ゆで理論の二つの顔〜『キン肉マン』と「バカマンガ」〜
「バカマンガ」と「かしこマンガ」
岡田斗司夫が提唱した、「バカマンガ」というジャンルがある。「バカなマンガ」という意味ではない。
バカマンガっていうのは、強い奴は根性で立ち上がってくるっていうタイプの漫画ですね。かしこマンガっていうのは、勝つ奴には理由があるんだけれども、バカマンガっていうのはただ単に、負けて血塗れで、「フフフ、死んだか」って言うと、「待てや〜!」って起き上がってくるという。(TV番組『BSマンガ夜話』、『魁!男塾』の回より)
つまり「バカマンガ」とは、「強さに理由がない」マンガを指す。対極にあるのが「かしこマンガ」であり、こちらは「強さに理由がある」マンガだ。ネーミングの良し悪しはともかく、あの作品はバカマンガ、あの作品はかしこマンガ、と分類したくなってくる、いい概念だと思う。
ちなみに岡田は『BSマンガ夜話』の中で、『魁!男塾』『聖闘士星矢』『ワンピース』をバカマンガに、『HUNTER×HUNTER』をかしこマンガに括っている(『魁!男塾』『聖闘士星矢』回)。『ドラゴンボール』は話す回によって分類が違うが、どこを切り取るかによって異なってくるということだろう。一つのマンガの中で、キャラクターやシーン、描写ごとに、「バカ」だったり「かしこ」かったりもするはずだ。
岡田も強調している通り、バカマンガだから悪いわけではない。二つのジャンルにはそれぞれの良さがある。かしこマンガは、強さの理屈をきちんと説明してくれる。その分、読者は納得感と知的興奮を得られる。一方、バカマンガにおける勝利には理由がない。だからこそそれは奇跡として、読者の心により大きな揺さぶりをかけることができる。
「ゆで理論」の二面性
さて、以上の話を元にして、いわゆる「ゆで理論」の魅力について語りたい。「ゆで理論」とは、ゆでたまご『キン肉マン』の中で登場する奇妙な理論のことを指して、ファンが呼ぶ表現である。
代表例はウォーズマン対バッファローマン戦の一場面だ。超人の戦闘力を表す「超人強度」で比べた時、ウォーズマンは100万、バッファローマンは1000万と、10倍の開きがある。その差を埋めるために、ウォーズマンが取った秘策とは?
(『キン肉マン』11巻より)
お前は何を言っているんだ、と誰もが思う。こういう無茶な理論のことを「ゆで理論」という。
「ゆで理論」が炸裂するシーンを見ると、とてつもなくバカっぽいがために、『キン肉マン』はバカマンガだなあ、と思えてもくる。だがバカマンガはバカなマンガじゃない。あくまで問題は、強さに理由があるかどうかだ。
だとするとここには明らかに理論が、強さの理由があるのではないだろうか。特にパワーアップをわざわざ数式で説明するあたり、「ファイティング・コンピューター」の異名を持つウォーズマンならではの緻密さを感じさせる。『キン肉マン』はかしこマンガなんである。
いやいやそんなことはないだろう。こんな無茶な理屈はないも同然、気合で立ち上がってくるのと変わらないではないか。この説明セリフだって、ウォーズマンが自分を励ますためやけくそで放ったものとも取れる。だから『キン肉マン』はバカマンガなのだ。
どちらの言い分ももっともだと思う。「ゆで理論」とはよく言ったもので、ここには確かに「理論」があるが、それは「ゆで」世界でしか成り立たない。「ゆで理論」は、バカマンガであると同時にかしこマンガでもあるのだ。
上に引用したウォーズマンの場面はしばしば「突っ込みどころ」として笑いの種になる。もちろんそういう良さもある。だが現実の物理法則では説明のつかない必殺技だからこそ、予測不可能な飛躍として読者をワクワクさせるのではないだろうか。さらに、ここまで自信満々に、あのウォーズマンに説明されると、「な、なるほど!?」となぜか納得してしまう面もあるはずだ。「ゆで理論」には、バカマンガとかしこマンガ、二つの魅力が同時に宿っているのである。
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