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恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(序)「リンゴの唄」から「りんごのうた」へ

  戦後最初の流行歌といえば、サトウハチロー作詞万城目正作曲の「リンゴの唄」である。最初にこの歌は「明るい軍歌」とする意図で詞がかかれたそうだ。しかしもちろん、戦う気持ちを鼓舞するよりは、「敗北を抱きしめ」ながら、ぼんやりとした未来を恐る恐る夢みようとしている歌詞ではある。

  この歌が林檎という果実に仮託しているものは、物言わずまだ形もあらわさない明日へのほのかな希望である。彼らはまだ愛や幸せへの激しい渇望をはっきりとは言い出せないでいる。林檎は色のない世界でのひとつの鮮やかな色となって何かを象徴する。それは歌詞のなかで手っ取り早く、気立てがよく可愛い「あの娘」となってはいるが、「あの娘」もまた戦後の荒野を生きた人々にとっては確かな希望や愛ある未来の象徴であったはずだ。

 終戦直後の彼らは、家や家族を失い、仕事も生活もままならない。愛や幸せという概念は抽象にとどまり、具体的な対象への愛情は、亡くなった人や失われた時を思い出させ、胸の痛みとなる。彼らにとって、愛とはいま手のなかにあるどこか遠くから来た小さな果実であって、朽ちる前にその存在を喜びあう刹那的な生命だったのではないだろうか。

 このほのかな愛が、戦後歌謡のなかで性的な恋となり、未練や恨みを生みだしていく。愛は流行歌というジャンルのなかであるイメージを作り出していくのだ。そして時代の大きなパラダイムとともにその様相を変えていく。

 「リンゴの唄」から約58年後、椎名林檎がNHKみんなのうたに登場し、「りんごのうた」を歌う。

 椎名林檎の目くるめく美意識と巧妙なレトリックのなかでは、そのラジカルさだけを見てしまいそうになる。しかし椎名林檎は、流行(はやり)歌の根元にある現実的な認識を決して外さない。

 彼女にとって林檎とは自分の名前であり職業である。花の時期は問題ではなく、季節を惜しむ秋をすぎてから、人間のよろこびや悲しみにあこがれ蜜の入った「つみのかじつ」を届けにくるのだ。そしてそれは「おいしくでき」ていてしかも、毎年お届けするという。そんな「はたらくわたし」の名前が「りんご」だと宣言するのだ。

 終戦から60年近くたって、林檎は手のひらのなかの刹那のいのちの輝きではなく、地に根を張った毎年豊かな収穫を迎える樹になったのだ。

 愛も、人々の人生もそのようになったのだろうか。また見ていきたいと思う。(どうなるかわからないけど)

 

 

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