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ほぼ毎話泣きながら一気に読みました。〜甘々と稲妻を読んで①〜

泣きながら一気に読みました。

というのは「世界の中心で愛を叫ぶ」、通称セカチューの帯に柴咲コウさんが寄せた言葉です。

それをもじるわけではありませんが、僕が

ほぼ毎話泣きながら一気に読んで」しまった漫画、雨隠ギドさんの「甘々と稲妻」の話をしようと思います。

まずはあらすじ

まずは簡単にあらすじをご紹介します。

例によってウィキペディアのあらすじを気に入らないところを編集したものをお送りいたします。

高校教師、犬塚公平は半年前に妻を亡くし、男手一つで幼稚園に通う一人娘、つむぎを育てる慌ただしい毎日を過ごしていた。

公平は料理をするスキルも時間も持ち合わせていないため、食卓にコンビニ弁当や冷凍食品ばかりが並ぶ日々に少し後ろめたさを感じていた

そんなある日、お花見に出かけた公平とつむぎは、母に一緒に花見をする約束をドタキャンされ、体育座りで泣きながら弁当を食べ尽くしてしまった女子高生、飯田小鳥と出会う。

小鳥の母は料理屋「恵」を営んでおり、もしよかったらと店の場所が書かれたカードを手渡す。

しばらくして、つむぎがテレビで紹介される圧力鍋のCMに映る料理をみて「ママにこれつくってっておてがみして」というのを見て絶句し、まともな食事を食べさせてやりたいという思いに駆られた公平。

すぐさま「恵」を訪ねたが、そこには小鳥一人の姿しかなかった。実は包丁で指を切ってしまったトラウマから、料理の知識はあれど経験はなかった小鳥だったが、なんとか3人で協力して土鍋でご飯を炊いて食卓を囲む。

公平は小鳥との「先生と生徒」、という関係から少し葛藤しつつも、その出来事をきっかけとして3人で定期的に料理をする「ごはん会」を開くことになり、料理の楽しみに目覚めていくのだった...

