不思議なもので
なんだか書くのが久しぶりになってしまいました。
流れというのは不思議なもので。
自分の心の状態に必要な世界が
自然と。
自分の目の前に現れるんだなと
今、自分が求めていたり、
必要としていたり、
向き合うことから背いていたり。
「あ、私これをしたかったんだ」
「今なら取り込められそう」
なんてことを実感する出来事が
ここ数日起こっています。
私は、
基本明るく前向きに振る舞ってる人間に
見えている…と思っているのですが(?)
それはある側面だけで、
その実、自分から言葉を発することには
結構な恐怖心を抱いています。
実際に私の話が
人を困らせてしまったり
考えすぎじゃない?って言われることは
まぁまぁよくあります(笑)
あと、相手の発言や態度を
勝手に自分の角度で解釈しちゃったりとかね。
(なんでそうなるんですか?って怒られたこともある)
幼少期に感じたものを拭うことは
なかなか困難だなと思うのですが、
それによる弊害が増えているのも
今日この頃だったりします。
『人は裏切る者である』
『わたしの意見は変なんだ』
『私の言葉は理解され難い』
『発言しない方が周りが上手く回る』
そんな幼少期に過ごした環境で
処世術として身についたものは、
『自ら縁を断ち切り、一人になる。
求められない限りは自分からは発言をしない』
でした。
実際、それで上手くいっていたし、
基本は自己責任で行動できるし、
求められたので意見を出しました、あとはご自由にどうぞ。
と他責思考にもできる。
ある意味心がとても楽な状態でした。
本当は、話すことは好きだし
人との繋がりに尊さを感じているし、
お互い、利害関係とか何もない状態で
「ただ、向き合う」
そういう関係を築きたいなって思うのに。
社会に出ると、
なかなかそんな純粋な心を持ってる人に出会える機会は…。
それが、とても苦しくて。怖くて。
結果、また殻に閉じこもって遮断を選びがちです。
だからお芝居が好きで、
心のどこかで求めてしまうんだと思います。
目の前にあるのものは虚構のはずなのに、
そこには、
人同士の純粋なやりとりが生まれているから。
話しが逸れましたが、
私は素直に、穏やかに、美しい心で
自分という軸を大切にできるように。
今日もそんな自分のクセを感じて
自分も相手も
愛して、受け入れて。
美しい状態で
オープンマイハートに。
そんなことを思う本日です。
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