ、これには少し伏線があっていろいろと巻き込んだり、巻き込まれたりするわけですが、玩具の映画でここまでやったのはかなり画期的じゃないのでしょうか?
売れなきゃ意味が無いのか?
でも最終的にもやもやしたことがあります。それは、作中で出てきたヘンテコバービーの扱い。
「ヘンテコ」というのは、いわば終売になったやつで、飲料水でいったら「SASUKE」(TBSじゃない方)とか、クリスタルペプシみたいなもの。
作中ではバービーを導く立場になり、バービーの世界でも阻害されていたとはいえ、最終的に受け入れられてジャンジャン…!となっていたはずなんですが、そこがすごく違和感を感じました。
いわば、主人公は「どこにでもいるスタンダードなバービー」で、変化に遭遇したことで存在意義に悩んでいるわけです。
で、いろいろあって、「ヘンテコ」(いわば商品として売れなくて終売になった)で阻害されているバービーと出会うわけです。「うお!『ゴーストバスターズ』のケイト・マッキノンさんや!」とブチ上がったのは言うまでもないですが、この物語は…いわば「ヘンテコ」が添え物というか、後押しをする存在だけになってしまっていました。
最終的にはバービーの世界でも認められていた、という終わり方になっていたとはいえ、それでええんか?商業主義第一のマテル社の意向を沿った形になっていねえか?役職を与えたからといって、まったく人権向上には繋がらなかった(例:今の日本政府)例を見すぎているから、そういうのを見ても冷めてしまうな、みたいなところはりました。
あとまあ、「売れなかったから認められなかった」というのは、「レゴバットマン」(こちらも、玩具がモチーフの映画である)で出てきた、マイナーな怪人紹介のときとはまた少しベクトルが違ってくるんですよね。
「レゴバットマン」では、それがギャグになっていたというのと、文字通り最後に力を合わせて崩壊寸前のゴッサム・シティを守ったというのがあるけれども、そっちと比べるとどうしてもうやむやにされてしまっていたのではないか?と思えてしまうんですな。
おばあちゃんの素直な感想
とまあ、いろいろと考えていたわけです。で、映画を見終わったあとに、おばあちゃんと付き添いの方(おそらく娘)が会話をされていて、
「この映画、よかったわねえ」
「ケンは『ラ・ラ・ランド』に出ていたのねえ」
と話していたので、それは本当によかったなと思ったのでした。
最初は、首につけるファンの音がうるさくて「ちょっとこれは…」とは少しは思っていました。でも、マジで映画の内容に感銘を受けていたのだな…そして、こういうことがあるから劇場で観る映画っちゅうのは大事なのかもしれんと思ったのでした。
あのおばあちゃんは、「知っている」のシーンや、創造主のシーンをどう見ていたんだろうか?
おわりに
いいところもあるし、非常にもやもやするところもあり、そういった面では矛と盾が常にせめぎ合っている映画です。
が、これが「アベンジャーズ」シリーズを超えたスーパー大ヒット作になったのはある意味変化がある…とはいえ、ワーナー・ブラザーズの今のCEO、デイビット・ザスラフは、この映画的な価値観からもっともかけ離れた、忌み嫌われるべき人物であるわけですから、次回作ではバービーがザスラフをブチのめして、お蔵入りをさせた「バットウーマン」を公開するという話にすればいいんじゃねえか!?と思っています!