「光る君へ」 第38回 まぶしき闇
>扉絵
いや、大丈夫大丈夫、何も起こって(怒って?)ませんよ。
ただ見てます。
バットはたまたま持ってるだけですw(エクササイズ用かな!?)
今回は疲労感が多少マシ。
ここのところ続いてた「ただただ長い」感じがあまりない。
これはやっぱりまひろ登場シーンが多くなかったからか。
ヒロインの出番が多いと退屈だなんて、見る意味ないじゃんね(いきなり危険な結論に到達してしまった…)。
ききょうとまひろ
ききょうがまひろを訪ね、本題に切り込む。
帝のお心から「枕草子」を消してくれと。
亡き定子様の輝きをなきものとするために。
「源氏の物語」を恨んでおりますの。
なんでこう二つの作品を二項対立にしたがるのかね。
もちろん、勝者は「源氏物語と彰子」であって「枕草子と定子様」は上書きされた側という構図。
源氏物語と彰子は“現在進行形”で枕草子と定子様は“過去”なのはただの現実。
時系列が違うだけでどっちもちゃんと存在してる。
「恨む」とかいう類の話じゃない。
わざわざ清少納言に恨み節を語らせて何がしたいんだろ。
敗者、勝者を羨むの図を描きたかったんだろうな。
いつもの他方サゲ手法の亜種か。
敦康
敦康が「元服はまだヤダ」→彰子に会えなくなるから。
元服の時期って本人の希望でどうにかなるものなの?
敦康にそんなバカなセリフ言わせないでくれ。
そもそも敦康が彰子を過度に慕うという捏造設定が諸悪の根源。
源氏物語とリンクさせたいんだか知らんけど、その辻褄合わせのために周りを捏造に巻き込むな。
詐欺師の手口でしょ、最初に嘘つくから嘘に嘘を重ねる羽目になる。彰子にベッタリとじゃれつく敦康を遠くから眺める道長。
平安時代の「母代わりに育てた」がああ言う親密さをいうわけないじゃん。。
敦康の全力での甘えに彰子がちょっと引いてるように見えて嫌。
敦康は「空気が読めず負担な存在」と映るような演出に思える。敦成が生まれたことでもはや敦康は道長にとって邪魔者。
でも漂白道長には相応しくないことなので、このドラマでは敦康の継母彰子への態度が不穏だから(つまり悪いのは敦康)遠ざけたってことにしたいんだろうな。そもそも「元服したら会えなくなる」の重みが全然伝わないんだよな。
このドラマではこのシーンの道長みたいに「近くに寄れないだけで遠目には見られる」程度のことになってるから。
撮影上、御簾ありの世界を描きにくいのはわかるけど、それでも頭を使えば(そして平安時代を再現する気があれば)もう少しやりようがあったはず。
ここでも最初の嘘(=御簾省略)が後々自分らの足枷になってる。御帳台の場面。ここの主上がちょっとな。
…されど私の敦康様への思いは変わりませぬ。私にとって敦康様は闇を照らす光でございました。その思いは敦成が生まれましょうとも変わることはございませぬ。
この彰子のセリフ、主上に言って欲しかった。
「敦康がいるために敦成が狙われてると思うか?」なんて聞くんじゃなくて。
「敦成が狙われてるのは敦康のためだとしても定子の忘れ形見である敦康もそなたとの間の敦成もどちらも愛おしいのだ」とかね。
主上を感極まらせる(?)ためには彰子に言わせたかったんだろうけど。
道長と頼通
あのシーンの道長のセリフ、何が言いたいのかさっぱりだったんだけど。
書き出してみよう。
…やっぱり何が言いたいのかわからない。
でも(なぜ急にそういう考えに至ったかの説明不足感は置いておいて)①→②の流れは理解できる。
でも③→④、そしてそれが⑤に結論づくのがさっぱりわからない。
道長、あんまり頭良くないな?(道長というより脚h…)
これで分かった頼通はすごいじゃん。
⑥は語るに落ちるってやつだな。
そして⑦はまひろと視聴者に向けての取ってつけたような言い訳か?
(棒)ってつけたい感じ。
言ってる道長も聞かされてる頼通もそんなことは微塵も思ってもいない。
この訳の分からなさはいけにえ発言の時(第26回)を思い出す。
こういうのがこのドラマを見るストレスのひとつなんだよなー。
練られてない論理破綻しためちゃくちゃな文章を読まされてる感じ。
言ってる内容が酷いんじゃなくてそれ以前の問題なんだよ。
「何を言ってるのか分からない」「なんで急にそんなことを言い出したのか分からない」なので。
人に何かを尋ねて返ってきた反応が全くピントずれてるのに長々それを聞かされてる時の頭の中の混乱と近い(何?何を聞かされてんの?)。
このドラマ、そういうシーンやセリフがすごく多い。
大したことは言ってないのは知ってるから(おいw)もっと内容に合ったシンプルで整理されたわかりやすいセリフ頼む。
てか、身内なんだから兼家みたいにもっとド直球な欲望ギラギラなセリフでよかったんじゃないの。「一族のためだ!」ってさ。
こんなとこまで漂白する必要ある?
