見出し画像

26年越しの想い 2024.11.3

この日の日記は趣味爆発で失礼致します。

26年前、横浜ベイスターズが優勝した。それから四半世紀と1年、この日横浜DeNAベイスターズが優勝した。

前回の優勝時、僕は12歳になった小学6年生だった。

小学2年から少年野球を地元スポーツ少年団で始め、最初は親に行けと言わたのと友達が通い始めたので一緒にという感じで、なんとなく。

コーチの安倍(あんばい)さんは怖いし、ノック強いし、ライトの位置分からないしでやる気は緩やかに降下していった。

3年生の時は行くふりしてサボったりもしたけど(もちろんらバレて母親にしぼられた)、4年生ぐらいから足が速くなってきたので試合に出られるようになってからは少しづつ楽しさを感じていた。

5年生からBチームでスタメンで出れたり、そのまま6年生の時は地区でも強豪チームになっていた。

同時にメガネをかけ始めたのでそれは嫌だったし野球やりづらかったけど、強豪にいるという自負や将来のことも考え始めた時、自然とプロ野球に憧れていくのは当然のようだった。

その時、かの有名なマシンガン打線と投手王国で強くなり始めた横浜ベイスターズがついに小学生6年の時に優勝したもんだから少年僕は『ベイスターズの選手になる』と鼻息を荒くしたものだった。

鈴木典が好きだった。石井、波留、鈴木、ローズ、駒田、佐伯、井上、谷繁。齋藤隆、河村、野村、三浦監督はまだ若手だった。そして大魔神佐々木。

当時は先発と抑えといった考えが主流だったので、今のようなセットアッパー(中継ぎ投手)は先発ローテーションから漏れた選手がやるイメージだった。

その辺りから連載が始まった野球漫画の『MAJOR』でも、主人公・吾郎のおとさんがベイスターズを模した横浜マリンスターズの選手だったのでさらに憧れは加熱。気づけばファンになっていた。

(もちろんパワプロで選ぶのもベイ、サクセスで作った選手でペナントやる時も、当たり前にベイだった)

実際のところは、その時から徐々に順位を下げ数年のうちにBクラス(4位以下のこと)常連、そして最下位が定位置となるような暗黒時代に突入していくのだけど…それでもファンをやめる理由にはならなかった。

余談だけどそんな中でも名選手はたくさんいて、金城や多村や村田、内川だって元々はベイだし、木塚、古木、松本、阿波野、忘れかけてる選手も入れたらあげたら切りがない。

縁あって東京に出てきて、横浜スタジアムがとても近くなった。学校は東京だったけど、初めての一人暮らしは横浜市を選んだ。

結婚して子どもができて、しばらく観に行けなくて結果だけ追う期間もあったけど、こどもが大きくなってきた一昨年、スタジアムデビュー。去年、今年と2〜3試合は見に行っている。

全然少ないけど、家族とベイスターズを応援できるのはとても感慨深く、嬉しい。下の息子が野球チームに入って野球やるようになって、ベイスターズで野球をやりたいと言っている。涙が出そう。ちなみに妻はホークスファン。

長々と自分のファン歴を語ったが、そんな26年を過ごしてきて、今年優勝すると夢にも思わなかった。ホークスは強いので、良くて2勝ぐらいできれば…と思っていた自分が恥ずかしい。

選手、監督、コーチ達、とても素晴らしい試合運びをしてくれました。本当にありがとう!そしてお疲れ様です。

内容のことは多くは語らない。結果、優勝だ。

それでもまた目標ができてしまった。次はリーグ優勝してからの日本一、完全制覇。そして連覇。次がまた26年後でも応援し続けるし、6歳の息子が12年後か16年後入団して優勝に導いてくれる日が来るかもしれない。

(親の強すぎる想いは子を苦しめるので、ほどほどに関わっていけたらと思う)

とにかく喜び、歓喜、そんな夜でした。

では改めて…ベイスターズ、優勝おめでとう!

リアルタイムで観ることができたことに感謝

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?