安定したくない
どこかの本の一文に
『生きづらいと、感じている時は成長している』
というものを見つけてから、何年か経った。
胸から今日も消えない。
それ以来、2択が迫ってきたら自然と危ない方を選ぶようになった。
すると一人で茨城に来て、ネットで見つけた車を買って、「休日出勤出来るか?」の緊急出動要請にもありもしない予定を作って断ったりもした。
おかげで孤独に見えるのかもしれない。
どうぞお構いなくなのだが。
私はまだ20代前半で死ぬ間際の老人じゃない。
もし老人で一人で九州を飛び出し、木綿と名付けた車に乗って、上司の言うことを断っていたらなかなか面白い。(将来の構想にもない)
つまり、遊んでいたいのだ。
今の時代生きてればどうにでもなる。
その辺の人が明日にはロックスターになっているかもしれないし、鼻歌がTikTokでバズるかもしれない。
安定するには勿体ない時代と私の年齢だ。
まだ、私は夜に赤いワイングラスを廻したくないし、まだ、昼過ぎまで寝ていたい。
20代で家を買うことになんのメリットがあるのだろうかとCMを見て思ったこともある。
体力あるうちは草むらで寝ても元気に歩けるのだから。
あの人の1番になりたくて努力した服装は、今見たら幼く見えた。
あの時の私の最先端だったのに。
刺激が欲しい。
手洗い出来るタイプの洗車場に木綿(私のワゴンR)と二人で行った今日。日曜日の天気のいい昼間と言うこともあって洗う場所が無いくらい混んでいた。
目の前からヤン車の赤い車が僕らの洗う場所を横取りしてきた。
退く気配もない。
私は木綿を宥めながら帰ることにした。
木綿には刺激はまだ早い。