呪詛・伊周
道長がずいぶん勇ましく対応してたけど、実際は怖くて土御門殿の塗籠で布団かぶって震えてたと思うw
呪詛そのものが怖かったのか、呪詛を捏造したことがバレるのが怖かったのかは知らんけど。
「御堂関白記」にはこの月だけぽっかり記述が抜けてる。
まずいことコワいことは書かないいつもの道長仕様。
経緯がわかるのは権記が残ってるから。伊周の呪詛シーン。
これ、もうバカにしてるでしょ…。
お笑いシーンにしてるとしか思えない。全然笑えないけどな。
今に始まったことじゃないけど、この脚本家ってほんとに…(略)。
実在の人物に対してここまでの貶め改変ができてしまうその神経がわからん。
道兼しかり、義懐しかり、道隆に主上や敦康。
過度な貶め、漂白、どっちにしても敬意があったらできないことだよな。
伊周(役)の人が呪詛セリフは本物だと自分に返ってくるから少し変えてるのにそれでも不調だったとか?
脚本の通りに演じただけなのに理不尽すぎる。
そういう「返り」は脚本を作った人間にこそ向かうべきじゃ?
本当になんでコイツ(!)を大河に関わらせたんだろ?
最近は脚本家以上に企画した制作陣の方に怒りを覚える。藤壺でボヤ(実際は一条院内裏焼亡)。
脩子様・ききょうが敦康とともに伊周邸に一時避難。
脩子様、竹三条宮にいるって設定どうなったの?
藤壺の火事関係ないじゃん。
嘘設定の整合性も取れないなら最初から捏造すんなよ。
※実際は一条院内裏にいて敦康と同車して避難してる。最後、土御門殿を訪れた伊周。目の前でダイレクト呪詛。百舌彦が持ってきたのと全く同じのばら撒いちゃってるし。。
これだと伊周が首謀者ってことになるんじゃないの?
今日のまひろ
和泉式部をスカウト。道長に推薦し、出仕するようになる。
あの頼通に品作って色目使うの、なに?なんか意味あるの?
それにしても謎なのが隆姫降嫁について紫式部に相談した(隆姫父の具平親王と紫式部一家には親交があった)という史実をやらないで、あんなおかしな創作お色気シーンをやったこと。
まひろ無双にいいネタだったのに。「下世話ネタ>史実」は徹底してるな!最後、渡殿で見つめ合うソウルメイト。長い、キモい。以上!
もちろん不特定多数が見るドラマなのは承知の上で。
演出上、細かい部分が史実と異なるのは仕方がない。
そもそもが架空の恋愛を軸にしたこのドラマでは「史実」の扱いが非常に軽いのももう諦めた。
誰と誰に関係がなかったという証拠もないから創作可能と言われれば確かにそう。
ドラマを好きも嫌いも見る人の自由だ。
でもたとえば上に書いた御簾問題や官位・身分に関わることは仮にも平安時代を舞台にしている以上は「ドラマだからしょうがないじゃん」では済まないことなんだよな。
ハードルを下げに下げたのに最低限のラインさえ無視。
謎の伊周邸避難場面、あの時点では脩子様の方が上位なのに敦康が上座にいた。
御簾問題と同じく、正しい座位で撮影するのにも撮影技術上難しい何かがあったの?…あるわけないよな。
ちょっと調べればわかることを演出の都合なのか知識不足なのか雑に扱ってしまってる時点でこのドラマには「大河」の看板は重すぎる。
キラキラキャストと綺麗な衣装を揃えただけの薄っぺらいハリボテドラマ。
視聴者にとっては1年だけど制作側には2、3年関わってる人もいたんだろうに。
つくづく残念。
ガイドブック完結編。迷ったけど結局入手してしまった。
結局、NHK版は前編、後編、完結編と全部揃えたことになるけど、放映終了後、開くことはないだろうなぁ。。
読んだ感想などを少し。
(ガイドあらすじの通り映像化されるとは限らない)
妍子の描写、どこからあんな発想に?(あの脚本家以外思いつかんわ
結局隆家はどういう立ち位置?
唐突に挟まれる賢子と双寿丸エピ(イラネ
主上崩御あっさり。辞世の句なし?(彰子の分が悪いから?
行成蓄財希望の理由スルー?(長家出ないから?
隆家の見せ場におかしな設定ねじこむな(遠路はるばる…
最後の数話の駆け足感半端ない
前回の宿下がり酔っ払いまひろへの批判を「母の辛さが理解されなくて可哀そう」「ダメ母でもいいじゃない」と擁護するポストを見たけど、そこまで考えての脚本・演出なのかな…?
だって宮中&土御門殿で賢子のこと思う場面なんてなかったし、そもそも賢子の名前出したのだって宿下がりの言い訳としてでしょ。
あの酔っ払いクダまき場面を見て「母の愛」に思い至るのすごいな。
当の脚本家が一番びっくりしてたりして。
あの人はファミリードラマには興味ないんじゃないかな。。
…まぁいいや。正直どうでm…ごほごほ。
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(俳優さん変わったのに元服前の下げ角髪はかなり「成長著しい」感)
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