「私は安い靴を買うほど裕福ではない」に共感できる歳になった
タイトルの言葉に聞き覚えのない方は嫌味かなんかの類か?なんて思ったかもしれません。
私も初めて目にした時にはそう思いました。
これは英国に伝わる言葉だそうで、伝統だったり、受け継ぐ文化というものが浸透しているからこそ生まれた言葉。
日本では新しいものを買ったとしても、古くなったり壊れれば捨てて新しいものを買う。いわゆる"買い替え"の文化だとしたら、英国は全くの逆。
一枚のジャケットにしろ、一足の靴にしろ、最初からきっちりと仕立てたものを修理やお手入れすることで長く愛用します。リペアや仕立て直すことで子ども、孫の代まで受け継がれることもあるそうです。
だからこそ多少値が張ったとしても、そこを惜しむことはありません。長く使い続けることがわかっていて、長い目で見た時に、目の前にある価格はそれほど高くないと知っているからです。
ファッションに合わせていろんなものを試したい。流行り廃りを汲み取って買い替えたい。
私も違うことなく、学生の頃はそんな考えを持っていました。
アルバイトしていても勿論お金に余裕なんてありませんから、ファストファッションでいろんなものを試せる方が有意義だと思っていたのです。
社会人も数年と経ち、アラサーとなった今では、若い頃にたくさんのものを試したおかげで自分に合うものや好むものがわかってきました。
流行りに挑戦したいという気持ちは今でも変わりなく存在しますが、スタンダードアイテムに対しては少しだけ良いものを選ぶような心掛けを持つようになりました。
長く使用することによる愛着のようなものが自分の中で芽生え始めたからなのか。毎シーズン同じものを購入することに飽き飽きとしてきたからなのか。
どちらにせよ、モノを大切にすることの愛おしさを感じられるようになり、少しだけ自分自身の心の成長を実感することができています。
「私は安い靴を買うほど裕福ではない」
この言葉は単に長く使えば使うほどに単価が安くなるよなんて話ではなく、長い時間をかけてモノを大切にする心を表しているのではないかな。
まだまだ買い替えの文化にどっぷりと浸かっている私ですが、もう少し歳を重ねた頃にこの言葉が似合う人になれてたらと思います。
私は安い靴を買うほど裕福ではない。