【連載小説】雪舞心計7/側室選抜 ハラン
南都に入ったハランたちは、天氷月を金子に替えた。
(『影』?)
南都に入ったころ、一定の距離を保ちながらついてくる人影があった。
ハランは両替所をあとにするさい、人影の袖の部分に目を凝らした。影の袖に刺繍された六花紋を認める。
(なぜ母上の『影』が、わたしの在処を把握してる?)
ハランはなに気なく手元をみる。
手には鳳凰木が描かれた南都への通行手形が握られている。
「あ」
通常、南都への通行手紙は南都都庁から発行される。
けれどハランが手にしていたものは南都紅宮から発行されたものだった。
どうやら今の今まで母カジンの手のひらの上だったようだ。
「ヒオク、ひとまず冠衣楼へ向かおう」
「そのまま南都紅宮には向かわないのか?」
「身なりも整えず参内するつもりか?」
ほとんど着のみ着のまま出てきたので、冠衣楼で衣類を調達しながら南都の状況を探らなければならなかった。
冠衣楼のなかに入ると妙齢の女性客でにぎわっていた。
店のなかは奥行きがあり、店の奥に足を進めるにつれ、婦人服、それも妙齢の貴婦人をターゲットにした衣服が充実しているようだった。ハランは従者としてヒオクを連れていたが、客も娘やその母親が多い。
見るからに庶民の女性ではなく、富裕層とわかる身綺麗にした女人が大半だった。
ハランはやはりとくに気に留めなかった。
だが心なしか、つぶぞろいというか、可愛らしい娘が多い気がした。
椿のような娘、雛菊のような娘、山百合のような娘。
衣装部屋には、娘たちをとりかこんで花かごをつくるように極彩色の打掛がならべられた。
ハランのうしろで、娘の1人が母親の選んだ打掛けにけちをつける。
「もうっ、お母さま。南都紅宮がご内室を選ぶのよ!こんな時代遅れの衣じゃ、ご側室どころか宮女にも選ばれないわ!」
思わずハランは振り向いた。
「⁉」
(は?ご内室?)
父亡き今、南都紅宮に宮主請求権をもつ男はいない。
(血筋からいけばタサラがいるけど)
まさか、3歳児に側室をあてがうというのか?
客としてきたハランにかわされて、すごすごと引っ込んでしまった店員を叱りつけていた楼主は振り向いたハランに目を留める。
先ほどから店員の勧める着物とは違う着物を手にとってばかりでつかみづらい客だが、顔は一級品だ。
同年代の美少女ばかりを集めた花園のような部屋のなかにあっても、牡丹や薔薇のような風格がある。
これはいける、と楼主はふんだ。
ハランは黒衣の小袖に紅色の打掛を選びとり、袖を通す。金糸で施された刺繍以外の、一点の濁りも許さない、深紅の打掛はハランの美貌と相まって、見る者に鮮烈な印象を与える。衣装部屋に咲いていた花々を一斉に吹き飛ばす、圧倒的な存在感を放っていた。
いつ襲撃があるかわかったものではない。
それならいっそ、乗り込んでしまった方が安全だ。
「お着物はお決まりですか?お客さま」
ハランの前に楼主が現れた。
「さぁこちらへ。あちらに化粧道具をひととおりそろえております」
ハランは楼主が導くまま、店の最奥へ足を踏み入れた。
ハランが店の奥へと消えて慌てたのはヒオクだ。
ハランについて行けば、南都紅宮に難なく入り込めとふんでいたので、見失うわけにはいかない。ハランについていこうとすると、思わぬ足止めをくらった。
「従者の方はお通しできかねます。これより先に進めるのは、南都紅宮のご内室候補のご令嬢とその親族の方のみ。側室選抜が行われますゆえ」
(側室選抜だと⁉︎)
あの姫君のことだ。やはり一筋縄ではいかなかった。
そう簡単に南都紅宮の中枢に北海氷宮の輩を入れるわけがない。
側室選抜は冠衣楼の敷地をまたいだ時から始まっている。
衣装部屋での審査をくぐり抜け、南都紅宮への禊の場ともいえる化粧部屋に通されたのは二人だ。ハランとミシルである。
ハランに化粧をほどこす化粧係はため息をついた。
