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第二章 刑罰・憲法・悪『現文十五の階段』
感情の劣化、道徳の劣化がさけばれている昨今、電車のなかでマックをたべているとか、お年寄り専用の席で携帯電話をかけているとか、昼日向に高校生が強盗にはいるとか、不法投棄するとか、目に余る行為をよく目にします。
こういう状態を「アノミー」と呼んだのは、デュルケームというひとです。「モラルハザード」ともいいますね。モラルハザードはもとも不動産用語でした。アノミーな状態、これは従属矛盾です。従属矛盾には主要矛盾があります。ですから、アノミー状態を改善するには、その主要矛盾を撤廃しないといけません。これを「矛盾論」といい、毛沢東の考量です。たしかに評判のわるい毛沢東ですが、いいこともたまに言うのです。
アノミーが従属矛盾なら、主要矛盾はなんなのか、という問いに石原慎太郎は「日本国憲法」だと語りました。日本国憲法は、権利と義務のバランスがわるいと元都知事、『太陽の季節』の作者はかたります。権利ばかりがおおくて、義務がすくないそうです。ようするに、ドアをあけるのが権利なら、おんなじだけしめなければならないのに、はんぶんくらいしかしめなければ、とうぜんすきま風がふきさらします。義務がすくないからです。これは、日本国憲法がアメリカの手によってなされたことが前段にあるものだからかもしれません。
第二次世界大戦の終結で、降伏したドイツにたいして、ニューヨークタイムスは「この国は、すばらしい国である」と敗戦国を称揚していますが、こと日本の敗戦のあとのタイムスでは、くじらの化け物のようなものがひっくりかえっていて、そこに軍人がジープで口のなかに乗り込んで「この化け物はまだ生きている。徹底的につぶさねばならない」とイラスト入りで書かれているそうです。
そんなアメリカが手を入れた憲法です、徹底的につぶすのには、バランスのわるい憲法を作成するにかぎります。七十何年かかって、アメリカのもくろみが開花したとしたら狡猾老獪なことだとおもいます。
さて、そのせいなのか、ちまたでは悲惨な事件があいついでいます。死刑になりたいからひとを殺した、という事件はあとをたちません。ようするに死刑制度がなかったら、犯人は罪を犯していないということです。死刑という極刑は、犯罪の抑止・防止のもっとも過剰な罰です。が、そのもっとも重い罰が罪を誘発したというパラドクシャルな現実は、どこかで法治国家としてのシステムの破損、亀裂があったということなのではないでしょうか。
死刑制度を廃止した国は、百四十四か国、存置している国は五十五か国です。そのうち、しっかり死刑をしている国は、たしか三十五か国くらいではなかったかと。しかし、死刑を施行している三十五か国の人口は、世界の半数ですから、まだ、死刑制度はおおむね存在しているといっていいでしょう。
では、なぜ、わが国は、その制度を残しているのか、
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