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「光る君へ」 第34回 目覚め

この感想記事、「扉絵が源氏物語じゃない時」は怒りやら呆れやらのゲージが特に⚫︎ ⚫︎高めな回なのだが今回で4回目。
とはいえ、前もってガイド本読んだ時「なんだと💢」と思ってたセリフがなかったので予想よりは怒りゲージ低、呆れゲージ高で推移した。
これは耐性がついてしまったのか…?
でもセリフをコピペしてるうちに怒りレベル上昇(自傷)。

前回も書いたけど、やっぱりまひろ中心はキツい。
誰も彼もがまひろを特別扱いしててその突拍子のなさについていけない。
いくらヒロインだからってこんなミエミエの持ち上げ演出って安易すぎない?


今日の主なゲージ上昇ポイントは朝廷トップの突然訪問三連発に伴うまひろの「お前が言うか!?」なセリフ。
このドラマに関してはいろいろ諦めの境地とはいえ、特に主上までまひろアゲ要員改変するのは勘弁してくれ。

いつものコーナー休止でGO!

【1】 道長、執筆中のまひろを突然訪問

ここの道長のセリフもちょっとどうかと思うよな。
「いまだ中宮さまにお手は触れられぬか」
 「お前、なんとかならぬか!?」
←ならぬわ!
 「このままでは不憫すぎる」
まさか撒き餌で主上が局に来さえすれば子ができると思ってたの?
そしてそんなとこまでまひろに頼るとか。。
強いて言えばそういう領域は乳母が御指南するんじゃないの。
でもそこをどうにかしよう(できる)と介入しようとするんだよね世界はまひろ中心だから。
「中宮様のお心が帝にお開きにならないと前には進まぬと存じます」
いや、何様なの?結婚カウンセラー?

いけにえにしたのは自分でしょ、今更不憫とか。
そもそも、彰子に子ガーを連発してるけど、なぜそこまで焦るのかちゃんと描いてないよね。敦康に対する道長の複雑な思い、全然スルーだよな。
敦成誕生後、道長の敦康への扱いが目に見えて軽くなるのもスルー?
まぁ今も敦康を大事にしてる描写自体大してないけど。
それでも敦康は伊周より懐いているらしいな!

【2】 中宮自らまひろを突然訪問

お付きの女房に「下がれ」と告げ人払い……ちょっと口調冷たすぎん?
無愛想とか自分の中に篭りがちとかいう以前にあれじゃ自分とこの女房たちにも好かれないわな。
そんな彰子がなんでここまでまひろにだけ懐いてるの?

物語の魅力、主上が何に惹かれてるのかわからないという彰子にまひろ「帝のお心は計り知れませぬ」(あたりまえじゃ!)と言いつつも
「私の願い、思い、来し方を膨らませて書いた物語が帝のお考えになることとどこか重なったのやもしれませぬ」
…はぁ。何様(再)。
自分の考えが主上と重なるなど、恐れ多いにも程がある。
そして去り際、中宮様「また来て良いか?」

【3】 主上自らまひろを突然訪問

またまた女房を下がらせる…みんなまひろと二人になりたがるんだな!
主上に「なぜこの物語を書こうと思い立ったのだ」と尋ねられ道長の依頼と。
「されど、何が帝のお心を打つか思いつかず、左大臣様に主上のことをあれこれと伺いました。そこから考えた物語でございます」
 「書いているうちに私は帝のお悲しみを肌で感じるようになりました 」

はぁぁぁ!?
たかだか数時間、道長からちょっと取材したくらいで主上の悲しみの何がわかるというのか。図々しい!そもそも臣下が主上のことを噂するな!
そもそも元凶の道長が主上の何を語れるのか。
分かったふうなことを言いおって。
帝の気持ちを肌で感じるなどと思い上がりも甚だしい。

でもこれ実は、ガイド本にはもっとド厚かましいセリフがあったのだ。
「次第に 、皇后様をお亡くしになったお悲しみから、どうか立ち直っていただきたいと願いながら書くようになりました」
これがなかった分、まだマシ…でも何様(再々)!?

まひろの言葉に対して主上。
「朕に物おじせず、ありのままを語るものはめったにおらぬ」
 「されどそなたの物語は朕にまっすぐ語りかけてくる」
 「また来る」
主上もまた来んのかよー!
主上までまひろ褒め要員にしないでくれ。
どこまでヒロインアゲすれば気が済むんだこの脚本家は。。。

そして去る主上に向かってまひろの「心の声」
「私ではなくて中宮さまに会いにいらしてください」
…この主役限定の「心の声」、キモくなかった⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎試しがないんだわ。
なんかこの「私ではなくて」にすごく不遜なものを感じる。
何様(再々々)!?

この中宮、主上の訪問はまだ心は通ってないけどシンクロしてる〜とかってことなんでしょ?ハイハイ

【4】 曲水の宴(寛弘4年3/3土御門殿)

まひろ、赤染衛門と共に彰子の目の前に侍する。まるで上臈女房。
宴の途中、急に雨が降り出し道長と三納言が屋内に避難する。
あれ?なんで公任いないの?見せ場なのに。
「御堂〜」ではいたことになってるけど(スケジュール?)。
その代わりが大江匡衡?(セリフなし)

手拭きを差し入れたまひろ、なんでその場に居座ってんの?
久々の俊賢!「なぜ光る君を源氏にしたのだ?」「亡き父高明を思い出した」はわかるけど、「父は素晴らしき人であった」ってなんか唐突な感じ。
これに対してのまひろの答え。
「どなたのお顔を思い浮かべられてもそれはお読みになる方次第でございます」
なんかもう記者取材に答えるいっぱしのベテラン作家みたいじゃん。

友人(設定)と一緒のくだけた様子の父を驚きの目で見る彰子。
まひろがチラチラと御簾の中を気にしてるのはなに?
まひろがあの場に混じってたのは、最初から道長含む男連中の「そういう姿」を彰子に見せたかったからとでも?そんな深い意図が!?
それがこの後の今日いちキモい発言に繋がるの?