ってな感じでしょうかね。

いつもより長くあらすじを紹介させていただきました。第1話〜2話冒頭ほぼ丸ごとです。

スマートで完璧な初回

僕は、この第1話はこの作品の大切なテーマ性とメッセージが詰まっている完璧な初回だと思うのです。

まずは言わずもがな、親子愛と、二人の成長。

これはつむぎの成長日記ではなくて、親子の成長日記なんですよね。二人とも思い合っているからこそ、お互いがお互いにとっての「認められたい」相手なんです。

だからこそ暖かい手料理を欲しがるつむぎを公平は見逃せない、おいしいご飯を食べるところを父親につむぎは見てほしい。

そして第1話の最後で、小鳥は「母の仕事が忙しく夕食は一人で食べることになっている、だけどこれからは一緒にご飯を食べてくれませんか?」と公平を誘います。

「好意」と一口に言っても

その後、小鳥が少し公平に「好意を寄せている」という描写が続きます。

ここで大切なのが、この好意は、正確にいうと恋愛と結びついたものとは違うということです。

後ほど別の項目でも述べますが、食卓を囲むということ、食事そのもの、そして楽しい食体験を共有することへの好意なんです。

小鳥自身もこの時は恋愛のドキドキと錯覚するんだと思います。

だからこの第1話の終わりは「食卓への告白」とでも呼ぶべきこの作品全体のテーマ性を象徴するシーンなんです。

どのキャラクターも置いていかない「思いやり」

そして、スマートに説明されるそれぞれの家庭環境。公平とつむぎは母親をなくしており、小鳥は多忙な母は父親と離婚しているんですね。

小鳥が公平親子の抜けた穴にハマる構図もそうですが、もっと重要なのが

それぞれがそれぞれに簡単には会えない大切な人の存在とその人との思い出を抱えている

ということです。

この作品はそういう行き場の悲しみを何かで代替したりごまかしたり絶対しないのも好きなところです。

抱えているものを全肯定してしつつ、美味しい料理を囲むことで、じんわりみんなで楽しさとしんどさをとけ合わせていく。

それを全部は説明せずに、この手際のいい冒頭部分のようにスマートに情景描写(情景絵画?)で描いていくんですよね。押し付けがましくない。

そこが雨隠先生の作品のステキなところなんですよね。

圧倒的な「思いやり」を感じるんですよね。読者への、各キャラクターへの。

「みる」「やってみる」「おもいだす」

さて、次からはもう少し物語が進んだ先のこの物語の魅力について語っていこうと思います。

その後の「ごはん会」を通して、様々な料理を作ってそれぞれに成長や発見を繰り返していくわけですが、ここでもどのキャラクターも置いて行かない「思いやり」が炸裂しています。

物語が展開していく上で、つむぎの成長はとても描きやすく、かつこちらもわかりやすいです。

知らない料理、知らない食材、知らない味。そして知らなかった調理工程、知らなかった感情、知らなかった人に出会っていくつむぎ。

そのたびにつむぎが得ていくのは主に「みる」発見です。

もちろんつむぎが実際に何かやって得る学びもあります、ここでいう「みる」発見というのはもっと噛み砕くと「視野の広がり」という言葉で表されるものだと思っていただければと思います。

それに対して、そんなつむぎの姿をみて公平と小鳥も成長していくんですよね。

大人組二人の気づきは「やってみる」発見、そして「おもいだす」発見なんです。

「やってみる」には常に失敗やトラウマがつきまといます。でも、そんな失敗やトラウマから生まれるものもあるわけです。

これがまさに料理とリンクする形で語られるんです。

ご飯を炊こうと思って焦がししてしまった小鳥は、焦げを取り除いた部分のご飯で五平餅を作ります。

それはつむぎにとって初めて「みる」ものであり、その臨機応変な姿勢から生まれた五平餅づくりは小鳥にとって「やってみる」発見を生む。

こんなにスマートでグッとくる描き方があるでしょうか。

小さい頃はもっと呼び方がたくさんあった

そして、ここでなぜ毎話泣いてしまうのかを分析した結果をお話ししようと思います。

それは主に「おもいだす」発見が描かれるところにあるんじゃないかと思います。

つむぎちゃんを見ていると、子供の頃はもっと言葉の意味がいっぱいあったよな、同じものの呼び方がたくさんあったよな、ということを思い出すんです。

つむぎは思い出と結びつけて、沢山の料理に自分の名前をつけて、自分の定義をつけています。

お母さんがいつも作るレーズン入りのドライカレーは
あまあまおうちカレー

風邪をひいたときにし食べられないももの缶詰は
スペシャルなやつ

そしてドーナツは
「ごはんじゃないからむずかしい」ものからみんなで作った経験を通して
おとさんとおやすみのひにたべるうれしいやつ」に変わる。

こんな風に自分も好物や家の味に名前をつけて、定義を作っていたなと思い出させてくれるんですよね。

つむぎが友達とうまくいかないとき、苦手な食べ物を克服した時、公平と小鳥は過去の自分を改装し、寄り添おうとするんです。

その姿に大人サイドである読者は自然と自分を重ねてしまい、つむぎがそれを乗り越えられた時、思わず涙してしまうんですよね。

こんなこと思ってたな、こんな日があったな

という思いは涙腺をぶち壊しにやってきます。本当に泣ける。

そしてそういうときにつむぎに公平がかける一言が大体泣けるんですよ。

「誰かが特別悪くなくてもうまくいかないこともあるんだ」
「時々嘘をつくつもりがなくてもこうだったらいいな〜と思うことを本当か分からないのに言っちゃうことがあるんだ」

このセリフをちゃんと書く途中でもうるっときてる僕は重症ですが...この公平という男は本当に名言botです。あんたのいる高校に転校したかったよ...


まだまだ語りたいけどあまりに長くなってしまいそうなので今回は一旦ここまで!

次は「公平」という男の業の深さとお気に入りの回の話、そして作品全体のテーマについてもう一度ふれていこうかと思います。

ではまた!

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