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子どもたちが腹一杯になるために【奥川地区塩自治区】

地域の挨拶回りのついでに地域のいわれなどの調査をしながら周る事にしました。
近年は、地域行事も飲み会もすっかりなくなり、地域住民同士のコミュニケーションも乏しくなってしまいました。
特に地域の先輩から地域のいわれについて話を聞く機会もめっきり減ってしまいました。
地域づくりの原点は、地域を知ることからはじまります。
活動報告をしながら地域のいわれについて話を聞く機会をつくろうと思います。
本日は、奥川地区塩自治区について話を聞きました。
メモ程度に残していきたいと思います。

子育て地蔵が安置されている地蔵堂

子育て地蔵

昔の大飢饉の際、飢えから子供達を守るために作られた地蔵様
毎年12月14日は、地域のお母さんたちが、アンコやきなこ、栗などをまぶした団子を持ち寄り地域の子どもたちに振る舞ったそうです。
地域が子どもがいなくなった現在においても毎年12月14日になると地域住民が団子を持ち寄り地蔵様にお供えをしています。

塩の湯

昭和30年代の地滑りで消失してしまった塩の湯。
皮膚病に効能があるとされたお湯でもあったそうです。
升にためたお湯は、透き通ったブルーがかった綺麗な色をしており、太陽の光が差し込んだ様子は綺麗だったそうです。
特に田植え上がりの季節には、賑わいを見せていたようで、足が悪く来れない人のために一升瓶にお湯を詰めて持ち帰る人もいたほどだったそうです。

塩自治区の由来

塩自治区の名前の由来として、冷泉が湧いていたことと合わせて、岩塩のようなものがとれたようで、今では無くなってしまった林道の傍に舐めるとしょっぱい岩がたくさんあったようでした。

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