音と共に生き、ない

否定です残念ながら。

最近妙に音楽について意識することが多くなった。それも、音楽に興味が持てないということにだ、勿論嫌いなわけじゃないし巷に流れるポップスも洋楽も邦ロックもちょっとはアイドルだって聴く、良いなコレ!って本気で思える曲もあるしヘビロテし続けて丸三日なんてこともある。

しかしどうしてか、そこにその音を生んでいる人への興味とか、その音が構成されるセオリーとか、なんというか根っこへのワクワク感がもてないのだ、曲がその曲ごとで完結し、なんの繋がりも生まず音楽という文化への広がりを感じないまま終わってしまう。

多分わたしにとっての音楽はどこまでいっても副次的なものなんだろうなぁ、それが悲しい、いや、今から知ろうと思えばいくらでも知れるし、なんなら今後は積極的に音について学んでいきたいと思っているけども、それでも今の自分に音に関する教養がないことを少し悔いて少し恥じている。

文化にはなんでも源流が存在して、その源流は意外なもの同士が一緒だったり混ざりあったりしていて、それを知ることで確信的な論理や新しい回路を自分の中に取り込めたりする、取り込んで捏ねまわして整形して焼いて人前に出して自分の中で昇華されることが、教養のもつ楽しさの片鱗だと思う。

最近は自分の隠してきた無知と浅はかなアイデンティティが露呈してきて、さらにグータラな性格と生活態度に辟易していて、どうにかならないものかと焦っている、もうハタチを超えたのだから今までの自分ではどうもやっていけない、もっと深くもっとやわらかくもっとキリリと生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?