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『新版 神経衰弱と強迫観念の根治法』感想⑥~杭につながれたロバ~
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『新版 神経衰弱と強迫観念の根治法』森田正馬 (著) を読んだ感想⑥です。
驢馬をつなぐ杭で、驢馬が逃れよう逃れようとあせるほど、綱はその杭に次第次第に巻きついて、しまいには身動きもできぬようになるのと同然である。
強迫症・強迫性障害の患者はいろんな治療法をやればやるほど、思想の矛盾がひどくなり、強迫観念が増加するのを、杭につながれたロバの例え話で表しています。
確かに強迫性障害から逃れようと焦るほど、症状は悪くなっていったと思います。
私が全治させた患者のうちには、不潔恐怖の発病以来二十二年と、不眠恐怖の同じく二十二年と二人あった。これだけの努力、忍耐、持久力を縁の下の力持ちでなく、ちょっと置きかえたら、いかに人生の活動が立派に有効にできたことであろう。
僕は強迫性障害の不潔恐怖なわけだけど、もし手洗いなど体や場所をキレイにする行動をしていなければ、その多大な時間は人生のもっと有意義な活動に使えてました。後悔しても遅いですが、無駄な時間を使ってきました。
ただ努力する力や忍耐力はあると思います。普通の人ならそこまでしないだろうというレベルまで手洗いなどの努力と忍耐をしてきたので。
患者がもしひとたび心機一転して思想の矛盾を断ち、無礙の心境を獲たならば、従来の苦悩、悲観はたちまち大きな歓喜となり、宗教でいえばいわゆる法悦となるのである。
「無礙の心境」とは「さまたげ(碍)」が無い状態、つまり自由な状態になったら、苦しみはたちまち大きな喜びとなって、「法悦」=最高潮の快感状態になるということらしいです。
確かに自由になれば、いろんなことができるようになって、大きな喜びになると思います。
「山に入って山を見ず」ということに喩えてある。苦痛の中に住し、苦痛そのままになったときには、もはや自分に苦痛というものは見えない。
外国から日本列島は見えるけど、日本に住んでしまえば日本列島は見えない、というのと一緒ですかね?
電車の中で不安になる患者でも、その不安を当然のこととし、思想の矛盾を脱して、不安そのままになったときには、もはやその不安を感ずること、批判することはできなくなり、すなわち平常心是道の体験を得ることができる。
「不安そのままになったとき」というのがまだ理解が追いついていませんが、不安を感じることができなくなるのはいいですね。
人生の行路は、苦楽つねに相伴っている。ことさらに苦楽を分けるに及ばない。その時々の事実を事実のままに認めさえすればたくさんである。
これを「事実本位」というらしいです。気分に左右される「気分本位」とは違うと説明されてました。
事実がそうなのだから仕方がない。これが「あるがまま」でしょうか。
今日はここまで。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(感謝)