世の中を斜めに見たい時もあり
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先日、某有名私立小学校の元校長先生のお話を聞く機会がありました。
「これからの教育は『非認知能力』を高めることがとっても重要である」
とのこと。
非認知能力とは、
○ コミュニケーション力
○ 知性・教養
○ 創造力
○ 新しい学力(リーダーシップや忍耐力などなど)
いわゆる点数化出来ない能力のことです。
例えば、コミュニケーション力をつけるには子供の話を「後回しにしない」「先回りしない」ことが大切、とか、創造力の反対は「分別力」である、とか。
分別力とは「教わる教育」から得られるもので、創造力とは体験、経験の中で考える自ら学ぶ教育から身につくものである、とのこと。
#なるほどね〜
そして、やっぱりここでも出ました「自己肯定感」の大切さ。
自己肯定感をはぐぐむには
① 否定語を使わない
② 他の子と比較しない
③ 円満な家庭を心がける
だそうです、、、。
こんな話を聞く時、うんうんとうなずく一方で
『わかっちゃいるけど、、、』
と斜に構えてしまうあまのじゃくな私もいます。
#世の中斜めに見たい病をたまに発症
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① の否定語を使わない、は努力や注意でなんとか出来そう。
「〜しちゃだめよ」
ではなく、
「〜してね」
と伝える。例えば
「廊下は走ってはいけません」
ではなく
「廊下は歩きましょう」
ってな具合に。
「大きな声を出さないで!」
ではなく
「小さな声で話してね」
に変換。慣れるまで大変そうだけど、まぁ出来るかも。
私のモヤモヤはその後の2つ、、、。
② の他の子と比べないってかなり難しい。努力でなんとかなるものではなく、「感じて」しまうものだから。
『みんなちがって みんないい』
は理想だけれど、なかなか思いきれないこともある。隣の芝は青く見えるものだし、なんなら子供時代の自分と比べることもある。
#自分の幼少期は結構都合よく脳内で書き直されているもの
「比べる」ことは本能みたいなものだと聞いたことがあります。支援学級を受け持っている友人が
「障害児同士でも差別がある」
と悩んでいたのを思い出します。
『自分は人より劣っている。でも、この子は自分より出来ない』
とクラス内で弱い者いじめをする子がいるのだそう。
、、、「比べない」事を無理しなくても良いのかなと思います。
他人と比べて落ち込んで、それでも
「うちはうち、私は私、この子はこの子」
と強がりのような開き直りを繰り返して、いつか落とし所を見つけていけたら良いのでは?と。
よその子と比べてはしまうけれど、それを我が子を責める材料にしないよう気をつける。
#それでもね、難しいですけどね
子育て期間中、散々よその子と比較して落ち込んできた経験のある身としては、安易に
「他の子と比較しない」
なんて言われても
「おっしゃるとおり!」
とは言えず、、、。
③ 円満な家庭とは!?です。そりゃぁ、円満な方が良いに決まってる。当たり前。まさか、両親揃っていることを前提にはしていませんよね?
今どきシングルで子育てしている人は多いし、家族の形は様々で、その家庭なりの「円満」があるけれど、
「円満な家庭を心がける」
という言葉からは、昔の価値観でのステレオタイプの「家族円満」な絵面が浮かんできます。
#サザエさんみたいな?
誰かの肩に不公平に重荷が乗ってしまうのは、家族としての在り方にいびつさを感じるけれど、誰かを犠牲にして円満を保っている家族はたくさんあります。
#それを円満というのならば
自分の好きなことを気兼ねなく出来る環境は、他の誰かの好きなことを認める環境でなければ。それが家族であっても。
#はために円満と見えないこともある
表面的な家族円満も大事だと思います。例えば、夫婦喧嘩なんて幼い子供に見せるものじゃない。でも、自己肯定感を高めるのに「家族円満」って必ずしも必要?
(↓母子家庭で育った友人と父子家庭で育った友人のエピソードがあります。
2人とも円満とは言えない家庭環境。
でも、不幸ではないし、自己肯定感がないかと言えばそうでもない)
本日、若干独りよがりなつぶやきになってしまいました。
#そんな日もある
さてさて、同じ日に栄養学と遺伝子について詳しいドクターの講演もありました。そこでお話していたのが、
「グルテンフリー」の食事について。
#私はパンもラーメンもお好み焼きも大大大好きですが、なにか?
そんな話もまた今度。
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