父のこと①
母が亡くなる前、もう10年以上前のことだけど、
一緒に東京を歩いたことがある。
確か従兄弟(母には姪)の結婚式で上京したときのこと。
有楽町を歩いていたら、あるビルを指して
「私はあのビルで働いていたんだよ」と言う。
そのビルはtoshibaと表記されていた。
母方の親戚が東京には何軒かあった。
学生時代、新橋にある母の叔母という家を訪ねたことがある。
50年以上も前だから、新橋駅もごみごみしていた。
駅から歩いて数分のところにその家はあった。
欄間を指さしながら「これを作っているんだよ」と教えてもらった。
なるほど、部屋中がおもちゃ箱のようになんだかんだと
散らばっていたのを覚えている。
いわゆる職人さんの家だった。
もう一軒、趣のまったく違った家を訪ねたことがある。
母の叔父の家で 、山の手にあったと思う。
その叔父は母の故郷で何度か出会ったことがあった。
家に入るといまで言うリビングにピアノがあった。
私を歓迎する雰囲気で、その家の息子が何曲か弾いてくれた。
そして、その息子と神田の本屋さん巡りを進められ
一緒に神田の街を歩いた。
テレビが無く、代わりにピアノを家族で楽しむという生活スタイルに
衝撃をうけたことを思い出す。
叔父はどこかの大学教授をしていた。
そして、ボクもそこそこ親しかったのが代田の叔母さん。
代田に住み、そのころでいえばBG(ビジネスガール)であった。
母はこの叔母の薫陶を受けていた。
この叔母の家から有楽町の東芝へ通っていたらしい。
戦前、昭和14,5,6年頃のことだ。
夏の太陽の下で、柿が育ちつつある。
それにしても今年の夏の暑さは厳しい。