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「休み方」の、ことはじめ。
いま「休む」という行為が、僕のなかで熱い。
度を超えたワーカホリックで、いまだに完徹(一睡もしないこと)もよくある人が、何を言い出すのか。自分で自分を突っ込みたくなるのだが、とにかく熱いのだ。
なぜ、「休む」が熱いのか。
人新世の時代に、人類の中核的な行為が「働く」から「休む」にシフトするからだ。
気候変動が専門家の懸念から、甚大な被害を連鎖する現象になってきた、いま。グロース(成長)から、サスティナビリティ(持続可能性)への転換は人類共通のテーマになっている。
ことの根本は、グロースの対象は「資本」だが、サスティナビリティの対象は「生命」だということ。生命の限度を知り、生命の喜びを基準にした社会経済に生まれ変わる機会がいまなのだ、そう解釈している。
さて、とはいえ僕の頭の中は、極めてカオスである。全くクリアではない。
予め、この後の文章が、取り留めのない内容になることを保証する。いまは書き始めることに最大の目的としたい。もしお付き合い頂けるのであれば、付き合える範囲で読んでほしい。
人新世の時代とは、どういうことか。
まず、現代は人新世の時代である、このことに触れる。
つまり僕たちは、「人の行為の集積」が、地球の営みに多大なる影響を及ぼし続ける時代に生きている。「人の行為」とは、「働く、学ぶ、休む、遊ぶ」ということだ。
「人の行為」に分解してみた意図は、80億人がみな等しく、自分のこととして考えやすいためだ。資本という測りに、カーボンやウェルビーイングなどの測りを加えて、社会経済の設計変更をすることは大事だが、一般人には手触り感がない。だから「行為」に着目した。
人新世とは、この「人の行為の集積」が、自然、社会、経済に多大なる影響を及ぼしているということだ。
そして、すべての行為の源泉が「心と体のコンディション」に支配されている。だから「心と体」それを支える環境や関係を整えることが、とんでもなく重要になると考える。
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心と体のコンディションを考える
では、次に「心と体のコンディション」について触れたい。
唐突だが、ポージェス博士の提唱する「ポリヴェーガル理論」をご存知だろうか。僕は、あまり存じ上げていないのだが、インスピレーションの題材として、この理論を取り上げてみたい。
自律神経系(の遠心性神経)が、交感神経と副交感神経に分かれていて、交感神経が優位だと活動的、副交感神経が優位だとリラックスする、という一般常識がある。
ポリヴェーガル理論では、この副交感神経を、哺乳類にみられる新しい回路である「腹側迷走神経複合体」と、爬虫類にもみられる原始的回路である「背側迷走神経複合体」にわける。理論では、「交感神経」はストレス反応を燃料に「闘争/逃走モード」を担当し、「背側」が生命維持のための「シャットダウンモード」を担当する。そして「腹側」が「安全と社交モード」を担当するというものだ。詳しい解説は書籍などを参照してほしい。
僕は、ずっと不思議に思っていた。
現代の資本主義は、交感神経優位の社会だ。あらゆる刺激を与えて、人は「働き」続ける。
一方で、人という生物は、毎日「眠る」。周囲を見渡しても、一睡もしていないのは僕くらいかもしれない。みんな問題を抱えながらも眠ってしまう。
しかし世界では7人に6人が不安を抱え、うつ病が蔓延し、身近な職場でも適応障害が風邪のように流行っている。誰もが生物としての機能上、強制的に休んでいるのだが、休めていないようにみえる。寝ている(休んでいる)のに、どうして「シャットダウンモード」ばかりが発動するのだろうか。
どうやら、副交感神経の働きを「背側」から「腹側」にスイッチする必要がありそうだと思い始めた。
シャットダウンモードを強化するシステムではなく、安全と社交モードを起動するシステムであれば、誰もが好奇心を持ち、他者を頼り、自発的に社会参加できるのではないだろうか。これは重要な問題なのかもしれない。
「働く」から「休む」へのシフト
ならば、背から腹にシフトした「人の行為」に話題を移したい。
冒頭で触れた、人類の中核的な行為が「働く」から「休む」にシフトする、という話だ。
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現代社会における人の行為の連鎖(循環)を眺めてみる。
僕は、「働く」から始まる行為の連鎖を、「こじんまりする”働く”主導型のサイクル (a smaller work-driven cycle)」と呼ぶ。就職して働くと、学ぶ必要性に迫られて、強制力に従って懸命に働き、真剣に学ぶ。時間が枯渇するので、隙間に休むのだがままならず、遊ぶ気力と時間が捻出できない。だんだんと悪循環に陥る。というように見える。
一方で、好循環な人もいる。僕は、「おおきくなる”休む”主導型のサイクル(the growing rest-driven cycle)」と呼ぶ。
ゆったりと休むことから始める。脳の炎症が鎮まり、呼吸が深くなる、静かな臓器の働きが整ってくると、だんだんと美しさや旨さ、心地よさといった直感が冴えてくる。そして不条理やものごとの構造を洞察する好奇心が眼を覚ます。好奇心のまま学び続けると、働くことの意味が内から湧き出てくるし、働くための技能や専門性が育まれる。そして働くことと遊ぶことの境目がなくなっていくように感じる。
すべての人が、「休む」を起点とした行為の連鎖を、時間をかけて育み、豊かさや生きがいを感じてほしいと願うし、健全なる心身の感覚を持って生きる喜びを感じてほしい。
しかし、この「働く」から「休む」シフトがとてつもなく難しい。
僕はこの数年、休まざるを得ない方々との幾分かの時間を過ごしてきた。休むことを強要された方々には、シフトのチャンスがあると考えたからだ。
当たり前だが、現代において「働く」ステータスや立場、「お金」の不安からは、容易に抜け出せるものではない。本質的には、それらを通じた「自己の存在価値」を守りたい、傷つけられたくない。そのような心の声が聞こえてくる気がした。
何より、自分自身が「働く」サイクルに強制的に引き戻されていく。失敗だらけの状況だ。
内からの恵みを大切にした「休み方」
やはり今、僕の中で「休む」が熱い。
脳を含む臓器の抗炎症だけが休むではない、身体という自然環境の声に耳を傾ける、生命の限界と躍動に感覚をあわせて、その働きを引き出していく。不安や焦燥感という燃料ではなく、安心や好奇心を燃料にすることが肝要だ。その行為の集積は、きっとサスティナブル(持続すべき意味のある行為)だと信じたい。
誰しもが、自らの持続可能性からはじめてみる。自己の内側から気づきを得られる「休み方」を探索したい。
まずは、ゆったりとした時空間に身を置き、心と体の声をじっくり聴くことから試してみよう。自ら実感する豊かさが、自然や社会や経済、地球の豊かさにつながると信じられたならば、それは生きやすい世界ではなかろうか。
最後に
「休み方」について書こうと思っていたのだが、コンテキストばかりをつべこべ考えていたら、やはりタイトルからズレてしまっていた。
睡眠や病的疲労、脳や自律神経、腸内細菌叢など各分野の研究が進んでいて、「休み方」の分野は、好奇心が爆発してしまう面白さだ。
だが、大事にしたいことは「強要される」ものではなく、「自ら気づき、試してみる」という自発性の芽生えを待つことだと思う。
頭で考えた正しさを、他者に強要する(〜すべき)世界線になれば、休み方を起点にした行為の連鎖もきっと、こじんまりしてしまうのだろう。
来月から川根本町(静岡県)の山奥、ゆったりした時間軸のなかで、気づきを大切にした試行錯誤を始めてみることにする。実践的な学びや気づきについては、また書き起こして共有しようと思う。