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馬鹿の定義

私はずっと 頭のいい女の子が嫌いだった。

それは、自分がバカだ、と思ってたから。お父さんもそういう態度だったし、先生もクラスメイトも「納得いかない、それはわからない」と堂々主張する私にあきれ半分、馬鹿にする半分、といった態度をとっていたから(とっていたように見えてたから)。

頭が良くなって、もっと褒められたかった。いい子だ!って言われたかった。
でも、それが叶わないから嫉妬して、ごねてた。
なんであいつ頭がいいんだ!しかもかわいいじゃねーか!馬鹿野郎!私は死ぬしかないのか!みたいな・・・こう字面にしてみると八つ当たりが半端なくて笑える。

だから、もし頭が良くて、それをあまり表に出したくないなぁと思う人がいたら、ごめん。それは表に出したとしても出さなかったとしても、結局嫉妬する。ごめん。
なぜかと言うと、人は勝手に、劣等感を持って、勝手に怒ってるから。
普段は怒ってること自体も忘れてるんだけど、他人を見ると、「そうだった!私馬鹿だった!きーっ!」って思い出しちゃう。
でもそれを思い出すのがつらいので、その人が悪い!ってことになってしまう。
恵まれている人、超理不尽な八つ当たりを受ける。

でも、私は本当に馬鹿なのか?自分を馬鹿だと思う人は本当に馬鹿なのか?ということについては、甚だ疑問が残る。

そもそも、馬鹿な人が、自分の事をバカだと思うか?
ダンゴムシが「自分は頭の回転が遅い~」とは思わないだろう。
犬が「自分の吠え方はほかの犬と比べて何かが変だ」とか言うか?
ちょっとたとえが違うか。でも、本当に頭の回転が遅いのだったら、自分の頭の回転が遅いことに気が付くだろうか、ってことだ。

じゃあ、そもそも馬鹿って何だろう。

何かできないことが馬鹿だと言うなら、ほとんどの人は馬鹿になる。
得意なことだ不得意なことがあるのは当たり前だから。

勘違いケースもある。
たとえば、その人が優秀な大学に入っていたとしても「俺はノーベル賞とってないから馬鹿だよ」という場合もある。
私はそういう人を知っている。
ふざけんなよ。私は分数とか計算とか苦手すぎて、グラフにされたものを提示されると即座にだまされるんだぞ。
おまえはすぐ計算して自分の得をさっと選んでるじゃないか。
というか、ノーベル賞とってないやつが馬鹿なら、世界は馬鹿ばっかりじゃないか。怒るぞ。

この人の場合も、頭がいいというのはこういうことだ、という思い込みからそれを言っているのだと思われる。

他にも、「思考力、計算力には長けているけれど、それだけだけではダメだ」という意味、つまり「社会で通用しないこと」を頭が悪いと表現してしまっている場合もある。

頭ではわかっているのだが、うまく人に伝えられないとか、提示された文章を早く読んで処理しなければいけないのに、読むのがとにかく遅いとか。

そのほとんどが、本当にたまたま、今の場所では、その能力を生かせないと言うことだと思う。

能力を生かせないというのは、自分の命にとって、人生にとって、冒涜である。
能力を生かせないコミュニティーにいると、素晴らしい能力が、あっという間に足かせになる。

顔や体のつくりが華やかで目立つ人の場合、アイドルとかカリスマになればいい。おごってくれる人がいればおごってもらえばいい。
逆にそれを「いいです」というと向こうも逆に馬鹿にされた気になって、「なんだ高く止まって」とか言われることもある。
よくわからなくなった。でも理不尽な気がする。

喋るのが得意な人が、文章を書く仕事をしても、 その人のテンポや言いまわしが、全く生かされない。そういう場合は、話せる機会を増やした方がいい。話すのが苦手、と思っている人に嫉妬されるかも知れないが、前述したようにそれはしょうがない。

自分の能力や、生まれ持った姿が人から嫌われる時、それはある意味、自分のあずかり知るところではない、ということを知っておいた方がいいだろう。
自分が嫌われてたら単純に、「この自分は、人から嫉妬されるほど素晴らしいんだなー!ヤッター!」と思おう。

そして自分も、人に嫉妬したりむかついたりした時、自分は「自分をその点において劣っている」思ってるんだ、と自覚しよう。
劣っていると自分が思っていることにこそ、自分の一番の強みがある。

だから、「それに気がつけて、ラッキー!」とまず思う。
そして、自分はどうしたいか、を考えよう。

自分が生まれ持ったものを憎むのではなく、どうしたら愛していけるか、大切に喜びをもってそれを使っていけるかをよく考えよう。


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