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設計(者)プロポーザルをリ・デザインする#012:行政の無謬性から脱却する

プロポーザルとは行政が一方的に設計者を選ぶのではなく、実はそのプロポーザルに参加するかという時点で行政も選ばれているのだと前回、書きました。だから、互いに選び合うマッチングという意識が重要なのですが、もう1つ、大事にしたいことがあります。

それはプロポーザルを実施中に規定や解釈に不確かさや誤りがあった場合、勇気を出して誤りを詫びて行いを正すことです。行政としては誤りを認めるのは非常に難しいことでしょう。いわゆる行政の無謬性という伝統もあります。ですが、謝らないことで誤りを正さないと、この先ずっとその間違いを引きずることになります。その結果、必ずさらなる困難に直面します。もうそうなった時点でそのプロポーザルはやる意義が薄くなります。

さらには自治体としての信用も落とします。せっかく関心をもってくれた設計者たちの信頼を裏切ると、取り返しがつきません。誤りを認めて正すことには勇気が要ります。ですが、この勇気は奮うべき勇気です。この点で前回引いた長与町の姿勢は大いに参考になります。

プロポーザル実施に係る訂正とお詫びをご一読ください。「協力者」の範囲・条件について要項での説明や質疑での回答に明らかに混乱がありました。アドバイザーとして深く関わっている私自身、大いに反省する過ちなのですが、長与町並びにプロポーザル審査委員会は率直に非を認め、お詫びと訂正を行いました。結果、最終的には41者という提案者の参加がある盛況なプロポーザルとなりました。

このとき、誤りを認めずに無謬性に固執していたら、どうなったでしょうか。仮にこのプロポーザルをやり過ごしたとしても、町への信頼は深い傷を負ったことでしょう。その傷は簡単には回復できないものです。「過ちては改むるに憚ること勿れ」や「過ちを改めざるこれを過ちという」といった言葉を痛感する出来事でした。

お詫びをしても死んだりしません。謝ったら死んでしまうかのような信仰は迷信です。勇気を奮いましょう。誤ったときこそ、勇気を振り絞るときです。謝って行政の無謬性に固執しないことを示せば、その振る舞いはむしろ信頼を高めます。プロポーザルをリ・デザインしていくその過程では、きっと少なからぬ失敗も起こります。開き直って言えば、新しい挑戦をする以上、失敗は不可避です。だからこそ、謝ったら負けのような考えを排し、素直に詫びて正しましょう。普通は詫びて謝っている者をそれ以上重ねて叩く者はいないのです。
※なお、長与町の事例を踏まえると、自治体、審査委員会、アドバイザーという3者の存在が重要な意味をもつと感じています。これはいずれ後述しましょう。

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