 「殿御は皆かわいいものでございます」
 「帝も殿御におわします」
 「先ほどご覧になった公卿たちとそんなにお変わりないように存じますが」
 「帝のお顔をしっかりご覧になってお話し申し上げなされたらよろしいと存じます」

これはダメだ……。
このシーンはさすがに怒りインジケーターが急上昇。


MAX来ました!

キモいし、不敬だし、何様だし、どの口が言うかだし。
和泉式部が言うならまだしも、よりによってお前が言う!?
自分と関係のある男の娘に「殿御はかわいい」と言っちゃう図の気持ち悪さ。
道長もまひろも彰子に対して後ろめたくないのかね。
両親が不仲なのか心配するような子が、やっと本音を漏らせる女房と出会えたと思ったらそいつが父親と関係して子までいたと知ったら?
道長はそんなまひろを見て「小さく微笑む」(音声)…あの場でもそんな目で?

【5】 藤壺のまひろ

前回のアレ(檜扇)を広げて昔を思う。「心の声」(またかー!)
「あの幼い日から恋しいあの人のそばでずっとずっと一緒に生きていられたら一体どんな人生だっただろう」
いや、今、毎日一緒だよね?
「ずっと」じゃないのは自分が断ったからでしょ。誰かに邪魔されたっけ?
それにしても今でも「恋しいあの人」なのかやっぱり。
もうビジネスパートナー的になったのかと思ってたら。よくわからん。
賢子のこと全然思い出してないけど大丈夫?


ここからは他のシーンの感想など。

  • 寛弘3年7月、興福寺僧兵が朝廷に押し寄せる。前回も書いたけど、道長が一方的に頼親の肩を持ったことがこの大騒動の一因なんだけどそこはスルー。

  • そう、前回(平維衡任官)と同じ。道長が武力で朝廷をないがしろにする事態を招いていいのかと主上に一席ブッたことで、その認識の正しさや清盛の先祖にあたるとかそっちに注目されるばかりで「顕光の推挙だから潰した」は知られずじまい。あの事件のキモはここなのに!

  • 今日の強訴場面ってしごでき道長アピール?時事ネタ?これをやるならもっと他の場面やってよかったんじゃ?
    この後の時代と違ってまだ天皇や朝廷の力が強くてガツンとNOを突き付けられたのは事実なんだけど、単にまだそういう時代だったってだけでは。

  • 中宮大夫斉信、中宮さまを隠せとふわっと命令。女房が右往左往する中、新入りまひろが彰子を清涼殿の主上の傍に移ることを提案する。斉信「そのようにいたそう」じゃないんだよ、君が初めからもっと具体策を指示しろや。

  • 寛弘4年正月13日、主上、道雅を蔵人に推挙。道長は惟規を推薦する(本当はもう一人、藤原広政も)。「御堂〜」に「頗る年長」とあるので33~34歳だったと思われる。

  • 物語が宮中に広まる様子。道長がこういう状況に目をつけて紫式部を出仕させたって方が自然だよなぁ。
    公任も斉信も女と一緒に読んでるのになぜ行成だけ一人!?(当然妻子あり)

  • 曲水の宴。個人がこのレベルの催しをできるって、道長の権力・財力の凄さはやっぱりケタ違いだったんだな(小並感)。

  • 敦康が伊周に塩対応。
    彰子の元にいる限り、伊周より道長と顔を合わせる機会の方が多かっただろうし、敦康にとって伊周は単によく知らない人なんじゃないか。
    寛弘3年ならまだ8歳。8歳の子が自ら塩対応したとしたらそれは周りからそう吹き込まれてるからってことになるぞ。
    それだと今後の道長の「敦康使い捨て」とどう整合性取るのか。
    やみくもな主人公アゲ、伊周サゲも大概に。

  • 寛弘4年8/11道長。金峯山詣に出発。顔の良すぎる頼通も同行。俊賢と道長の親密さを描かないから「なぜ俊賢?」と思う人がいたのでは?
    頼通に道長が「…欲、色を経つことができるか」と聞いた場面、すぐ「お前はできんのかよ」と思ってしまった。


【補足】この時期(寛弘3~4年)に起こって描かれなかったこと

  • 寛弘3年3/4東三条殿で花の宴。

  • 同年11/5東宮一宮敦明親王、道長邸で元服。

  • 寛弘4年正月20日脩子内親王一品(准三宮じゅさんぐう)。

  • 行成は俊賢らとともに32話(寛弘2年11/15)で焼亡した内裏の再建造宮行事を任じられていた。翌寛弘3年末で造営は終了、寛弘4年正月20日の造宮叙位で行成は従二位に叙される。
    俊賢は自分の賞を義弟経房に譲って正三位に止まったので行成が追い越した。この「二位の参議」は異例。


第35回予告 「中宮の涙」
・金峯山詣本編
・伊周の道長暗殺計画?
 小記目録にある噂レベルの話だけど、伊周サゲには格好のネタだよね…
・結婚後7年経つ夫に「お慕いして〜」?でも恋愛ドラマとしては盛り上がるとこなんだろうな。。ついに!の大転換点に繋がるしね…。
※ガイド本後編収録最終話

果たして次回扉絵は源氏物語かイラストか!?


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