「光る君へ」 第48回 物語の先に
>扉絵
うおぉぉぉぉ完走!
もうすべて終わった!終わったんだ!終わった終わった終わった!
すべて忘れて新しいテレビと幸せになるぞーー!
*・*・*・*・*・*・*・*・*
思えば当初の扉絵は尾形月耕の『源氏五十四帖』だった。
特に思うところがあった回の時だけウサギにしてたはずなのに、気づけば34話以降ウサギがデフォルトに。
視聴意欲と扉絵作成意欲が反比例になったのもその頃…(遠い目
ついに終わった!!
最終回。「終わり良ければ総て良し」とはよく言ったものだ….….。
NHK看板番組である大河ドラマの1年を締めくくる最終回に倫子vsまひろをぶつけるそのセンス。
それも脚本家的には「期待にお応えして」という感覚なのが驚く。
この大河に対してずっと抱いていた違和感の集大成を見た感じ。
ここに来て多発した裏話満載の提灯記事にもかなり視聴意欲が削られた。
あと1話と思って踏ん張ってたのに!
というわけで見る前からテンションダダ下がりで最終回へGO………
倫子とまひろ
前回クリフハンガーで終わった“対決”場面。
でもまぁ倫子はまひろと同じ土俵に立たなかったので対決にはならず。
倫子「あなたが旅に出たら出家までしてしまったんだもの」
→【確定】道長の出家はまひろの旅立ちが理由だった!!
倫子「殿の妾になっていただけない?」
→出家者(62歳)にオンナ斡旋???
倫子「いつごろからそういう仲になったの?」
まひろ「初めてお目にかかったのは9つの時で…」
いや、妾の話の直後に「そういう仲」って聞かれたら普通は「男女の仲」のことじゃないの?「いつからの知り合い?」って聞かれたんじゃないんだから。
それを9歳から始めるのって「知り合ったのは自分が先」とアピールしてるようで嫌らしいな(邪推?)。母が道兼に殺されたとか散楽の連中のこととかペラペラとセルフ総集編するまひろ。すごい開き直ってたよな。罪悪感ゼロ。
この時倫子が「家を出ることなぞ許されたの?」と聞いてまひろが「このような立派なお家ではありませんので…」って答えたところ、これ我々が「貴族の子女がフラフラ外出するなんてありえねー」と批判してたことへの言い訳に聞こえた。
倫子「あなたは…どういう気持ちであの子(彰子)のそばにいたの?」
→デスヨネー。はっきりと答えられないまひろ。
道長との仲に罪悪感もなく、彰子に対する気持ちも答えられない。
さらに隠し事はもうないかと聞かれ、嘘をつく。
このヒロイン、結構タチ悪くない?共感・同情の余地なし。
まひろが自分と道長の関係をいったいどう消化してるのかずっとわからなかったんだけどついに最後までぼんやりしたままで終わった。
道長とまひろ
最終回だから予想はしてたけど二人のシーンほんと長かった。。
まず、隆家がわざわざまひろ邸を訪ね、道長の病状を知らせるありえないシーンから始まる。
訪ねてきたまひろに道長はなんで「帰れ」と言ったんだろ?
今さら「穢」でもないし、人目?(それも今さら)
まひろ「お方様のお許しが出ましたゆえ(略)お心の大きなお方であられます」
…なんか腹立つ。この後に「それに引き換え…」と続くとならまだしもそういう後悔の念は一切感じられない。
ここから道長を一日でも生き延びさせるための千夜一夜物語展開となるんだけど、相変わらずよくわからん。
「シャレた展開でしょ!?」という制作陣のドヤ顔が浮かぶ(邪推)だけで、肝心の物語には特に響くところなし。
まひろ登場の少し前の場面で、道長が法成寺で横たわり、僧侶の読経の中、大仏と五色の紐で繋がれた描写があった。
実際はあれは死の直前の様子なので「まだ30分あるのにもう死ぬの??」と思っていたらこのまひろ訪問場面が来たので「え?回復した??」とまた混乱した。
あのなんで始めに持ってきた?
道長は死期を悟り、人を遠ざけて(女体など言語道断)一人で仏堂の中で、極楽浄土に往生するために必死で祈ってたんだよ!
実際は阿弥陀如来像は9体あったので、9×5本=45本の紐を手に結んでその時を待っていた。想像するとすごい光景。
なのに、冒頭にそれっぽい場面を持ってきておいて、まひろとの場面で手は握るわ、胸にもたれかかるわの逆「ゴースト」構図。
最期だからエモい絵を作りたかった?
エモいどころかキモい。やりすぎでしょ。
顔を寄せ合ったりキスしたらどうしようかヒヤヒヤしたわ。
いや、1億歩譲ってこれが最期ならまだ許すけど、これから2ヵ月もまひろの千夜一夜物語で生きながらえる(寝込み始めが妍子の四十九日(10月頃)〜死去12月なので)んだからな。
2ヵ月毎日やってた割に物語の進みが遅くなかった?(ポイントそこじゃない?)
