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人生のコンセントプラグを差し替えていた話

このXの続き。

一昨日(2024/10/12)足もみのオーナーの紹介で【オパ】という新しいケアと施術をしてもらいにいった。

ベースがカウンセリングで、今までの自分の脳の使い方を見てくれて、スムーズに動くようにケアしてくれるものだった。
トラウマや過去の出来事が身体にもサインが出ていることも教えてくれた。
(ペットの鳴き声がどういう意味で鳴いているかも、わかるらしい!?)

自分が具体的に言われて「私って、確かにそうかも…」と思ったこといくつか。

  • 「期待に応えよう」と頭の中の百科事典のような教科書で答えを探すのでフリーズしている

  • 言葉の8割外に出てなくて、2割で話している

その中で今後に生きる話があったので、記録に残したいと思う。

コンセントプラグを差し替えている

「小5に生き方を変えたでしょ?」と言われて、

わかりやすくコンセントプラグで、例えてくれた。

本来の生き方から、無理やりプラグを差し替えている、と。

それが良くなかったと。

ほほう。めちゃくちゃ納得。

ちょうど学校と習い事で自分に居場所がなくて、

「自己主張を一切せず、人の言うことを聞こう」「目立たず生きよう」と

心に決めた時期が小4だったので、小5には生き方を180度変えていた。

新たな気づき。

無理やり差し替えて生まれたエラーが、

「自分は悲しんで当然だ」と落ち込む悲劇のヒロインモードになってしまったり、

私が人やものに「依存する」「すぐに折れてくっついてしまう」原因を生んでいるらしい。

自分のこれからの目標

人や家族(特に母)と全く一体だと思ってしまっていた自分。

人や家族の顔を自然と感じ取って、伺っていて、

「喜ぶ顔や笑顔を見ること」で自分の存在価値を感じて、

「誰かのため」を動機に働いていた。

自分が心から満たされていて、甲斐に思っている人はもちろん素晴らしい。

けれど、私の場合は本来の姿とずれている。プラグずれ起こしてる状態。

「人のため」といいつつ、

「自分が愛されている」「存在していい」と何度も確認していて、

結局「自分のため」の執着。

この「誰かを頼らないといけない状態」から卒業したい。


神戸旅行編でも悟っていたけれど、

26歳、これからやっと神様と「自分自身」の人生を生きていくんだなって実感。


私にとって高価な価値は「神様との関係性の回復」「考えも含め楽しく過ごすこと」。

関係性の回復は、

ご飯食べるとか、この文章打っている時も神様を呼べること。

一緒に過ごしていくこと増やす。

トイレに行く道とかでもいい。

神様と出会い、御心の中で、

自分の過去も愛して、

さらに「自分らしく」生きられたら、

「私の生きたい人生を生きてる〜!!!」と大満足だろう。


また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。

‭‭マルコによる福音書‬ ‭12‬:‭33‬ ‭

この聖句も「自分を愛する」が土台として、大前提。

自分に対してー(マイナス)なら、価値を回復することを神様は願われている。

その先で、誰かに何かすることができたら、最高だな。

等身大のこの発信を続けていきたい🤗

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