【フランス建築巡り】ポンピドゥー・センター/レンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース
小野こはる(@archi_koharu)【建築家、クリエイティブディレクター】
2020年に東京で建築家を辞めた後、新しい視点を得るため単身ロンドンに移住。建築大学主席卒業、元大手ディベロッパー勤務、担当設計プロジェクトグッドデザイン賞受賞。
建築、アート、文化、宗教、そして人生の幸せを、様々な言語を通して学び続けています。私の視座を通して情報をお届けします。
時代背景
第二次世界大戦によってヨーロッパは戦場となり、それまで文化芸術の中心であったパリをはじめとするヨーロッパから、時代はアメリカのニューヨークへと移ってしまった。
そんな中、1969年ジョルジュ・ポンプドゥーがフランスの大統領となり、アメリカに勝る先駆的な美術館をここに作ることを使命とした。
大切なポイントは、歴史的都市のど真ん中にこの斬新な建物を創ったこと。ノートルダム寺院やルーヴル美術館のすぐ近くに位置する。当時はあまりに斬新な建物だったため、市民からは賛否両論の声が多く寄せられた。しかし現在では、パリの一つのランドマークとなっていることは、実際に場所を訪れたわたしも感じ取ることができた。
1977年開館後、「パリ-ニューヨーク」の文化交流をテーマにした展示が開催されたことは、ニューヨークに対する意識を感じられる。
特徴的な外観
端から端へと斜めに横断した階段が、建物の印象を大きく操る。構造体や配管が外にむき出しになった特徴的な建物に対して、さらに独創性を加えている。
階段のあげ裏が赤色を帯びているだけでなく、夜は階段内部も赤くライトアップされている。
この建物において、青は空調、黄色は電気、緑は水、白は大きな構造体・おおきな空調、そして赤はエスカレーターやエレベーターなど、人が循環するためのパイプを示している。本来隠すことを前提としていた配管をデザインに転換した革新的なアイディアだ。
内観と展示
1階の大部分は無料で入場でき、公共空間となっている。天井を見上げると、青い配管(空調)で埋め尽くされている。黄色いボックス(電気)も写真右側に見ることができる。
構造躯体が外観に露出したことにより、通常内部に出てくる柱を排除することができた。内部設計は自由になり、大空間を実現した。
2〜4階は公共の図書館。パリジェンヌのローカル気分を味わってみてはいかがでしょうか。
5〜7階が美術館となっており、かなりの展示物があるだけでなく、映画館やショップ、レストランもあるため、全てを楽しむには丸一日必要だ。
広場
ポンピドゥーセンターの前面は広場になっており、地べたに座って井戸端会議を楽しむ人たちが多い。ヨーロッパでは特に、広場に座って各々楽しむ姿がよくみられる。公共空間を、自分たちの形に合わせて使いこなしている。
広場に飛び出した、空調ダクト口もデザインを構成する一部となっていて面白い。
展示
わたしが気に入った展示をいくつか紹介したい。
①アンリ・マティス/ルーマニアのブラウス
20世期の偉大な芸術家とイヴ・サンローランのコラボレーション。絵画が現実世界に飛び出してきたよう。同時に、想像力を制限されてしまった感じも否めない。
マティスはフランス人画家で、独自の色彩を駆使した作品から「色彩の魔術師」の異名を持つ。
②ピエト・モンドリアン/白地の上に黒い垂直・水平線のグリッドと3原色で構成されたコンポジション
雑誌『デ・ステイル』の中でモンドリアンは新造形主義を提唱し、造形運動が興った。従来の具象芸術に対して水平線・垂直線・直角・正方形・長方形・三原色・非装飾性・単純性を追求した。彫刻家や建築家も参加していたことから、絵画にとどまらず、建築、彫刻、あらゆるデザインへと発展した。
彼はオランダ出身、アムステルダムで美術を学んだ後、パリに渡る。そこでピカソらのキュビスムの影響を大いに受け、作品に影響が現れ始める。1938年9月、ファシズムの台頭に直面してパリを去り、ロンドンに移動。さらに侵略が進むと、次はアメリカのマンハッタンへ移り、残りの生涯をニューヨークで過ごした。
素敵なドレスを纏った女性に遭遇。バッグは青、ハイヒールの裏は赤。しっかり『デ・ステイル』で構成されている。
おまけ
展示を閲覧する前に荷物を置くロッカールーム。使用中ロッカーは赤、未使用ロッカーは緑となっている。近未来的な配色・配光が印象的だった。
おわりに
モンドリアンの生涯を見てもわかるように、パリは元々、芸術家がこぞって集まる都市であった。様々な芸術のエネルギーに溢れていたであろう。時代の変化とともにアメリカへとシフトしたものは沢山あるが、パリのあらゆるところから芸術都市としてのプライドを感じられた。