ここで死期の鉄板セリフ、道長「俺は一体何をやってきたのであろうか」
まひろ「戦のない泰平の世を守られました。見事なご治世でありました」
「ご治世」って天皇に言うべき言葉じゃない?
法体になっただけで道長の勤行は全く描かれなかったから今さらな話だけど、つくづくこの脚本家は歴史上の人物に敬意がない。
結局、道長はいつの間にか眠るように一人で亡くなっていた。
僧侶や読経、仏像はどこに消えた!?
まひろの腕の中で亡くなるよりはマシだけど、大権力者の死にしては寂しすぎないか?汚穢を描けとは言わないけど。
結局、倫子も看取れなかったってことだよな。
倫子はこの時袈裟をつけてるけど、実はとっくに(6年前)出家している。
主役の最期くらいもっと敬意を持ってきちんと描けなかったのかね。
自宅にいたまひろがその瞬間、道長の(たぶん若い時の)声を聞き、逝ったことを悟る。宗方コーチか?
その他
四納言、最後の宴席
①公任が法体、②俊賢がまだ元気 などからこの場面は万寿3年1月〜翌4年5月くらいを想定かな。
行成「近頃めっきり酒に弱くなりました」
…Xデー匂わせ?実際行成は万寿4年の年明けから体調が下り坂だった。
「私はまだまだやりますぞ!」と意気盛んな俊賢が一番先にあの世に旅立つ。
それにしてもこのドラマ世界の「出家」とはいったい?
まひろに出家者の妾になってくれという倫子にも驚いたけど、公任の言い方だと厠が近いなどの体裁の悪さを「気にせずにいられる」快適なものらしい。
この世界の出家って何を絶ってるの?
髭あり、酒あり、女あり。どこが俗世と違うの?髪の毛だけじゃん。
ついぞ道長の勤行姿にはお目にかかれなかった。
行成
あーこれだけはね、自分の鉛の心にもちょっと響いたね。
同日に亡くなることは知っていたけど、7割はナレ死かと思っていた。
映像で見たかったのか見たくなかったのか自分でもよくわからない。
ずっとプライベートシーンがほぼゼロだった(源氏物語を自邸で読むシーンはあったけど)けど、「殿!」と呼ぶ家人の声で最後の最後に「生活感」が感じられて良かった。良かったというのも変だけど。
家人は惟弘だと妄想しよう。
実際は昏倒したのは12月1日で、その後意識が戻らないまま道長と同日の4日に亡くなった。
本当に行成の最期にはたくさん思うところがある(頼通の野郎〜!)けどここでは書かない。
実資が「又按察大納言行成卿俄薨<五十六>」と書くシーンは感無量(泣かなかったと思うけど)。
だが!!
このしんみり気分に水を差すのがこの脚本。
公任と斉信、二人だけになった酒盛りのこの一言。
公任「行成は心底道長にほれていたんだな。ハハ…」
ハハじゃねぇ!!絶対そうくると思ってたけど、最期まで貶めないでくれ。
公任「見し人の亡くなりゆくを聞くままにいとど深山ぞさびしかりける」
斉信「消え残る頭の雪を払いつつさびしき山を思いやるかな」
四納言で一番長生きするのは公任で長久2(1041)年1月1日薨去、斉信は長元8(1035)年3月23日薨去。
賢子
嬉子の遺児親仁(のちの後冷泉天皇)の乳母となった賢子こと自称“光るおんな君”は皇子の昼寝中、頼宗と逢瀬。
…え??これはやるんかい!この世界ではキミら異母兄妹…。
賢子を道長の子にした時点でさすがにやらないと思ってた。定頼や朝任、兼隆もいるんだし。
まさか設定忘れた?
こんな雑に扱うなら賢子を道長の子なんておかしな設定にしなきゃいいのに。
…待てよ、下世話好きな脚本家だからむしろ「異母兄妹なのに」の線を狙った可能性もある?ウゲ。
結局、倫子にも嘘をつき、賢子にも明かさないなら道長にも言わないで一人墓場まで持っていけばよかったのに。
少しは贖罪の意識が描けたんじゃないの。
最後
まひろは鳥籠を外し(ベタ)また旅立つ。
きぬに先立たれたらしい乙丸も同行を懇願する。キミたち何歳よ?
この旅立ちの意味、必要性がわからん。いったい何から自由になりたいの?
家には年老いた父と認知症らしいいとを残して、老齢となった身で今さらなんのために?どこへ?
途中、騎馬武者が追い越していくが、それはなんと双寿丸!すごい偶然(棒)!
まひろの旅立ちってこの場面のためだった?