どんな不細工も美女に変えるという冠衣楼の化粧係は女を完璧に引き上げ際立たせる技法を心得ている。髪も目鼻立ちも完璧に整っているハランに手を加える必要がないことは化粧係を戸惑わせた。
ハランとミシルは対照的な娘だった。ミシルは化粧によって高められ映えるが、ハランはかえって俗っぽくなってしまう。
ハランにはその存在を伝えるだけで十分だと悟った化粧係は、ハランの額に花鈿をほどこした。
そのハランを穴があくほど見ていたのはミシルの親族だった。
「なんてやっかいな娘を紅宮に上げるのだ。ミシルが霞んだらどうするんだ」
野心でぎらつく眼でハランを値踏みしている親族を背にしてミシルがハランに言った。
「あなた、幸運だったわね」
「なにが」
「あと数日もすれば南都が閉鎖されるって話よ。大勢のご令嬢が集められるという話だけど門がしまってしまえば冠衣楼にたどり着くことすらかなわないわ」
「ええ、そのようね」
平静を装っていたハランだったが汗が背中をつたうのを感じた。
(南都封鎖⁉)
冠衣楼で足止めをくらい、ハランをあてにできなくなったヒオクは単身で南都の要である九月山の麓の宮城に乗りこもうとした。
宮城の庭に忍び込み、宮内を少し歩くと、官人らしき青年にはちあわせた。
トアハは怪訝な顔をしてヒオクに尋ねる。
「お前、確か後宮の厨房担当の者だろう。今日は身体検査のはずだが」
「は、はい。えっと、身体検査?今日でしたっけ。すぐ行きます」
「そちらは千夏宮だ。検査会場は真逆の方向だが」
「あ、そっか。うっかりしてました。へへ」
「急ぎなさい。会場に着いたら医官にしたがって上も下も肌着に至るまですべて脱ぐこと」
「へ?上はともかく、下も、ですか?」
なにを言っているんだ、この子は、という顔を青年はヒオクに向ける。
「そりゃそうだろう。男子禁制の後宮に宦官ではない者が紛れ込んでいたら一大事だからな」
宦官とは去勢され、生殖機能を奪われた者のことだ。涼しい顔をして青年は畳みかけるように言った。
「無断で抜けだした者は連座で死罪。また、替え玉に去勢手術をうけさせ、仕官をもくろんだ者も死罪。手術後、患部が治癒し、再生した者で申告を怠った者も死罪」
なにかおかしい、とヒオクが勘づくころにはすでに遅かった。目の前の青年はにこにことほほえみながらも冷えた眼差しをヒオクに向けている。
「もし再生のきざしがあるなら今のうちに切断しておくことだ。
連座で巻き添えをくらう者からしたらたまったものではないからな。今ならまだ間に合うかもしれない」
「いえ、あの」
ヒオクはあとずさる。
「さぁ選べ。お前の首か、股の間の急所か。どちらが大事だ?」
おしろいの匂いにむせかえりそうになりながら考え事をするためにハランは冠衣楼の中庭に出た。痙攣を起こしかけているこめかみを押さえる。
どうやら数日もしないうちに南都の門は閉ざされるという話は確かなようだった。
(わたしを南都に呼び込め閉じ込めるために、ここまでするか⁉)
いや、ちがう。とハランは思い直す。
南都は文化と経済の中心だ。当然、人の往来も多い。ものも人も南都に集まる。
古来から、人々は外敵からその身と生活を守るため、城壁を築く。
門を閉ざし、街ごと封鎖してしまうということは、外で動きがあったということだ。状況を正しく把握し対策を練るために、安全を確保しなければならない。
(父上もわきが甘い)
北はすでに宮主崩御の情報をつかんでいる。
北海氷宮に南の内情がつつ抜けであるということは、南都紅宮の宮内に間者が入り込んでいるということだ。
(師兄が手をうっているだろうけど)
宮主の葬儀まで執り行うのだ。北がいつ暴れだしてもおかしくない。
ハランは北海氷宮の略年表を脳裏に浮かべる。ソムン氏滅門以降、ソル一族の離散とそれにともなった残党狩りで宮内は混乱していたはずだ。
(北海氷宮の狙いはなんだ?)
