親ガチャという言葉について

だいぶ旬を過ぎていますが今回は親ガチャという言葉について考えていきたいと思います。この言葉を聞いたとき多くの方が違和感を覚えていると思います。その違和感の正体は何でしょうか。

結論から言うと、言うこと自体が自らの未成熟を表していて幼い、というのが違和感の正体です。親ガチャは子が親を選べないことを表し、特に子が親に対し不満がある場合に使われます。子は親どころか生まれるか否かを選べません。しかし生まれてきた以上、なぜ生まれてきたかよりも何のために生きるかの方が重要です。精神的に子供のうちはこの目的が定まっておらず、自分の思い通りにいかないときや不遇な目にあったときに「産んでなんて頼んでいない」とか「もっといい親に産んでもらえてたらこんな目にあっていないのに」などと拗ね、親ガチャという言葉を使うのです。目的が定まっていればそれを果たすために自分がすべきことを自分で考え実行していけるようになります。辛いことがあり落ち込むことはあっても、拗ねることはありません。

親を選べないことは当たり前のことで、わざわざ口に出すのは精神的に未成熟な子供であることの証です。もちろん最初は誰しもが子供ですし、そのような葛藤や親とのぶつかり合いは大人に成るための大事な工程です。その葛藤や工程を乗り換え自分の生きる目的を見つけられたら、親ガチャという言葉を使うことは自然となくなるでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?