道長から解き放たれてという意味もあったのかも、と一瞬思ったけどそれは大宰府行きの時にすでに一度やってるし、もう死んだし。
自分探し?水戸黄門?
そして最後の最後「道長様…嵐が来るわ」まひろの顔アップで完!
?????
いや、言いたげなことは想像はつく。
次代は武士の時代だと。道長が守ってきた(らしい)「泰平の世」が道長と共に去り、武士の時代がやってくる予感…でもちょっと先走りすぎじゃない?
それなら能信をもっとちゃんと描いとけ!
せめてナレででもその後の摂関政治について一言入れとけばよかったじゃん。
平安はまだ続くし、主役である紫式部が平安大河のラストで言うセリフとして相応しいとは思えない。
あの微妙な表情もだけど、暗喩が過ぎて「なんかかっこよく締めたみたいだけど…?」感が拭えない。バツッと終わる不条理映画を見たような。
このドラマそういうんだっけ?意味がわからないのは似てるけど。
最後まで「なにか意味のあることを言ってる風」スタイルを貫いたのは確かだが。
最後なのでいろいろ言いたいことはあるんだけど、この回に続けると膨大な文字数になってしまうだろうから、1年の振り返りはまた別記事にしようと考えている。
ただ毎回同じようなことをボヤいてきて、文句言うのにも疲れたので軽めに。
何度か書いたけど19話完走時に書いたまとめで十分語りつくした感もある。
結局、当時書いたことと印象が全く変わらなかったな。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
最終回に限った感想を短く言うとすれば、
「最終回だからとあれもこれも盛り込みすぎで、各エピがブツ切れで散漫な印象」
という感じかなぁ。
あとは「道長の最期を綺麗に描きすぎ」。
盛り込みすぎは終盤のここ数回ずっとそんな感じだったけど。
その度にオリキャラに使った時間を思い出させられた。
孝標女を出す必要が?
喧嘩別れしたはずのききょうも訪れ、脩子内親王が「お健やかに」過ごしていると話す。
でも脩子内親王はあの場面が万寿4年だとするとその3年前の治安4年に落飾している。テキトーに扱うなら名前出すな。
また長元元年の内裏の場面、ドラマ的に今まで皇統の話など全くしてこなかったのに突然彰子が「2つであった皇統が〜」と言い出す。
円融から花山になった時にもちゃんと説明してなかったのに。
こういうところにこの1年ずっと引っかかってきたんだよな。
浅い昼ドラ展開、ひらがな演技、社会的習慣・風習も無視してるのに急に「史実っぽい」セリフが放り込まれる。
ちゃんと歴史ドラマしてますよというテイ。
恋愛ドラマとしてウケている層は聞き流すから問題ないし、史実ガーにはとりあえず触れたというアリバイこそ大事、そういう姿勢を感じるんだよな。
大河ドラマと名乗っていながら「歴史」の扱い方が誠実じゃない。
史実と違うとか創作がいかんという話ではなく、ご本人のインタビューからも伝わる「(自分が興味ない)平安なんて」感がどうにも受け入れられなかった。
形だけやっとけば、それらしく見せとけば、記録にないことは「でっちあげて」いい、どうせ平安なんか綺麗な衣装着せとけばいいんでしょ?視聴者は自分の描く恋愛ドラマが観たいんだから、という感じが画面からも溢れてる感じ。
セットや美術などのハード面の仕事ぶりは素晴らしかったと思うが、皮肉なことに外側が素晴らしければ素晴らしいほど中身の空虚さが目立ってしまった。
今作が「初平安時代大河」になったのは本当に不運だったと思う。
今日は寛仁4(1020)年から万寿4(1027)年以降までという長期間を描いたので、整理しておく。
それにしても万寿4年は死にすぎ。
最後に
平安好きとしてはどうあっても最後まで見届ける覚悟ではいたけど、noteがなかったら途中で脱落してたかもしれない。
正直、今も番組が終わった寂しさはなく、安堵感の方が大きい。
考えたら1年間見続けてきて寂しいことだよなぁ。
時間が経ったら録画を見返す気になるんだろうか?(いや、、、ない)
本編は楽しめなかったけど、SNSでの交流は楽しかったし同じ感覚の人がこんなにいると思うのは心強かった。
回を重ねるごと気乗りしないモノと化していった番組を毎週見て記事アップというのはなかなかにハードだった。
でも苦手なコツコツ作業を1年間継続できたことはちょこっと誇らしい。
これも読んで♡やコメントを下さる方々、SNSで反応を下さる方、かつてアンソロでご一緒した玉鬘えなさんやたたこさんという“同志”’(勝手に認定)のおかげと思っています。
みなさん、ありがとうございました!
せっかく始めたnoteなのでこれからも何かは書きたいとは思ってるけど、機会執筆(?)だったので、ペースはぐぐっと落ちること必至。
見かけたら読んでやってください。