ハランはひとり、なすすべなく立ち尽くす。なにかを考えるには、得ている情報が少なすぎた。
けれど、南都に入れて幸いだった、とハランは思うことにした。
南都は交易と商人の街だ。金も人も、ものや情報もあらゆるものが交換される。だからこそ、それらを阻害する都市の封鎖はそれ相応の事態が起きるか、大きな力がはたらかなければできないことだ。
(父上が亡くなった今、南都封鎖なんて大がかりなこと、大師兄でも不可能だ)
それならば、考えられる可能性はひとつしかない。一存で南都とその人々の行く先を決め、南の手綱をにぎる者。
(母上)
ハランは見上げる。秋になれば、紅く染まる九月山と、その麓の宮城を。
脱兎のごとく逃げ出したヒオクをトアハは追わなかった。やることが山積みなのに、もぐりこんだねずみにかまっている暇はなかった。
書類仕事に頭を抱えていると、部屋に向かってくる足音がした。
品はあるが怒りをまとう音だ。
「大師兄。少しお時間をよろしいか」
御簾のむこうの声の主は同じ年の門弟だった。彼がトアハと違うのは二月遅れで生まれたことと剣技の才覚が彼には遠く及ばなかったこと、妻と、生まれてから一年経とうとしている子がいることだった。
声は怒りを隠している。
トアハは書類から顔を上げることなく、声だけで応じた。
「どちらさまだ?」
耳の肥えた南都の大師兄ならば足音や声音でだれが御簾の向こうにいるのか把握できるはずだった。そのことを門弟もわかっていた。これは拒絶だ。
「大師兄。いえ、トアハ。わたしだ」
この南都紅宮で、トアハを呼び捨てにできる者はそう多くない。訪問者は駙馬と呼ばれる立場にある者だった。
いくら彼が実力で勝る南都の大師兄でであっても、ないがしろにできない存在だ。
駙馬はトアハの名を名指しし、自らも名乗って立場を明らかにした。
礼儀を重んじる彼だが、この時はまえおきやあいさつをせず要件を述べた。
「妻と、タサラの件だ。わたしの断りもなく、北海氷宮に参内させたとはどういう了見か」
「宮主不在の今、北に好き勝手されるわけにはいかぬのでな。ユラ御前には郡主としてのつとめを果たしていただいたまで」
トアハも彼を部屋に招き入れることもなく、御簾の前で彼を立たせたまま話をつづけた。彼もまた南都の大師兄としての立場を示したのだ。
「わたしはユラの夫で、タサラの父親だ。これでは体のいい人質じゃないか」
「心配召されるな。北海氷宮もおいそれとナムグン家の姫に手出しはできぬ」
「ユラは先代宮主の一の姫だ。南都紅宮の正統な後継者だ。タサラもまた同じ。ふたりを敵方に差し向け、南都に封鎖令を出すとは」
駙馬の師弟には申し訳ないが、この激動の世に宮主に幼いタサラ公子を据え、太后や摂政を名乗って垂簾の政を行わせるわけにはいかない。
先代宮主が守ろうとした南都紅宮を、北海氷宮にも、内部の者にも好きにさせるつもりはない。
「それから南都を封鎖するよう命じたのはわたしではない。考えてみなさい。南都は商人と交易で成り立っている街だ。 南都を封鎖するには商団主の説得し、折り合いをつけなければならない。時間も手間もかかりすぎる。私の一存でできることではないのだよ」
トアハがそこまで言って駙馬の青年はやっと引き下がった。
トアハは筆を投げ出し空いた両手で目を抑える。
投げたされた筆はからんと乾いた音を御簾の外に伝えた。
宮主崩御にともなって大々的な葬儀をとり行い、師妹には間接的に紅宮の危機を伝えた。側室選抜を手配したのは、敵方に次代宮主は男であると内外に思わせるためのカモフラージュだ。
そしてら側室選抜は、それと見せかけて、次代宮主ハランの側仕えを選ぶための場だった。
ハランなら、母親カジンの目から逃れるため、トアハが手配した側室選抜に潜りこむかもしれない。紅宮と取引きのある冠衣楼経由で南都紅宮に入るだろう。そのことを算段に入れながら同時に北海氷宮に南の宮主の継承権をもつ郡主母子を人質として送り出した。
「疲れた…」
これから宮内や南北がさらに荒れると思うと先が思いやられた。
眼精疲労に頭を抱えていると御簾の外から声がかかった。
「師兄。冷えたお茶を淹れました」
ツェランは御簾を上げて部屋に入るとトアハの隣にお茶を置いた。
あたりにはここ数日でたまった書類やら木簡やら散乱している。
ものすごい仕事の量だ。
(まったく、よくやるよ)
周囲にならい、『師兄』と呼んではいるものの、自分よりも年下の、二十歳の若者が大量の仕事をこなしていると思うと健気だった。
(花のかんばせが)
トアハの目の下にはクマができている。ツェランが、居酒屋で花を投げて気をひいたのは絶世の南都美人だった。
(男だったけど)
ツェランはトアハの後ろにまわり込み、肩を揉んでやる。
ツェランは南都紅宮に入り、初めてこの年下の師兄と手合わせした日のことをつぶさに覚えている。
一目見た時から目を引く美人だとは思っていたが、太刀で撃ち合ってみるとその印象はがらりと変わった。
ツェランが今、この顔貌を見て思い出すのは彼の洗練された太刀捌きだ。
見た目以上の剣圧に、気高ささえ感じる無駄のない動き。打撃は重いのに身のこなしは軽く、高い自尊心を映すような太刀筋。溢れる自信。
(先代宮主の一番弟子で九月山一帯の門弟たちを束ねる南都の大師兄)
剣をもてば、絶対に背後をとられない男が身体をほぐされて、「あー」とか「うー」とか言いながら好きなようにされているのは見ていて面白かった。
(くせになりそうだ)
「ね、大師兄。俺の方が年上だし、兄さんて呼んでよ」
「んえぇ?あ、そこ。そこ気持ちい」
ツェランの大きな手で連日の机仕事で硬くなったトアハの身体がほどけていく。
(とはいえ)
身体のつぼをおされて、溶けていくトアハを眺めながらツェランの心中は複雑だった。
どうやら我らが大師兄には、宮主に据えたい大本命がいるらしい。
師兄は新宮主の帰還を待ちわびていた。